3月中旬、新宿区の公園のアーチ状のベンチがSNSに投稿されると、「横になって寝させないためか」「ホームレス対策か」「お年寄りや子どもには危険」「誰にとっても座りにくい」「弁当や飲み物も置けない」といった批判が噴出。
「排除ベンチ」「意地悪ベンチ」という指摘も続出していたが、それに対して新宿区の吉住健一区長は「ホームレス対策ではなく住宅地における夜間の騒音防止です 地元からの苦情はありません」と投稿。
さらに、新宿区内の様々な座りにくそうなベンチの画像をアップするなど、挑発的な投稿を繰り返していた。
では、実際にはどういった目的で設置されたベンチなのか。新宿区は「座りにくい」「意地悪」「排除」といった批判をどう受け止めているのか。新宿区みどり土木部みどり公園課長・小菅健嗣氏が回答をくれた。
その公園の環境により使い分けられているベンチの形状
まず、アーチ状のベンチ設置の目的については、住宅地に隣接した小規模の公園が多く、地域住民の生活に密着しているという特徴があるとして、こう説明する。
「区は、公園を訪れる皆さまに気持ちよく適切にご利用いただき、地域住民の方々が平穏な日常生活を送っていただくことが大切と考えています。
しかしながら、区内の公園においては、立地によって、周辺の繁華街から流れてくる利用者が、夜間から早朝にかけて長時間にわたり園内で飲酒し大声で騒ぐ、ゴミを散乱し放置する等の不適切な利用が散見されることから、区では地域の実情に合わせ、設置する施設の形状を工夫するなどの対応をしているところです。
ご指摘のさつき児童遊園のアーチ状のベンチは、腰を掛けて座ることができる一方で、こうした長時間の利用を抑止するために、平成8年1月に設置しました」(新宿区みどり土木部みどり公園課長・小菅健嗣氏 以下同)
新宿区立公園では、類似のベンチは件のさつき児童遊園のほか、4ヵ所の公園に計10基が設置されている。新宿区独自のものではなく、他の自治体でも設置されているそうだ。また、このベンチについては、「誰にとっても利用しやすいベンチを設置すべき」という意見がある一方、「ベンチの形状はとても良い」という意見もあるという。
「区としては、利用者の方々のご意見を踏まえて公園づくりを進めることが重要と捉えていますが、その一方で、地域住民の方々の住環境を維持することも大切と考えています。
こうした理由から、アーチ状ベンチを設置していること、また、今後もこうした不適切な利用を抑止する観点から、現時点では形状を変更する予定はありません。
また、区では、新宿中央公園のように大きな面積で住宅に隣接しない公園については、背もたれがあり、ゆったり座ることができるベンチを設置しています。
今後は、公園の利用状況及び地域の要望などを踏まえ、様々なご意見があることも参考にしながら、ベンチの形状等を検討してまいります」
ちなみに、アーチ状のベンチの設置は、ホームレス対策ではなく、「ホームレスについては、自立支援センター等の職員と連携して対応しており、巡回や声掛けを行い、福祉相談や施設入所などをご案内することにより自立に向けた取り組みを行っています」と補足する。
「誰に対しても良くない《失敗ベンチ》、《出来損ないのベンチ》」
しかし、東北大学大学院教授で建築史家の五十嵐太郎氏はこんな見解を語る。
「話題になった新宿区のベンチは、目的はどうあれ、単純に座りにくいですよね。
ただし、『排除』というと、特定の誰かをターゲットとして何か仕向けているという意味を持ちますが、あのベンチの方が座りやすい人は、正直言って逆に想像つきません。
新宿区長が他にもいろいろ新宿区内のベンチの画像を投稿していましたが、どれも座りにくい、長居したくない、座りにくいベンチのイメージでした。
ただし、こうしたアーチ状のベンチ自体は、アメリカでは’80年代くらいから存在していたことが文献で確認されており、日本でも20年くらい前から類似のものがあったという。
担当者が変わり、当初の意図が分からないまま引き継がれていく…
では、「排除」など何らかの意図を持つベンチやオブジェが設置されるようになったのはいつからか。わかりやすい例として、五十嵐教授は’96年、東京都が新宿西口に動く歩道を設置したときを挙げる。
「東京都がダンボールハウスを強制排除した時期がありましたね。
名目は歩く歩道を設置する工事のためでしたが、工事後にダンボールハウスがあった場所には、円筒状の先端を斜めに切ったオブジェが置かれました。
斜めになっているので、それを見て座ろうとは誰も思わないですよね。
また、新聞記事で確認できる一番早い例は、’90年代半ばのものです。
当時の新聞報道を見ると、最初に記者が新宿区に取材した際には、ホームレスがいなくなるようにとはっきり言っていましたが、同じ記者が1ヵ月後ぐらいにまた問い合わせると、環境整備でやっていますとしか言わなくなり、説明が変わっていることが確認できます。
そのオブジェ自体は今存在しませんが、新宿区は最初は正直に目的を言っていたのが、その後はオフィシャルには言わなくなったんですね」
加えて、役所の場合、担当者が代わっていく事情もあるそうだ。
「例えば’20年11月、幡ヶ谷で、ベンチで寝ていたホームレスの女性が殺された事件の後、神戸新聞社が僕に問い合わせてきたことがあったんです。
