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21日の祝日。ケン太は職場の同僚の家に遊びに行きました。
まあまあの距離です。
家に遊びに行くほどの親しい同僚がいるんだなぁと思っていましたが、
ひとりではなく、行ったのは3人。
その同僚の家で、ずっと麻雀をやっていたみたいです。
つまり4人、必要だったわけね(笑)
ケン太、帰ってきて「あ~疲れた~」と言ってました。
お疲れ様です
ケン太の食事の後片付けですが、まだ続いています。
それはいいのですが、まあ、どうにかして最小限にしようと彼は必至です。
洗う器を増やしたくないために、サラダとか手をつけないで、ラップかけて冷蔵庫に入れてしまったり、
味噌汁は、自分が最後だと鍋も洗わなくてはいけなくなるので、
「俺が最後なら俺の分、最初から作らなくていいから」と言う。
仕方がないので、主人の翌朝の味噌汁を含め、最近は4人分作っています
麺類の時は、ケン太の嫌いな編み目がついているザルを洗いたくないので、
「お湯切りはいいから、麺はすくって入れて。ザルは絶対使わないで」と念押しされる
ザルを洗うと手を怪我するそうな(網と網の隙間が気になって力が入るため)
そして、洗い物はシンクの中のものだけ。
鍋はシンクの中だけど、蓋や菜箸などがガス台に乗ったままだと、それは放置。
私が使ったコップがシンクに入っていたとしたら、それは自分の物ではないので洗わない。
水を張っておいてくれる時もあるけど、そこまでするなら一緒に洗ってくれてもいいのにね
ついで・・・という言葉、知らないの?
「今日のご飯、何?」と聞いてきて、洗い物が多そうだったら「変更聞く?」と聞いてくるときも。
気にしないで洗う日もあるけど、気乗りしない時はなんとか最小限にしようとする。
なんだかなぁ~ですよ。
洗うお皿が、1枚、2枚増えることがそんなに嫌ですかね?
習慣になったのはよかったと思いますが、
やらされてる感が半端ない
お皿を減らすことで、摂取する食品の数が減ったりして、
栄養面を考えても、複雑な気分
元々、交換条件で始まったことなので。
やらされてやる・・・とこうなるわけですね
でも、お皿をなるべく少なくするとか、洗いやすいように、洗剤を垂らして水を張っておくとか。
これまで意識がいかなかったことに意識が行くようにはなったと思う。
なんらかの成長はあるわけです。
そう思うことにします
「みぃみ、疲れてそうだね。俺、片付けするよ」
そんな日は来そうにないけど(笑)夢は見ておこうと思います
先ほど、ケン太が帰ってきましたが、久しぶりに酔っぱらってました
まん防解除記念で、職場の人達と飲んでいたみたいです。
いきなり、7人で(もしかして、全員じゃないですか?)
「うい~」と大声をあげたり、意味もなく笑ったり・・・とても楽しそうです
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消えてしまった幻の記事、多分、お昼前に消えたと思うんです。
読まれていない方の方が多いと思うので、記憶を辿って、掘り起こしてみようと思います。
久しぶりに真面目に書いた記事でもあったので
画像も再び・・・
お彼岸なのでお墓参りに行ってきました。
ケン太は仕事なので、主人と二人で。
帰りに、お花とお菓子も買ってきて仏壇に供えました。
(すでにほぼ3人のお腹に収まっています)
ここ最近、「認知症」に関することもこのブログで触れてきました。
いくつかの資料をダウンロードさせてもらったので、メルアドもたくさん届くようになりました。
「認知症専門リハLAPRE」
「認知症リハ協会」
「バランス医療研究所」
「あんしん」
「JDR大学限定メルマガ」
大元はひとつなんですが、認知症に関わる「心」「脳」「内臓」「筋肉」「食」など?各分野ごとに、それに携わっている方々が発信されています。毎日のように発信されているので、なかなか読むのが大変です
「JDR大学」はこれまでのセミナーや、症状別のリハビリなどの動画が公開されているのですが、初回、100円だったので、1か月で全部、視聴してやろうと意気込んで申し込みしましたが、無理でしたね。まあ、そんな上手くいくわけないですが(笑)
結局、3カ月間、会員でしたが、たくさんの興味ある情報を得られたので満足しています。
ノートも約1冊分、とりました。頑張りました(笑)
私は、認知症患者と接する医療従事者、介護従事者でもなく、認知症の家族がいるわけでもない。切羽詰まっているわけではないので、後は、メルマガとYouTubeで情報を得て、予防できればと思っています。
先日のメルマガで、「これは子育てにも当てはまるな」と思った内容がありました。
今日はそれを紹介したいと思います。
認知症の家族を改善するためには「客観的」にみることが大事だということ。
認知症の方が来院される際、お子さんが付き添われるケースが多いようですが、
「昔の母はこんな人だった・・・」「〇〇することもできたのに・・・」
そんな話をされる方が多く、一個人ではなく、自分からみた母親像を持っている。
