気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

厳しい言葉

2013-04-25 13:41:18 | 日記

先日かみんちゅさんのブログを読んでて、気付いたことがあった。

以前、私が書いたブログ記事に対して、
ある方々から何度か「厳しい言葉」を頂いた経験がある。

思ってもいない「厳しい指摘」に心が傷つき
自分を否定されたようで凄く落ち込んでいた。

しかし、よくよく考えてみると、
やはり「厳しい指摘」が正しいなと思えてくる。
悔しいけど、認めるしかなかった。

認めて初めて、自分の過去の姿が見えてきた。
指摘された事は、何度も私が繰り返してきた事だった。
そこを認める事で、「そうだったな」と素直に帰れた。

あの「厳しい言葉」は、もしかしたら
お金を出してかみんちゅさんに因縁解きのヒントを見せて頂く事と
同じ事かもしれないと思った。

私は遠くの地に居ても、「厳しい言葉」で因縁を紐解くヒントを頂くことが出来た。
自分では見えないし解らない、自分の因縁のヒントを
普通なら「高い授業料」を払うのに、私は無料で頂いてた。
本当に有り難いなと感謝した。

「厳しい指摘」は、誰にでも平等に貰えるんだよ。
職場や友人、親兄弟、どこでもそのヒントは貰えている。

最初は心が傷つくかもしれないけど
それは心が「気付いて」って言ってるサインだと思う。

言われた事を真摯に受け止めて、考える。
言われるという事は、相手にそう見えているのだから。
自分じゃ見えないのよね。
だから過去の自分を振り返って、自分の姿を見るのだと思う。

「厳しい指摘」を言われて「逃げるか」「立ち向かうか」
その差はとても大きいと思う。
別に逃げてもいいけど、いつかは気付かないと因縁は終わらないから。

この場合の立ち向かう相手は、自分の方。
相手を言いくるめても、何の解決にもなっていないと思う。
向き合うのは自分の心だから。
自分を変えれるのは、自分しかいない。
自分を救うのも、自分しかいないのよね。

聞く耳を持つ。
それは聞きたくない言葉に、両手で耳を塞いで逃げてた自分を知り
それに気付いて、塞いでいた両手をどける。
そういう事だったのかと、改めて気付いた。

 

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