よく、日本はアジアを開放するために戦ったのだという声を聞くが、
それは公式文書をもってしても、簡単に論破できる。
大本営政府連絡会議が残した1940年9月16日の「日独伊枢軸強化に関する件」では、
日独伊の戦争を世界再分割の戦争と位置づけ、日本の取り分を決めている。
日本が領土とすべき地域を「皇国の大東亜新秩序建設のための生存圏」としているのだが、
これがアジアどころかオセアニアまで含む広大な地域を含んでいる。欲張りすぎ。
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(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-05-23/2015052301_01_1.html)
この方針に基づいて、日独伊三国軍事同盟が結ばれた。
つまり、ドイツとイタリアが「欧州における新秩序建設」を担当し、
日本が「大東亜における新秩序建設」を担当することを承認しあったわけである。
どう見ても、他国への侵略を共謀したとしか解釈できないだろう。
それは公式文書をもってしても、簡単に論破できる。
大本営政府連絡会議が残した1940年9月16日の「日独伊枢軸強化に関する件」では、
日独伊の戦争を世界再分割の戦争と位置づけ、日本の取り分を決めている。
日本が領土とすべき地域を「皇国の大東亜新秩序建設のための生存圏」としているのだが、
これがアジアどころかオセアニアまで含む広大な地域を含んでいる。欲張りすぎ。
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(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-05-23/2015052301_01_1.html)
この方針に基づいて、日独伊三国軍事同盟が結ばれた。
つまり、ドイツとイタリアが「欧州における新秩序建設」を担当し、
日本が「大東亜における新秩序建設」を担当することを承認しあったわけである。
どう見ても、他国への侵略を共謀したとしか解釈できないだろう。