昨日の記事を書いていて
はぁ~??
と思ったことがあります。
私がケン太に言った言葉です。
ただ親は子どもの幸せを願うもの。
今、ケン太が学校に行っていない負い目みたいなものを感じているようにみえる。
やはり、本来の姿ではないのだろう。
その状態ではやはり幸せを感じることは難しいとも。
私、当時、こんなことを思っていたんですね。
ダメだわ~
ってね。
親は子どもの幸せを願うもの。
これはその通り。
今、ケン太が学校に行っていない負い目みたいなものを感じているようにみえる。
やはり、本来の姿ではないのだろう。
これもそうだったと思うよ。
その状態ではやはり幸せを感じることは難しいとも。
問題はこれね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ase.gif)
なに、自分の幸せの基準をケン太に置いちゃってるの~?
今、幸せになれないのはケン太のせいだって?
幸せも不幸せも、それを感じるのは自分自身の心。
自分の心の持ちようなんです。
人のせいにするものではありません。
人のせいにしていたらいつまでも幸せは掴めないと思うのです。
それを、自分が幸せになれないのはケン太のせいだって、
責任を押し付けていたわけですから。
どんだけケン太にプレッシャーをかけていたかっていうことですよね。
だから「お母さんに対して負い目を感じているけれど・・・」
なんていう言葉がでてくるわけです。
無視や溜息・・・これも非難にあたりますが、
ケン太の幸せを願うかのような押し付け・・・
これも非難になると思います。
あの時、私はそれをどれだけ感じていたのでしょうか。
感じていたら、あんな言葉はでてこないと思います。
だから問題も起きたのだと思います。
実はもっと前、ケン太が最初の不登校になった時、
暴力とかいろいろあったこともあり、
お母さんはこんなに悲しんでいるんだよ・・・アピールしていた時がありました。
敢えてというより、意識しなくても出ちゃっていたのですが。
ケン太にはこのくらいアピールしないとわからないだろうくらいに思っていました。
それでいいんだと思っていました。
何度ケン太の前で泣いたかわかりません。
でも、ますます反撃が凄くなってしまって。
私の涙に火がつくのです。
私の涙でケン太は傷ついていたのです。
それを見たくないから反撃したのだと思います。
精一杯、そうやって自分を守っていたのでしょう。
強がっているようにみえたけど、
その裏はものすごく繊細でした。
悲しんでいるアピールしたほうがいい子もいると思いますが
ケン太には逆効果だったようです。
不登校になってから、ある時、考え方を変えた。
今は、俺は不登校になっていなければ出来なかったことが出来ている。
今、俺は幸せだと思う。
自分のことも好きだ。
弱音を吐きたくないケン太らしい言葉です。
こういう言葉を使うので、傷ついているようにみえないんですよね。
当時どこまで本当だったのか・・・
そう思い込もうとしていたのか・・・
でも、傷つきやすいから、そうでない自分になろうとする。
なっていると暗示する。
そうするから、そうなってもいく。
弱いから強くなれる。
それもケン太かなと思います。
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私がケン太に言った言葉です。
ただ親は子どもの幸せを願うもの。
今、ケン太が学校に行っていない負い目みたいなものを感じているようにみえる。
やはり、本来の姿ではないのだろう。
その状態ではやはり幸せを感じることは難しいとも。
私、当時、こんなことを思っていたんですね。
ダメだわ~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0144.gif)
親は子どもの幸せを願うもの。
これはその通り。
今、ケン太が学校に行っていない負い目みたいなものを感じているようにみえる。
やはり、本来の姿ではないのだろう。
これもそうだったと思うよ。
その状態ではやはり幸せを感じることは難しいとも。
問題はこれね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ase.gif)
なに、自分の幸せの基準をケン太に置いちゃってるの~?
今、幸せになれないのはケン太のせいだって?
幸せも不幸せも、それを感じるのは自分自身の心。
自分の心の持ちようなんです。
人のせいにするものではありません。
人のせいにしていたらいつまでも幸せは掴めないと思うのです。
それを、自分が幸せになれないのはケン太のせいだって、
責任を押し付けていたわけですから。
どんだけケン太にプレッシャーをかけていたかっていうことですよね。
だから「お母さんに対して負い目を感じているけれど・・・」
なんていう言葉がでてくるわけです。
無視や溜息・・・これも非難にあたりますが、
ケン太の幸せを願うかのような押し付け・・・
これも非難になると思います。
あの時、私はそれをどれだけ感じていたのでしょうか。
感じていたら、あんな言葉はでてこないと思います。
だから問題も起きたのだと思います。
実はもっと前、ケン太が最初の不登校になった時、
暴力とかいろいろあったこともあり、
お母さんはこんなに悲しんでいるんだよ・・・アピールしていた時がありました。
敢えてというより、意識しなくても出ちゃっていたのですが。
ケン太にはこのくらいアピールしないとわからないだろうくらいに思っていました。
それでいいんだと思っていました。
何度ケン太の前で泣いたかわかりません。
でも、ますます反撃が凄くなってしまって。
私の涙に火がつくのです。
私の涙でケン太は傷ついていたのです。
それを見たくないから反撃したのだと思います。
精一杯、そうやって自分を守っていたのでしょう。
強がっているようにみえたけど、
その裏はものすごく繊細でした。
悲しんでいるアピールしたほうがいい子もいると思いますが
ケン太には逆効果だったようです。
不登校になってから、ある時、考え方を変えた。
今は、俺は不登校になっていなければ出来なかったことが出来ている。
今、俺は幸せだと思う。
自分のことも好きだ。
弱音を吐きたくないケン太らしい言葉です。
こういう言葉を使うので、傷ついているようにみえないんですよね。
当時どこまで本当だったのか・・・
そう思い込もうとしていたのか・・・
でも、傷つきやすいから、そうでない自分になろうとする。
なっていると暗示する。
そうするから、そうなってもいく。
弱いから強くなれる。
それもケン太かなと思います。
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