モーリの切り絵を楽しむ!!

切り絵をやっています、モノクロに拘って作品を創作しています。
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無事カンボジアから戻りました!!

2015年02月10日 | 旅行
この時期はカンボジアは乾季で気温も33・4℃と湿度も少なく2月はベストシーズンとかで妻の希望です。
妻の2月2日「誕生祝い」を兼ねたプレゼントにしました。  流石に妻も疲れた様子でしたが嬉しそうでした。
4月には40℃を超す日も多く、6月以降は雨季で湿度が多くて、雨で遺跡を歩くのも危険とかで殆ど観光客が来ないそうです。

◆ハノイとハロン湾
5日のハノイは最高気温が10℃と日本と変わらずその寒さにビックリで、ダウンをそのまま着用する。
ハノイ空港へ着いて集合するまでメンバーの人数も判らない、添乗員の付かないツアーです。
総勢18名と小人数グループの旅です、旅慣れた人が多く50代~77歳までとリタイヤ組夫婦(7組)と友達連れ(2組)
●ハノイ市内の観光
 まあ市内の観光に葉バス移動と歩行1.5時間と雑然とした街並みそしてバイクの氾濫した道路を歩くのすから、危険が一杯です。
 絶対に急がないでゆっくり道路を横断すれば梅きうは止まってくれるとの事ですが、高齢者には怖い歩く観光でした。
●ハロン湾観光(2日目)
 日本を発つ前日まで体調が悪く食欲も無かったもですが、5日から3食取り、体力も戻って来ました。
 ハロン湾クルーズは「桂林の水墨画の世界」と云ってますが、イメージは何となく小さな桂林そんな感じです。
 この日は曇り空でお昼近くから太陽も顔を出し、ゆったりとしたクルーズを楽しみ、シーフードの昼食は、もう完食です。
 観光後、飛行機でシェムリアップへ移動、添乗員がいないので、自分達で登場手続きそして入国申請等面倒です。
 特にVISAは日本で済ませているのですが、多くの人がVISAにの申請に並んで出てこない。
 1時間近く経って出てくる、自分達は一番先頭に出ていたので、トランクの回収と人数チェックを済ませてやっと現地案内人の待つ出口に向かう。

  

◆アンコールワットとアンコールトム等(3日目・13000歩)
●暁のアンコールワット(ヒンズウ教)
 朝の4時40分にホテルを発ち、真っ黒なアンコールワットへ・・。
 バスがついても周りが暗くてライトが無いと歩くのも大変、妻が観仏の時使ってるライトを借りて足元を照らしながらの移動(妻はくらいと足元不安と参加せず)
 アンコールワットには5時30分頃到着するも、日の出が6時30分頃なので真っ黒な中で待つ。
 少しづつ東の空が明るくなってきたので、広い広場からシャッター音が聞こえる。 暁の時間は一瞬でどんどんと空が白くなる。
 シャッターチャンスは数分しか無く、やはり難しいですね。
 一旦ホテルの戻り、7時30分頃から朝食を取り、8時30分からアンコールトムへ出掛ける。
●アンコールトム(仏教)
アンコール・トムは一辺3kmの堀と、ラテライトで作られた8mの高さの城壁で囲まれている。
外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門でつながっている。
各城門は塔になっていて、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施されている。
また門から堀を結ぶ橋の欄干には乳海攪拌を模したナーガになっている。またこのナーガを引っ張るアスラ(阿修羅)と神々の像がある。
遺跡の観光ですからただひたすらに有るく、狭く段差の激しい通路・手摺の無い階段等高齢者には辛い観光です。
妻も杖をつきながら本人の希望で来たので必死で歩くもいつも最後尾で、着く頃には説明半ばで移動と・・。
気温も33℃と暑く、水分補給を取りながら(湿度が無く不快ではなく、殆ど汗もかかない)
レストランで昼食後ホテルへ戻り昼寝(約1.5時間)して次のアンコールワットへ
      

●アンコールワット
12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月を費やし建立される。
1431年頃にアンコールが放棄されプノンペンに王都が遷ると、一時は忘れ去られるが再発見され、
アンチェン1世(フランス語版)は1546年から1564年の間に未完成であった第一回廊北面とその付近に彫刻を施した。
孫のソター王(フランス語版)は仏教寺院へと改修し、本堂に安置されていたヴィシュヌ神を四体の仏像に置き換えたという。
朝と違い多くの観光客が集団毎に移動しています。  狭いですから歩くのも大変です。
説明も程ほどに、遺跡を見るため為に移動を重ねる・・・、歴史的世界遺産の一つとして今も静かに佇んで歴史の重さを感ずる。
内戦や諸国との戦争に明け暮れ、今はカンボジアの安定に伴い、各国が協力して修復を行っており、周辺に遺された地雷の撤去も進んでいる。

●アンコールクッキー((日本人経営)
特にお土産が無いので、日本人の経営するクッキー屋さんへ・・、狭い店内は多くの日本人の観光グループで混雑し、精算が間に合わない様子。
ただアンコールワットの形をしたココナッツクッキーですが人気が有る様です。
●夕食は宮廷舞踊「アプサラダンス」を鑑賞しながらのバイキングでした。
●夜に希望者が全身マッサージへ(料金15ドル・チップ5ドル)
 自分を含め7人ほどがこのマッサージを受け夜の10時過ぎにホテルへ戻る。

◆バンテアイスレイ・ロリュオス遺跡等(4日目・18600歩)
流石にこの日も34℃と暑くて皆さんも連日の遺跡巡りでお疲れの様子。
妻も何とか疲れながらも必死で歩いて追いて回る・・。
バンテアイは砦、スレイは女で、「女の砦」を意味する。大部分が赤い砂岩により建造されている。
規模こそ小さいが、精巧で深くほられた美しい彫刻が全面に施されている。こうしたことから観光客には大変な人気があり、「アンコール美術の至宝」などと賞賛されている。
中でもデヴァターの彫像は「東洋のモナリザ」とも呼ばれている。

  
  

ロリュオス遺跡等の破損がひどく、修復中の所が多い・・。
子供達が必死でお土産品等を売るのに声を掛けてくる、「一つ10ドル・、高いと云うと2個10ドル?まだ高いと云うと3個10ドル?」
国としても貧しく、観光しかないので、親の稼ぎよりも子供達の稼ぎが多いようです。(アジアの何処も似たような感じです)
4個1000円(5個10ドル)と米ドルと日本円の両方を使えるとアピールしてくる。
何処でも日本人は良いお客様だそうです・・。

◆帰国
4日目の夜20時30分発のシェリムアップからハノイへそしてハノイから0時20分発の飛行機で日本へと
成田には9日の6時40分頃到着。 朝の成田の気温がー1℃と真夏から真冬へと(温度差35℃)寒いです。
添乗員がいないので、自分達で搭乗手続き「スル―バッゲージプリーズ ツ ナリタ」ハノイではトランジェントで乗り継ぎ・・。
それでもハノイで入国しそうな人もいるのでトランジェントへ誘導する。

剪画(切絵)のイメージから見ると作品化はかなり難しそうですが、楽しく観光して沢山食べて来ました。
何せお腹がすく事をしっかり思い出しての帰国ですから体調も戻ったようです。
コメント (1)
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