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雨宮処凛「生きずらい女子たちへ」痴漢や嫌がらせに対してできること〜「傍観者」をやめてみませんか

2020年11月06日 | 社会・経済

imidas連載コラム 2020/11/04

 10月11日の国際ガールズデーに公開されたある動画が話題だ。

 それは「#ActiveBystander=行動する傍観者 」。

#ActiveBystander=行動する傍観者

 脚本を担当したのは、ジェンダー問題についての著作が多くある作家のアルテイシアさん。盗撮する男や、すれ違いざまに女性の胸を触る男、わざとぶつかる男、職場の飲み会でセクハラする男などが登場する。動画の主人公は被害者でも加害者でもなく「傍観者」。そんな傍観者が些細なことでもアクションを起こすことで性暴力のない社会に近づくというメッセージが多くの反響を呼び、動画はすでに200万回以上再生されているという。

 女性にとっては、「うわー、こういうのよくある」とうなずく場面が盛りだくさんの映像だろう。最近も、愛猫のぱぴちゃんを動物病院に連れて行った帰りのバスの中、バスを降りる男に思い切りぶつかられた。わざとということはすぐに分かった。男は、「邪魔だ」というような言葉を口の中でうめきながら体当たりしてきたからだ。とっさのことに何もできず、わざとぶつかられたと気づいた時にはバスの扉は閉まり、すでに動き出していた。

 不意打ちで殴られたような衝撃に全身がカッと熱くなった。怒りがこみ上げたが、自分に何かできたかと言えば、見ず知らずの人に威嚇しながらぶつかってくるような男に関わるなんてリスクの高い行動、とてもじゃないけどできるはずがない。その上、こちらは猫を連れた身。もし猫に何かされたらと思うとそれだけで足がすくむ。

 よく、子連れの女性が「ベビーカーが邪魔だ」と暴言を吐かれたりしているが(子連れの男性は決してそんなことは言われないのに)、そのようなことをする男は「守らなくてはいけない存在と一緒にいる女」は絶対に反撃してこないと分かってやっている。そう思うと、その卑劣さと、「明らかに自分より弱いものにしょぼい威嚇行動をしないとやってられない一部男性」のヤバさに目の前が暗くなってくる。

 このように、残念なことだが公共交通機関には、「不機嫌な男」「意地悪な男」が山ほどいる。もちろん、不機嫌で意地悪な女性もいるが、東京に出てきて30年近く、これら「不機嫌男を搭載した乗り物」では数え切れないほど嫌な目に遭ってきた。

 例えば数年前、初めてぎっくり腰になった時。数カ月間は腰が痛すぎてマトモに立っていることもできず、一度座ったら立つまでに異様に時間がかかるようになってしまった。一言で言うと、動きが完全に後期高齢者になってしまったのだ。しかし、見た目はそうは見えない。そんな人間が電車なんかに乗っていて、降りる時なんかにちょっともたついたらどうなるか。もう、全方向から舌打ちの嵐である。

 腰が痛い。だから普段のようにテキパキ動けない。そんな自分に360度から浴びせられる舌打ちや聞こえよがしのため息。その主は、全員が男だった。自分が弱者性を帯びた途端、見える景色はこれほどに変わるのかと私は心底驚いた。もし、ぎっくり腰がこのまま治らなかったら、もう東京で暮らすの無理かも……。この時、本気でそう思った。

 動きが「都会仕様」でなくなった途端、これほどの仕打ちを受けるのだ。これじゃあ高齢者になったら、外になんか出られないのではないか……。それ以来、お年寄りにはできるだけ優しくしようと心がけている。

 この経験は、私に確実にトラウマを与え、行動も制限した。

 それを痛感したのは昨年(2019年)春のこと。4月に14年間ともに暮らした愛猫・つくしをリンパ腫で亡くしたのだが、亡くなる少し前から、近所の動物病院ではなく猫専門の病院に通うようになった。

 しかし、その病院は遠かった。電車と地下鉄を乗り継ぐと1時間近くかかる。当時の私は猫の病気がショックすぎて食事も喉を通らず、いつ倒れてもおかしくないくらい体調が悪かった。そんな私が病気の猫を連れて電車や地下鉄に乗って、自分が倒れたり、具合の悪い猫が吐いたりしてしまったら……。とてもじゃないけど、「誰か助けてくれる」なんてイメージは持てなかった。逆に自分や猫の粗相を罵倒されるという予感しかなかった。

 タクシーで行くという手もあった。往復1万円近くかかるが、金銭的な面とは別に、どうしても気が進まなかった。なぜなら、これまでタクシーで運転手にひどい目に遭ったことも数知れないからだ。

 もっとも酷かったのは、初めて行く親戚の家に向かうために千葉で乗った個人タクシー。住所を告げた途端に「住所なんかじゃ分からない!」と高齢の運転手はキレまくり、こちらが何を言っても怒鳴りまくった果てにハンドルをドンドン叩き出して「分かるわけないだろう!」と脳天から突き出すような声で絶叫。よく分からないルートを散々走られた上、最終的には豪雨の中、どこだかさっぱり分からない場所で降ろされた。

