昨日テレビの旅番組で「ちんすこう」を作っている場面を見た。
1つの大きなシート生地に、型を押し当てて くり抜いていた。
クッキー作りみたいな感じ。
型は伝統的な形の他にも、いろいろあるらしい。
その場面を見ていて、ふと思った。
1つの大きなシートが、元々居た魂の集まりだとしたら
型で抜かれて出来た個体が、生まれて来た人間みたいだなと。。。
いろんな型は、人種とか性格とかで違っている事を表してて
もともとは「ひとつ」なんだけど、それを忘れている。
切り離されて生まれて来たから、自分と他人は別だと考えがちだけど
本当は、区別も境界線も無くて繋がっている。
1つの大きなシートから、それぞれが生まれ出たモノ。
抜かれた「形」で見るから、それが見えないのかもね。
「あなた」と「わたし」は、見た目が全然違う。
でも、似ている所はある。
クセだったり、考え方だったり、拘っている部分だったり。。。
それが「もともとひとつだった」という事なんだと思った。
それを見つけたら、相手を非難できなくなる。
相手の悪い部分を見て「それは違う」と思っても
「私にもそういう部分があったな」と振り返ったら
自分も結局は同じなんだと納得できる。
今朝、人種差別問題で起きたデモ衝突ニュースの記事を見た。
以前は私も似たような感情を持っていた。
自分がそういう目にあったのではなく、見聞きした情報で
このままでは日本が大変な事になると思って支持していた。
でも、私が過去にその国を訪れて接した人たちは違っていた。
誰もが暖かくて親切で優しかった。
自分の目で見て、接して、感じた方を信じるべきだと思った。
一人一人は暖かくて優しいのに、集団となると変貌する。
それは日本も例外ではないと思う。
だから「集団」で考えるべきではないと思った。
自分が実際に接して、どう感じ、どう思うか。
そちらを大切にすべきだと思った。
「集団」と「元々はひとつ」は、全然違う。
個性は「元々はひとつ」と相反する関係に思いがちだけど同じなんだ。
同じところから生まれ出たモノ。
個性を突き詰めて行く事で、「元々はひつつ」に辿り着くと思う。
生まれてからこれまでに自分が選んで着込んだ「いろんな服」を
振り返って気付いて、脱いで行くことで素に戻れる。
それと同じなんだと思う。
自分の「個性」をなくす事ではなく、
「個性」を突き詰めて浮き出させて向き合い、納得して脱ぎ捨てる。
自分と相手との境界線を作っている「服」は脱げばいい。
自分が変わればいい。
そう思った。
だから私は、自分が経験して感じた方を大事にしたいと思ったし、
境界線を作る「情報の服」を脱いで「戦う」事を止め、
相手と手を繋ぐ方を選んだ。
「個性」を突き詰める。
それは自分を知ることなんだと思う。
「個性」を突き詰めて、新しい「個性」に生まれ変わる。
そんな風に感じている。
生まれてから旅を終えるまでに、どれだけの自分を知っているのだろう。
どれだけたくさんの服を着込んで、どれだけ納得して服を脱いだのだろう。
意外と自分の事は何も知らないもので、
これまで何も考えずに流されて生きて来たなと思う。
自分が知らない自分自身の事、もっとよく見ようと思った。