善福寺 木造 毘沙門天立像
(国指定重要文化財 指定:昭和25年8月29日)
津市安濃町連部(つらべ)、市立村主(すぐり)小学校の南、
善福寺にある毘沙門天像は、かつて今徳(ごんとく)付近にあった正蔵院(しょうぞういん)の
本尊であったと伝えられていますが、
善福寺の「毘沙門天王縁起」によると、土の中に埋もれていたのを掘り起こして、
善福寺の毘沙門堂に安置したと書かれています。
昭和49年(1974)に国の補助金を受けて、収蔵庫を建設し、安置しています。
毘沙門天は多門天(たもんてん)ともいい、須弥山(しゅみせん)の北面に住み、
夜叉(やしゃ)を従えて北方を守護する仏、あるいは戦勝護国の仏として
各地で崇(あが)められました。
善福寺の毘沙門天像の構造は、頭体のほとんどがヒノキの一木から彫られ(一木造)、
両腕は、肩・肘・手首を別材で寄せています。内刳り(うちぐり)は施していません。
当初は彩色像でしたが現在はほとんど剥落しています。
頭は宝髻に花冠を被り、甲冑(かっちゅう)を見に着け、顔を正面に向け、
表情は憤怒相(ふんぬそう)と呼ばれ、目尻を吊り上げて、口をカッと開いています。
右手は腰に置いて三叉鉾を持ち、左手は、肘を曲げて前へ差し出し、宝塔を捧げ持っています。
腰を右に曲げて右足に重心をかけ、邪鬼を踏みつけて立っています。
この像の特色は、口を大きく開け、目を見開いて相手を睨みつける表情で、迫力に満ちています。
太く短い首やがっしりと張り出した頭も特徴的で、
一見すると首がないようにも感じられます。
このあたりの表情は巧みで、実際の大きさ以上のものを見る者に与えます。
この像は平安時代の作と考えられています。