橋の下の平らな面に、ギザギザした石がいっぱい置いてあって、それが見るからに橋の下で雨宿りできそうなところに寝転ぶことを拒否するための形に見えるということでした。
それを調べている新聞記者がいて、問い合わせると、前任者が代わって10年ぐらい経つから、なぜかよくわからないといった回答だったんですね。
たぶんそれは本当なんでしょう。自治体も、最初に導入するときは意図があってやるけれど、そのうちなぜこういうものを使っているかもよくわからず、ルーティンで使っているだけのことは結構多い気がします」
さらに五十嵐教授が懸念しているのは、その後のことだ。
「特定の役割を持っていそうな形のベンチを置くと、それでツッコまれるので、『苦情が出るぐらいなら最初からベンチなんか置かなきゃいい』となっていく可能性があります。そうすれば文句も言われなくなりますからね」
テロ対策で、駅や街中のゴミ箱が消えた。同様に、ベンチも座りにくいものがデフォルトになりつつあり、日本では普通の光景になっているが、
「最近、ドイツや韓国に行きましたが、車内でもホームでもゴミを捨てるところがありましたし、ベンチも普通のベンチでした。それを見て改めて『そうだよな』と思いました」
と五十嵐教授は話す。
いつしかベンチ自体なくなり、気づいたら公園に何も残らないなんて怖い事態も起こるのではないか。
「実際、公園が迷惑施設に今はされていますからね。子どもの声がうるさいというクレームがくるため、すべり台など、子どもが喜んで遊ぶ遊具や子どもが集まる水場などを撤去する動きもあります。
公園自体を廃止する動きもありました。その代わりに高齢者用の健康増進施設は全国的に増えているそうです」
新宿区も説明しているように、座りにくいアーチ状のベンチは他の自治体でも採用されている。また、幡ヶ谷の事件があったバス停のベンチも、実際に現場に行ってみると、奥行きが非常に狭い、大人だったら誰にとっても座りにくいモノであることがわかる。これも製品化されているため、どこのバス停にもあるものだという。
「それが普通になっているので、みんな意識していないけれど、こうした座りにくいもの、使いにくいものに、本当はちょっとだけ心が削られていると思います。
マクドナルドの椅子が微妙に座りにくいのは、回転率を上げるためとよく言いますが、そこは資本主義だから仕方ないとして、公共のバス停で同じことをやるかという話なんですね。
実際に新宿であのベンチを使っている人も、おそらく気持ちは良くないだろうと思います。
ただ、言語化されるほどではない。一応座れるからいいけど、ちょっと座りづらくて、長居したくないぐらいには心が削られてきているはずです」
他に、コインロッカーの上には斜めの板を渡して、モノが置けないようにしていることや、スケートボードができないよう手すりに突起をつけていることなど、「排除」の意図は随所に見られるそうだ。
「東京駅から大手町の外れの方まで、10分近く地下を通って行けるんですが、実は1ヵ所も座るところがないんです。
健康な身体の人にとってはあまり気にならないと思うけど、高齢者や妊娠中の人、障がいを持っている人などにとっては、10分歩いて1回もタダで座れるところがないんだな、と。もちろんカフェでコーヒー代を出せば座れますが。
誰だって突然気分が悪くなることがあるし、病気になることもあるのに、タダでは座らせないんです」
カタチがないものにも「排除」が…
カタチがないものにも「排除」はある。その一つが、若者にしか聞こえない周波数の音を流し、若者が集まるのを防ぐといわれる「モスキート音」だ。五十嵐教授は言う。
「商業施設は民間の場所なので仕方ないとしても、公園でも流しているところがあります。
少なくとも公園は誰でも行っていい公共の空間なのに、特定の年齢の人だけが居づらくなるようにするのはどうかと思います。
世の中ではバリアフリーとかSDGsとか聞こえのいい言葉が盛んに言われるのに、実はおもいきり排他的なんですよ。多くの人が公共性や、公園とはどうあるべきかみたいな理念を何も共有していないし、考えていないからこうした排除の流れになっているのだと思います。
新宿区のベンチに限らず、声をあげていくのは大切なことだと思いますよ」
(なお、文中の太線は取材・文:田幸和歌子氏による)
五十嵐太郎(いがらし・たろう)東北大学大学院教授。1967年フランス・パリ生まれ。1990年東京大学工学部建築学科卒業。1992年東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。’09年から東北大学大学院教授。ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展’08日本館コミッショナー、あいちトリエンナーレ’13芸術監督を務めた。著作に『現代建築に関する16章』(講談社現代新書)など多数。
取材・文:田幸和歌子
写真にあった二人掛けのベンチ、こんなところでは横にもなれないのにご丁寧に手すりまで付いている。ベンチにマッチした形状ならまだしも、まったくセンスもなにもない「排除」のための設置であることは見え見え。
だれが作ったのだろうねぇ。
「そんな座り心地の悪いものは作りません」て言えねえのかねぇ。
桜が咲く前に20℃を超えてしまった。
明日もさらに暑いようです。
園のようす。