 怒りを通り越して、半泣きだった。もちろん、料金もきっちり取られた。もし、病気のつくしを連れた状態でそんな「地獄の暴言タクシー」を引いてしまったら、つくしの命を縮めてしまうことになりかねない。その時、心から思った。「赤の他人、特に男性全般を信用できない世の中って、これほど生きづらいのか」と。

 結局、免許のない私は、友人の車で遠い病院に連れて行ってもらったりしていたのだが(それもほんの数度で、つくしはすぐに亡くなってしまった)、その時、思った。ああ、自分がマッチョで強い男だったら、例えば闇金ウシジマくんみたいな見た目だったら絶対にこんな心配しなくていいのにと。タクシーの運転手にも、偶然電車に乗り合わせた男にも、決して傷付けられたりはしないだろうと。少なくとも、罵倒されることは絶対にないだろう。

 さて、ここまで延々と「公共交通機関、並びにタクシーの恐怖」について書いてきたが、そんな話を男性にすると時々驚かれる。「満員電車は最悪だが、そこまでの嫌な思いをしたことはない」「特にタクシーなんかでそんな目に遭うなんて信じられない」という声をよく聞くのだ。

 ああ、やっぱり同じ乗り物に乗りながらも見えている世界が違うのだなぁと痛感する。が、これが70歳以上の男性になると、「自分もしょっちゅうぶつかられる、あれ絶対わざとだよね!」と「あるある話」に発展したりする。どうやら男性でも「年寄り」と判断されるとナメられるらしいのだ。そう思うと、わざとぶつかってくる男の卑劣さにより怒りがわいてくる。

 さて、公共交通機関に潜んでいるのは不機嫌、意地悪という妖怪だけではない。

「痴漢」という犯罪者もわんさかいる。ちなみに北海道の田舎出身の私は、18歳で上京するまで痴漢とは無縁の日々を過ごしていた。電車通学の経験などなく、夏は自転車、冬はバス通学。そのバスが仮に混んだとしても、田舎ゆえ乗り合わせる人は全員「〇〇さんとこの息子さん」「〇〇ちゃんのお父さん」と最初から思い切り身バレしている。こんな場所で痴漢をするということは、即「村八分」を意味するどころか、孫の代まで「変態の家」というレッテルを貼られ、子孫が後ろ指をさされ続けることと同義だ。

 そんな私が上京して驚いたのは、「痴漢は本当に存在する!」ということだった。

 それまで、どこか都市伝説のように捉えていたのだ。それほどに「ありえない」存在だった。しかし、それは満員電車の中、どこからともなく現れた。精神的なショックと不快感、拭っても拭っても取れないような汚らしさに「これが都会女子が言ってたやつか……」と愕然とした。そんな痴漢の中でももっとも衝撃だったのは、身動きもできない電車内で触りまくってきた果てに、私が電車を降りる時に一緒に降りて腕を掴み、「遊びに行こう」と誘ってきた男の存在だった。19歳の頃だったと思う。

 それは初めて、痴漢が「触ってたの俺だよ」と目の前に現れた瞬間だった。痴漢は恥ずべき痴漢だというのに悪びれた様子もなく、当たり前のような顔で私を誘うのだった。

 一瞬ぽかんとしたが、腕を振り払って逃げ出した。心臓がバクバクして、膝から崩れ落ちそうなのを我慢して足早に歩いた。痴漢に声をかけられたこともショックだったが、その痴漢が20代のおしゃれっぽいサラリーマンで、おそらく世間的には「イケメン」の部類に入るだろうこともショックだった。そんな一見「ちゃんとした大人」に見える人が10代の自分に痴漢という犯罪行為をし、悪びれもせずに誘ってくることにまたまた衝撃を受けた。

 その男の中では、痴漢とは「ナンパのきっかけ」くらいのものなのだろうか? それとも、痴漢→触られて女が欲情→声をかけてそのままホテルに、というような、都合の良すぎるエロ漫画みたいな世界観で生きているのだろうか?

 今の私であれば頷くふりをして一緒に歩き、駅員に「痴漢です」と突き出すだろうが、当時はただただ混乱と衝撃の中にいて、逃げ出すことしかできなかった。それにあの時、もし「痴漢です、助けて!」と声を上げたとして、誰か助けてくれただろうか?

 きっとあのような「デキるタイプの男」は「まあまあまあ」とか余裕な顔で笑って、誰も私の言い分なんて信じてくれないのではないだろうか。私は「傍観者」のことが、今も昔も信じられないのだ。

 だけど、そんな傍観者にだからこそできることがある。そう教えてくれるのがこの動画だ。ほんの些細なことでいい。別に加害者を叱りつけたり警察に突き出さなくていいし、被害者を命がけで守らなくていい。ただ、見て見ぬふりをせず、その場でできることを勇気を出してしてみるだけで、被害者を少し、救うことはできる。

 上京して、30年近く。心のどこかで、見て見ぬふりをし、傍観者でいることが「都会の大人のたしなみ」みたいに勘違いしてた。だけど、そんな作法をして何かがよくなったかと言えば、加害者に「あ、これやってもOKなんだ」という成功体験を与えただけではないだろうか。「誰も助けてくれない」社会で生きられるほど、私たちは強くない。

 これからは、少なくとも「見て見ぬふり」はしないでおこう。

 動画を見て、改めて、思った。


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