ここのとこ、週一の割合で実家通いをしている。
夕食を作って、父と一緒に食べて帰るだけだけど
それでもいろんな発見がある。
台所の流し台排水溝のゴミ受けに、網状のネットをしているが
父はゴミを捨てる時に、新しくネットを設置しないで
そのままにしていることが多かった。
ゴミ受けネットがどこにあるかを覚えてなくて
いわゆるボケの症状だと思っていた。
でも、次にネットなしの排水溝のゴミを出す時は大変なので
定期的にチェックしながら網を交換していた。
先日、私が交換しているゴミ受けネットとは違う色のモノがしてあった。
これは、父が自発的にネットを交換した事を意味していた。
ネットの色違いは、前に父が「ゴミ受けのネットがない」と
電話を掛けて来た時に新しく買って置いたもので、
実際は前に使っていたモノが残っていて、
それをどこに置いたのかを忘れていたみたいだった。
それで私は在庫の方から使っていたが、
父が自分で交換したのは、新しく買って置いた方だった。
ということは、ゴミ受けネットの置き場所を思い出したことになる。
数か月?一年以上?振りに、自分で思い出していた。
これは凄い事ではないかなと思った。
もしかして、ボケって変わるのかもしれない。
ボケは治らないのではなく、精神的なもので変化していくのかもしれない。
だからボケて何も出来ないからと、こちらで先回りしてやってあげるのではなく
何が出来るかを見ているほうが面白い。
今まで出来なかったことが出来るようになっているのを見て
何気ない事だけど、感動すら覚えてくる。
これは子育てと同じような事を、年老いた父で経験しているのかもしれない。
昨日は、もう一つ発見があった。
毎日父はお惣菜を買って食べる事が多いので、
私が行った時は「手作りのおかず」を作る様に心がけている。
時間と愛情を込めて作ろうと思っているが
いかんせん料理の経験不足の為、感動してくれる日もあれば
イマイチの日もあった。
そして昨日はイマイチの日だった。
父は日頃は食べれない料理を喜んでくれるので
私なりに珍しいものとか、作ったことが無いモノにも挑戦して
いろいろと研究していた。
でも作った事がないものは、それなりに失敗もあって
味が安定しなかったりしていた。
同じものでは飽きると思って、私なりに工夫していたが
多くのモノを求めすぎて、自信作が一つもない状態だった。
そんな私の料理とは対照的に、昨日父が一番感動して食べていたのは
前日に父が自分で作った「魚の煮つけ」だった。
冷ご飯の暖め方も解らずに、電話で聞いてくる父。
そんな父が毎日作っているのが「魚の煮つけ」だった。
そして、毎日飽きずに美味しいと感動して食べている。
父の自信作の「イッピン」が、そこにあった。
父は自分が食べたいから、毎日作っているに過ぎない。
でも、これは基本なんだなと思った。
昨日は「父の料理」に教えられた。
何度も同じものを作って、その経験が自分の確かな味になって行く。
同じような場面をテレビでも見ていた。
離婚した料理人の父の影響で料理が好きになった娘が
自立の為に島でお弁当屋を始める事になった。
娘は毎日同じ内容のおかずでは飽きるので、
レパートリーを増やす研究をしていたが、その為に味が安定しない。
そのお弁当を食べた父の言葉で、問題点に気付かされた。
彼女の父は言った。
「いろんなものを作ろうとすると、すべて中途半端で終わる。
自分の自信作を1つ究めれば良い。
『あそこのあの「から揚げ」が食べたい』と人はやって来るものだ。」
それが出来て初めて、次に進める。
そうやって、レパートリーを増やすのだと言っているように感じた。
昨日の父と私の状況と、まったく同じだなと思った。
全ては「経験値」なんだね。