気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

生まれて来た理由

2013-06-20 11:52:57 | 日記

1つ解った。
私自身が生まれて来た意味。

ずっと長い間、気になっていたけど解らなかった。
何かをする為に生まれてきたと思うけど
それが何なのか、何をすればいいのか解らなかった。
何かをしたい訳でもなく、ずっと靄がかかった状態だった。
だけど、何かをする為に生まれて来たんだろうなと
漠然とした思いは昔からあった。

去年あたりから それが少し解りかけてきた。
でも、それでもやはり漠然としたものだった。

そして今日、ある記事を見て考えていたら、はっきりと見えた。
自分が生まれて来て、一番やりたかったこと。
その為に生まれてきたんだなと納得出来た。

時々、自分と同じ名前の人のニュースや記事を目にする。
それが気になる場合は、なんらかの繋がりがあると思っていた。
その記事の内容と自分の行動を照らし合わせて
自分の考えや行動を判断していた時期もあった。

でも、今日はっきりと感じた。
「その人は私であって、私ではない」という事。
根っこの部分では繋がっているけど、個体としては別々なんだ。
私とその人は、似たような問題(因縁)を抱え持っているけど
見るべき問題は、それぞれの人生の中にあって違う。
だから捉え方も違ってくる。

型抜きされて「人間」として生まれ出たら、個体をまず満たさなきゃ。
自分の欠けている部分を、自分で満たす。
自分の中に それを見つける。
自分で完結させる。

私の場合は「動じないモノ、揺ぎ無いモノ」を見つける事だった。
自分の中心、核となる部分、それが自分の中に無かった。
自分の事がよく解らないから、外に答えを見つけようとした。
外の変化で自分を判断していた。

でも外側はいつまでたっても外側で、実感が無かった。
外に左右される状態、それではいけない。
自分というものをしっかり持たなくてはいけないと思った。

自分でそう思ったのなら、それでいいという事。
自分の中でいろんなことに気付いていくという事だと感じた。
外に評価を求めるものでもない。
外は参考にはするけど、いちいち左右されない。
動じないということ。
それが今日、実感できた。
これが私の欠けていた中心、核となる部分だと感じた。
とても小さいけどしっかりとした自分の中心が芽生えたという感覚。

それを見つけたくて生まれて来た。
これは私だけではないと思う。
切り離された「人間」という個体を、それぞれが自力で満たす。
満たす事で、繋がった根っこへと帰って行く。
動じない、周りに左右されない根っこが、どんどん増えて大きくなると
不安が無くなり、人に踊らされることもなくなる。
それは確実に、明るい未来へと繋がっている。

自分が歩いてきた人生だもの。
自分の問題は、自分にしか解決出来ない。
他の誰も出来ない事。
それをやりたい為に生まれて来たのだと、今は感じている。

それが出来て、初めて自己完結できる。
そして次の新しい別のやりたい事が見えてくるのだと思う。
だから生まれて来た本当の目的は、「自分自身を満たす事」だと思えた。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする