その一例として、「教育による貧困」を挙げることができる。

 今日では、日本の大学進学率は51%に上っており、大学進学自体は決して贅沢ではない。しかし、日本は教育費の家計負担率が高いことで知られ、それが「隠れた貧困」を引き起こしている。

大学進学率の国際比較。出展:文部科学省。
大学進学率の国際比較。出展:文部科学省。

 高い学費が理由となって、世帯年収600万円の「ふつう」の生活を送ってきた4人家族であっても、子どもが大学に通うと生活保護レベルの生活水準になってしまう。なお、最新2019年の国民生活基礎調査の世帯年収の平均が552万円であるから、世帯年収600万円はちょうど平均より少し高いくらいだ。

 日本学生支援機構によれば、大学生や専門学校生のいる親世帯の平均年収は862万円だが、600万円未満の世帯は32%を占めている。

 今回は、この問題について詳しく見ていこう。

大学生がいる世帯年収600万円の家族は生活保護レベルになる

 世帯年収600万円の「普通」の生活を送ってきた4人家族であっても、子どもが大学に通うと生活保護レベルの生活水準になってしまう構図は次のようなものだ。

 まず、子どもを大学に通わせる場合のコストが高い。日本学生支援機構の「学生生活調査」(平成28年度)によれば、授業料のほかに、学習費、生活費、交通費など含めた費用の合計は、平均で年間188万円に上る。最も費用が高いのは、「私立大学4年制・自宅外通学」の場合で、年間約250万円だ。この金額を世帯年収600万円から引くと、残りは350万円~412万円程度。これが、生活保護基準とほぼ同等なのである。

 このように、年収600万円の4人家族で、一人が大学生になると、残りの三人の生活費は生活保護基準にまで落ち込んでしまうのだ。生保基準は近年引き下げられていることもあり、食費や光熱費などを切り詰めて節約しなければならず、貯金などはかなり難しい生活水準である。

 さらに、現実には世帯年収600万円を確保することも、容易ではなくなっている。共働きが増えているとはいえ、男性雇用者(35~39歳)の収入は、年収300万円~400万円が約19%、年収300万円未満が約21%と、合わせて4割程度にまで落ち込んでいる。

 その結果、この10年間の間に奨学金制度の利用や、大学生のアルバイトが急拡大してきたのだ。

奨学金利用数の減少とその背景

 ところが、その奨学金の利用も近年減少している。その原因は、奨学金制度の「借金」としての過酷さが世間に広がり、借り控えが起きているとみられる。実際に、学生の74.4%が返済に不安を感じているという。

 図2の奨学金利用者数の推移を見ると、奨学金の貸与人員は2013年度をピークに低下傾向にある。1998年の50万人から、2013年の144万人に至るまで職学金の利用者は急速に拡大してきたが、2018年には127万人まで減少している。なお、2013年から2018年まで大学等への入学者数はほぼ横ばいである。

図2 奨学金利用者数の推移。出典:文部科学省ホームページより。 
図2 奨学金利用者数の推移。出典:文部科学省ホームページより。 

 現在、大学生・短大生の37.5%が奨学金を借りており、平均借入額は324.3万円に上る。平均月額返済額は16800円だが、非正規雇用で低賃金であったり、「ブラック企業」の過労が原因で働けなくなったりなどして、たちまち返済が滞ってしまうケースは少なくない。そして、奨学金を延滞すると、厳しいペナルティと過酷な取り立てが待っている。

 実際に、奨学金を返済できず自己破産する若者が相次ぎ、保証人も返済できずに破産する「破産連鎖」も生じて社会問題化した。そうした中で、2020年度からは修学支援制度が創設され、授業料無償化と給付型奨学金が実現したが、対象となる世帯は年収270~380万円とかなり限定的だ。

 結局、年収600万円程度の「普通」の世帯の若者は奨学金を借りることをあきらめて、ますますアルバイトを増やす方向で進学を目指すようになっているとみられる。

コロナ禍で厳しい状況に置かれる学生バイト

 ところがコロナ禍で、頼みの綱である学生アルバイトも減収を強いられており、さらに厳しい状況に陥っている。今年3月に文科省が行った全国調査によれば、今年1~2月の緊急事態宣言発令中と、昨年10~12月(宣言未発令時)を比較して減収した学生が49.7%と約半数に上っている。

 本来、会社に責任のある理由で労働者を休業させた場合、会社は、労働者の最低限の生活の保障を図るため、少なくとも平均賃金の6割以上の休業手当を支払わなければならない(労働基準法26条)。新型コロナによる営業自粛は、原則的にこの規定の範囲内だと考えられる。

 一方、政府は雇用調整助成金の特例措置を拡充しており、大企業の場合、労働者に支払った休業手当の最大75%が助成される。さらに、緊急事態宣言への対応特例として、一定の場合に大企業に対する助成率が最大100%になる。これらの措置は学生のアルバイトにも適用されることが政府によってアナウンスされている。

 だが、こうした特例措置が取られているにもかかわらず、休業手当不払いが横行しているのだ。

 また、シフト制のように週当たりの労働時間が明確でない場合に休業手当の支払義務が生じるか否かについては、法律上、明確な決まりがない。シフトが確定した後に一方的にキャンセルされた場合には当然に「休業」に当たると考えられるが、シフトが決まる前の場合には、現状、明確な法律違反とまでは言い切れない。

