空には雲一つなく、天元台スキー場のゲレンデは粉雪(パウダースノー)に覆われ、白銀の世界のパノラマが広がっていた。
7日(土)の昼近い時間だったが、天元台高原駅を降りて外に出ると、気温は氷点下10度℃と低かった。風がほとんど無いので、頬は冷たくならないが、手袋を脱ぐとやはり手はかじかんだ。
ゲレンデの右下に天元台セミナーハウス(下の写真)が見えた。山形大学工学部のOB会が昭和52年(1977)に建設した宿泊施設である。自分も社会人となってから、職場の仲間と2・3回利用したことがあった。
当時の大規模リゾートブームに乗って作られたが、経営状態は厳しく10年後には売却または経営権譲渡などの問題がが起こったのを記憶している。昭和から平成へ、建物は残っているが営業は行っていない様である。
遠くは蔵王連峰、その右に栗子山(下の写真)、西に飯豊連峰も見えた。朝日連峰の頂上付近は良く見えなかった。米沢盆地が小さく見えた。
高原駅を出て右に向かうと、スキー場になっている。スキー客の宿泊施設であるアルブ天元台の前には沢山の人達が見えた。
高原駅を出て北に真っ直ぐ進むと、地デジ放送用の電波中継塔(下の写真)のある丘がある。かつて、少し手前には2階建のホテルがあった。その名は天元台ホテル。記憶は定かではないが30年以上前に1度宿泊した事があった様な気がする。約10年前には解体され、かつての面影は無くなっている。
約30年前にアルブ天元台の施設が完成し、かつてのホテルの機能を引き継いでいる。また、当時ペンションが5棟出来て、現在に至っている。栗子山(上の写真)の下にその屋根が写っている。このペンションにも20代の若かりし頃、秋に職場の仲間達と一度泊まったことがある。
かつて20年ほど前、子供達が小さかった頃、天元台高原には家族で遊びに来たことが2・3回あった。春・夏・秋の晴れた行楽日和の日だった。いずれ近い内に、今度は孫たちを連れて遊びに来る日が訪れることだろうと思う。
天元台高原ロープウェイの湯元駅手前の駐車場から撮影した、2枚の写真を見比べてみて下さい。昨年10月上旬の写真では、高さ約2.5mの看板もきれいに見えていました。また、湯元駅も雪に埋もれることなく、しっかりと写真に納まっていました。
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