どうしても、自分が子どものころのお母さんの姿を思い出し、その時の感情が乗っかってしまい、「客観的」にみることができず「主観的」になってしまう。
これが認知症にいいと聞いたら、どうにかしてやらせようと強要してしまいがち。
それで本人を怒らせてしまったり、かえって逆効果になってしまうことも。
家族だからこそ、適度な「距離感」を意識することは大事。
どうしても自分の「母親」と思うと、母としての役割が付属してしまい「お母さんはこうだ」となってしまうけど、いち個人としてどうなのか?親としてではない別の一面にも目を向けてみる。
主語を「お母さん」から「〇〇さん(名前)」に変えてみるといい。
そうすると、もう少し「客観的」にみることができるはず。
これは、子育てにも当てはめると思います。
いい方向に向かうように、あれこれ指示したり、価値観を押し付けたりしてしまう。
我が子が、それに反発して、自分の部屋に閉じこもってしまったりして・・・
親子の信頼関係が崩れてしまうことも。
我が子のためと思って、やったことなのに・・・
「客観的」にみること。
「距離感」を意識すること。
子育てにもとっても大事なことではないかと思います。
昨日の夜、記事をアップしたはずなんですけどね。
どこにも見当たりません。
今、気付きました。すでに夜。。。。
ブログ村のランキングの最新記事としてタイトルと画像が表示されているのにね。
これが表示されているということは「公開」はされたはず。
何処に行ってしまったんでしょう
もしや、自分で間違えて消してしまった?(電車の中でいじっていたので)
まあ、気にしないで次、いきますか
ケン太ですが、最近、まったく車の運転をしていません。
運転する気が全くないケン太なので、最近は「運転する?」など聞くこともなく、私が運転をしています。
耳鼻科で定期的に薬を処方してもらっているケン太ですが、その耳鼻科にも私が運転して連れていっています。
病院まで、徒歩であれば30分の距離です。電車を利用するなら1駅ですが、徒歩10分→電車→徒歩10分、同じく30分かかるでしょう。
ほぼほぼ近所の方は、車で往復しています。
すると友達が「ケン太君はひとりで行かないの?」と。
そして「私は、自分で行ってもらう。病院代とか払わされても嫌だし」と。
完全に「ちょっと過保護じゃない?」が含まれていましたね
「ずっと待ってるんだよね?私、行ったとしても、一旦、帰って、終わったら迎えに行く」
「予約診療だから30分くらいしかかからないし。一旦、帰っても、またすぐ迎えに行かなくちゃならないから、面倒だもん。待っているよ」
「そう・・・」
なんか、納得がいかない?ようでした。
いやいや、ケン太が車を運転するのなら、ひとりで行かせますよ。
私は運転手として同行しているだけです。
もし私に予定が入っていたら、ケン太はひとりで行くでしょう。
それだけのことです。
友達の娘ちゃんは、車の運転が大好きで、何処に行くのも車で行きます。
首都高もバンバン。遠出もまったく問題なし。
そりゃあ、娘ちゃん、ひとりで病院に行くでしょ。
運転できるか、できないかの差でしかないと思うけど。
違う?
同行するのを過保護というのなら・・・確かに傍からみたらそう見えると思うので、
それはそれで認めますが、
でも、友達に言われるのはちょっと・・・というところが
だってね。友達の方がずっと過保護なんです。
それは友達も認めています。
先日、娘ちゃんに「ママ、私のこと3歳児だと思っているでしょ?自分で出来るから大丈夫!」って言われたばかり。
「どうしても、やってあげたくなっちゃうの。子どもってそういうもんだよね」と。
今は友達も自覚して、少しずつ手を離すようにはしているみたいだけど、
以前は学校から帰ってくる時間を見計らって、子ども部屋の冷暖房をつけてあげたりしていましたからね。全てにおいてお姫様待遇。
今も娘ちゃん(23才)は、ひとりで寝れず、ママの部屋に布団を持ってきて一緒に寝ているそうな。
部屋のテレビを娘ちゃんに占領されてしまい、自分の好きな番組がみれないのが友達のストレス。
でも、それは言えず。ひとりになれる時間がないと嘆いています。
娘ちゃんに「買い物つきあって」と言われ、買い物に行き、娘ちゃんに服を買ってあげることもあるそうで、それを愚痴ることもありました。治療代より、ずっと高いのでは?
私の過保護は認めるとしても、
そんな友達に過保護扱いされのが、腑に落ちないというか、不思議で仕方がなかったです。
だって、総合的な判断をすれば、過保護王は間違いなく彼女に決まりなはずなのに。
彼女もそれに異論はないはず。
なのに何故???ですよね。
「我が子が出来ていることが出来ない」ことに対する違和感が強いのかな?
日頃から「こうであるべき」が強くて、人に求めるものも多いように思う。
病院に同行して、そのまま一緒に待とうが一旦、帰ろうが、その人の自由だからぁ。
そこまで問題にしなくていいよね?
車で送る、送らないも、それだけで判断すべきでないと思う。
これまでのいきさつとか、その時の状況とかね。
それぞれの考えもあると思うし。
「否定」から入られたら悲しいので。
まずはお互いを「尊重」できたらと思います。