 実際に、シフトが確定していない期間については「休業」に当たらないとして休業手当の支払いを拒む企業は多い。野村総合研究所が今年3月発表した調査によれば、今年2月の時点で、コロナでシフトが減少したパート・アルバイトのうち、女性の74.7%、男性では79.0%が「休業手当を受け取っていない」と回答している。

 そこで政府は、シフト制の場合にも、直近月のシフトなどに基づいて雇用調整助成金の申請が可能であると周知しているところだ。

 筆者が代表を務めるNPO法人POSSEや、学生たちが作る労働組合「ブラックバイトユニオン」には、多数の学生からの相談が寄せられている。例えば、都内の私立大学に通っていた学生は、昨年4月初めからシフトがなくなり、補償も全くなされなかった。7月に会社から電話があり、解雇を通告された。

 「4月から8月の休業手当は日々雇用だから支払義務はない」と会社に一方的に言われ、学生は「身勝手な言い分で、到底納得できない」と憤りを感じたという。この学生は実家暮らしで家賃などはかからなかったが、バイト代を自分の生活費に充てており、バイト代なしには大学生活を送れないと訴えていた。

 コロナ禍でアルバイトの休業手当不払いや解雇に遭った場合、個人で加盟できるユニオン(労働組合)に加入し、会社と交渉することができる。法律上、会社は労働組合との交渉を断ることはできず、交渉にはユニオンの専門家も同席する。この方法で学生のアルバイト問題も多くが解決している。

問題の背景-賃金低下と教育費高騰

 最後に、このような問題が生じる背景と対策について考えてみよう。

 第一に、最大の要因は、賃金の低下に伴う世帯収入の減少である。これまで主な稼ぎ手とされてきた男性労働者の賃金を見てみると、35~39歳では1997年から2017年の間に、400万円以上の層が76%から58%に減少したのに対し、400万円未満の層が23%から40%に増加している。このように賃金の大幅な低下がみられる。低賃金の非正規雇用や、正社員であっても賃金が上昇しないケースが増えているためだ。

 その分、子育て世帯では女性(母親)の就業率が高くなっているにもかかわらず、世帯の平均可処分所得は、1997年から2015年で97万円も低下している。つまり、賃金の大幅な低下が子育て世帯の収入減少を招いている。

 第二に、教育費負担が大きいということである。特に学費については、国立大学において、1975年には授業料が36000円、入学料が50000円だったが、2005年以降現在に至るまで授業料は53万5800円、入学料は28万2000円(現在は国立大学法人、いずれも標準額)と、授業料は14.8倍、入学料は5.6倍も高騰しているのである。私立大学においては、これ以上の負担を強いられていることは言うまでもない。

国立大学及び国立大学法人授業料と入学料の推移。出典:文部科学省「国立大学と私立大学の授業料推移」
国立大学及び国立大学法人授業料と入学料の推移。出典:文部科学省「国立大学と私立大学の授業料推移」

 文科省は授業料の標準額から2割増の64万2960円までの増額を認めており、実際に、2019年度からは東京工業大と東京芸術大が、2020年度からは千葉大、一橋大、東京医科歯科大が授業料の増額を行っている。東京工業大を除く4大学で上限いっぱいの2割増の金額となっている。増額の理由としては、外国人教員の招聘、語学教育の充実など教育と研究における国際化の推進などが挙げられている。

 さらに、文科省は国立大学法人の授業料「自由化」を検討しており、大学の裁量でさらなる授業料の値上げが可能になるかもしれない。

 こうして日本では、子どもを大学に通わせた途端に、「普通」の生活から生活保護レベルのギリギリの生活水準に陥ってしまうのである。そもそも、日本は世界的に見ても、教育に対する公的負担が少ない国である。従来、日本の高等教育費の公的負担のGDP比はOECD平均を下回っていたが、最新(2017年)のデータではようやくOECD平均に追いついたところである。これは2017年度の日本学生支援機構の給付型奨学金の創設のためだと考えられる。とはいえ、すでに述べたように対象は住民税非課税世帯であり、4人家族で年収380万円程度とかなり厳しい低所得世帯に限定されている。

学費の引き下げか、給付型奨学金の拡充を

 世界的には、①低学費、②給付型奨学金の二つが高等教育政策の柱となってきたが、その中でも日本は特異な位置を占めてきた。2020年度に修学支援制度が創設され、低所得層への授業料無償化と給付型奨学金が行われるまで、高等教育政策の二つの柱に取り組んでこなかった唯一の国だった。日本では授業料に収入を依存する私立大学の割合が高く、高等教育が早くから商品化されており、教育費は社会全体ではなく親が支払うべきものとされてきたからだ。以下の比較図を見れば、日本の高等教育政策がいかに低水準であるかがわかるだろう。

斎藤千尋・榎孝浩「諸外国における大学の授業料と奨学金」『調査と情報 No.869』国立国会図書館、2015年より引用。
斎藤千尋・榎孝浩「諸外国における大学の授業料と奨学金」『調査と情報 No.869』国立国会図書館、2015年より引用。

 上図は2015年のものであり、給付型奨学金の創設により、日本の公的補助はその後若干改善している。だが、その対象範囲は狭い一方で、従来通り教育という必須の社会サービスが商品化され、多額の自己負担を要することから、世帯年収600万円という平均的な家庭であっても、たちまち貧困に陥ってしまうことに変わりはない。

 高等教育が先進国でますます一般化していく中で、希望する誰もがアクセスできるようにするために、学費の減免や給付型奨学金制度を拡大し、高等教育費用の公的負担を増やしていくべきだろう。それは、「隠れた貧困」を減少させることにも直結しているのだ。