「東京新聞」<論壇時評>2023年9月1日
一九二三年九月一日に起きた関東大震災から百年を迎える。関東大震災では、建物の倒壊や火災、津波などで多くの犠牲者が出たが、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という根拠なき流言を信じた日本人による朝鮮人虐殺も相次いだ。
ウェブ版「東京新聞」(八月十八日)に掲載された外村大(東京大学教授)のインタビュー(「関東大震災の朝鮮人虐殺にどう向き合うか 東大・外村教授に聞く」)では、虐殺が起きた歴史的背景が論じられている。
近代日本は、日清戦争・日露戦争を戦った。この両戦争は、いずれも朝鮮半島の利権をめぐるもので、勝利をおさめた日本は朝鮮に対する支配を進めていった。その過程で、日本に抵抗する朝鮮人の民衆蜂起が起き、日本はそれを「暴徒」と見なして弾圧してきた。「朝鮮に対しては、一貫して自分たちに従うものだという態度で接して」きた。
三・一運動をはじめとする独立運動に対しても、日本は「非論理的な暴徒の動き」と見なし、やがて朝鮮人によるテロ事件などが起きると、「朝鮮人=危ない人」というイメージが流布していった。関東大震災が起きた大正期には、朝鮮人が働く場所を求めて東京に流入してきていた。そのような中で、「自分たちの生活圏に、危険な人が入ってきている」という印象を抱いた人々は、震災時のデマが引き金となって、虐殺に及んでいった。
映画監督で作家の森達也は、九月に公開が予定されている映画「福田村事件」で監督を務めた。福田村事件は、関東大震災から五日後、千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)で、香川県から来ていた薬売り行商人十五名が自警団に襲われ、幼児や妊婦を含む九名が殺された事件である。行商人たちが讃岐弁で会話していたことから、朝鮮人と疑われたとされている。
森は「マガジン9」(八月九日)のインタビュー(「森達也さんに聞いた 負の歴史に向き合わなければ、また同じ過ちを繰り返す――映画『福田村事件』」)で、この映画を製作した動機を語っている。森は、地下鉄サリン事件後のオウム真理教を内部から撮影した「A」「A2」で知られる。森が衝撃を受けたのは、「世間では悪魔のように言われていた信者たちの一人ひとりは、驚くほど穏やかでやさしく、ごく普通の善良な人々」であることだった。それ以来、「なぜ普通の市民がこれほど残虐な殺人者になれるのか、ずっと考えて」きたという。
日常では良き家庭人である人が、何かのきっかけで一転して人の命を殺(あや)める。森いわく「人間は善良なままに、凶悪な行いができる生きもの」である。
森が注目するのは、「集団心理」である。人間は一人では生きることができない。常に集団を形成し、互いに協力することで生き延びてきた。しかし、「群れ」には副作用がある。「同調圧力」が起動すると、人々は集団の空気にのみ込まれ、行動がエスカレートしてしまう。個人としてのモラルや判断能力がきかなくなり、時に残虐なことを行ってしまう。「『私』『僕』といった一人称単数の主語を失い、『われわれ』『国家』などの集合代名詞に置き換わると、人はやさしいままで、限りなく残虐になれるのです」
森は、この映画の中で加害者側をしっかりと描くことに重点を置いたという。被害者側に立つことで観客の感情移入を促すと、加害者側が「モンスター化」してしまう。重要なのは、映画をみる私たちが、集団心理の中で個を失い、残虐な行為に及んでしまう可能性を見つめることである。加害者を私たちからかけ離れた犯罪者としてみるのではなく、集団化の中で残虐行為にのみ込まれていく群集の中に、自己を見いだすことが迫られている。
インターネット上のSNSでは、特定の人物に対する誹謗(ひぼう)中傷が起こり、時に死にまで追い込んでしまうことがある。匿名性が担保されている場合には、言葉はより過激になり、集団心理が働くと、攻撃性がさらに加速する。
関東大震災から百年後の世界は、集団化の暴力から抜け出せているのだろうか。我々(われわれ)の現在が、歴史から問い返されている。 (なかじま・たけし=東京工業大教授)
【関連記事】関東大震災の朝鮮人虐殺にどう向き合うか 東大・外村教授に聞く「事実として語り継ぐ」 小池知事の追悼文不送付は…
ブログの不具合が長期に及んでいる。
いまだ不十分な感じがする。
リアクションボタンの数字がなかなか出てこないなど。