以前とは見方や考え方で、大きく変わった部分がある。
「結局、何をやっても自由なんだ」という境地に辿り着いた。
まさしく心境の変化だ。
何をやってもそれ自体はあまり重要ではない。
むしろ大事な部分は、その時々で「何を思い、何を感じるか」で
そこなんだなと解った。
以前の私は、道を選ぶことに主点を置いていた。
その道は良くない、この道は大丈夫…。
そんな視点でいろんなモノを見ていた。
善悪、光と闇、それを自分の心の中に作っていた。
その道を避けたいと思うのは、自分の中に強い拘りを持っているから。
そこを見るべきなんだ。
最初は何もなかったのに、敢えて自分の中に「境界線」を作っている。
自分でレッテルを張っているようなものだね。。。
切っ掛けは外だったかもしれない。
でも選んで心に線を作ったのは自分なんだ。
今は何を選んでも大丈夫だと思えるようになった。
その道は「途中経過」に過ぎないのだから。
それを選ぶ時々の自分の中に「求め続けていた答え」がある。
良い悪いではなく「なんでその道を選ぶの?]という素朴な疑問。
それを大事にしたい。。。
それを選んだ自分の中には色んな感情があって、
そこに鍵が隠されていると思う。
だから、そこを見るべきなんだ。
確かに外側には「誰かが引いたレール」や「誰かが作った誘い道」がたくさんある。
だけど誘導されて案内された場所に違和感を感じたら「出ればいい」だけの話。
その繰り返しが経験となり、なんで自分はそこばかりを選ぶのだろうと考える切っ掛けにもなる。
だから外側はたいした問題ではないんだ。
むしろそんな自分の姿に気付かない方に問題があると思う。
だから、どの道を選んでも大丈夫。
何を選んだとしても、そこは途中経過で
大事なのは「なんでその道を選ぶの?」という自分の心の気付き。
その時、自分が何を思って、どう行動したとか、
なんでそれを選んだのかとか、そういう部分に
自分が知らなかった「姿」や「拘り」が隠れていたりする。
夢でも同じだと思う。
私が夢で大事にしている部分が「自分がどう思ってそうしたか」という部分。
そこには自分が見なければいけない気付きが隠れていたりする。
それは紛れもなく自分自身で選んで起こした行動だから。
夢の無意識の中でも、自分の思い(意識)で行動していることはよくある。
何かをやりたくないからとか、面倒だからとか
そんな思いでやったらこんな事が起きたとか…。
そこを見るべきだなと思っている。
だから「結局、何をやっても自由なんだ」
心を縛るのも解くのも自分次第。。。
ようやく、ここに辿り着いた。
ここから、また新たなスタート地点に立っていると思う。
その時々で、何を感じるかを大事にしたい。