美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

目無し地蔵(北長野)の紹介記事

2010-08-21 18:21:41 | 津のこと

(津保護司会だより第11号・平成22年9月1日発行)

美里町北長野在住の森田眞生さんが
「津保護司会だより」に寄稿された、
北長野の「目無し地蔵」の記事です。

「地区郷土だより・その6」という番号が付いていることから、
津市内の10の地域の名物を、順に紹介していくというコーナーのようです。
で、次は美里の番ですからね、森田さんよろしく、
と言われたので、地元北長野の目無し地蔵について書かれたのでしょう。

「目無し地蔵」ですが、
この記事に書かれている通り、
本来は「目を成す地蔵=目成し地蔵」であったと地元には伝わっています。
しかし「目無し地蔵」という呼び方が一般的になっており、
本当は「目成し」なんだけどなあ、という
地元の人のつぶやきのようなものが、この記事から伝わってきますね。

>追記
この「目なし地蔵」には、以下の伝承があります。

伝承①
長野氏の家臣の侍が、この地で病にかかり、目が見えなくなってしまった。
侍は自分の死期が近づいていることを悟り、
「自分が死んでも、自分の魂はこの地にとどまり、人々の目の病を治したい」
と言って亡くなったという。

伝承②
この地を訪れた旅の僧夫婦が、山の中の滝つぼに落ちて亡くなった。
夫婦ともに盲目だったという。
村の人たちが供養のために地蔵を建てて弔った。

ということで、どちらの伝承も
「目の病気に効く地蔵」の由来としては、あり得る話となっています。
どちらの伝承が正しいか、と論ずるつもりはありません。
ただ、このふたつの伝承から、
山の麓の街道よりも、山の中腹にあった山岳ルート
(目なし地蔵~穴倉の別所~船山~草生~河内谷を結ぶルート)
を歩いて移動する人が多かった、ということが読み取れます。
コメント
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