里の家ファーム

無農薬・無化学肥料・不耕起の甘いミニトマトがメインです。
園地を開放しております。
自然の中に身を置いてみませんか?

今日も雪・雪。

2012年01月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 パァッと光が差し込みます。「それ,今だぁ」と雪かきに出ます。でも10分と持ちません。また吹雪き状態です。しかも今年の雪は湿っぽく重たい。

 今年は是非沖縄へ行きたいと思っています。沖縄に友人がいます。彼の奥さんが年末になくなられたと知ったのは年が明けてから。長年「行く、行く」といって実現していません。普天間基地、戦跡、自然、風土、音楽、この体で触れてきたいと思っています。先日の新聞に沖縄の民謡歌手、古謝(こじゃ)美佐子さんが平和への思いを語っています。「沖縄の人たちは、戦後、米軍の収容所に入れられたつらい時も、空き缶で三線をつくり、歌に思いを込めました。その心意気を見習いたい。歌い続けることで命のつながり、大切さが伝わるんじゃないかと。」「うたの力」ここにも。


雪・雪・雪・雪・・・

2012年01月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 毎日の雪かき、ごくろうさまです。しかも1日に2回3回ですも。スケートでもしょうと滝川市内のスケート場に行ってみたがあまりにも小さくてあきらめました。20120113_2 これは我が家の雪に埋もれつつあるハウス。横のパイプは私の肩で押し上げたものだから140cmです。手前のハウスは木材でたたいてあげたので160cmくらいあります。積雪は140cmを超えてます。曲がりパイプの上に載った雪を落とさなければなりません。3年前、まだ大丈夫と思っていたら見事に潰されてしまいました。腰まで雪に埋もれこの雪を落とし、横の直管パイプを雪の中から出してやります。そうしないと雪が固まるとき引っ張られてグニャグニャになってしまうからです。


傘張り会

2012年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 何の会かお分かりでしょう? 昨日(6日)集まりがあって札幌まで行ってきました。

15人ほど集まりました。もう40年以上も前の仲間たちです。いつも顔を出してくれる人。今回が初めての人も。すでに定年を迎えているひとも。学校の先生、大学教授、医者、弁護士、自営業者、サラリーマンいろんな人がいます。ここに私の人生の原点があります。苦しい中競争ではなく励ましあってきた仲間たちです。今もみんな助け合う仲間なのです。


わが青春に悔いなし

2012年01月06日 | 映画

 「目のさめるような若葉の京都吉田山野毛、糸川達大学生七人組とその師八木原教授とその奥さん、そして一人娘の幸枝などにとって今日は楽しいピクニックであったのだが、折からの陸軍演習の機銃音にその自由の夢も奪い去られた。時、昭和八年、満州事変を契機に軍閥の帝國主義的侵略の野望強行のため、この自由学園京都帝国大学も、ファッショの強圧に敗れなければならなかった。八木原教授は象牙の塔を追放され、常識家の糸川は残留、野毛は大学を去って左翼運動へいつしか踏み込んでいた。幸枝は、秀才型で社交家の糸川より、熱烈な行動派の野毛に対して何かギラギラ眼の眩むような生活があるような気がしていたのであったが、刑を終えて出獄した野毛の転向ぶりには落胆せざるを得ない彼女だった。昭和十六年、学園を追われた八木原は今では民間無料法律事務所を開設していた。幸枝は東京に自活の道を求めて上京したが、計らずも今は検事となった糸川に逢い、野毛の出京していることを知らされた。野毛は中国研究に名を借りて反戦運動に没頭していた。自己の信念に悔いなしと改めて野毛に面会した幸枝はお互いに信じ合う仲となり楽しかるべき同棲も束の間、野毛は国際スパイの汚名のもと検挙された。幸枝も毒いちごと称する特高警察のあらゆる屈辱に堪え愛人野毛のために戦った。ある日、上京した八木原は野毛のために弁護人に立つことを請願したが野毛事件の担任検事糸川の口より野毛の獄死したことをもたらされ愕然とする。野毛は未決にあるうちスパイの汚名のもとに病死したのだ。この嘆きを包みかくして幸枝は良人亡きあと田舎で百姓をしている野毛の両親の下に走った。そこで目撃したものは何か?「スパイの家」と村民の罵倒と、迫害のなかに蹶つ気力もなく呻吟している野毛両親一家であった。それでも彼女は戦った。雨の日も大風の日も老母と共に野良に出て馴れぬ鍬を握った。が、無法な村の人は彼女等が折角植え終わった苗をむしり撤いた。それでも彼女は全身を只一つ野毛に対する誠のため打ち続けた。そして彼女は野毛の墓参りに尋ねに来た糸川を追い返す強さの女となっていた。そして、自由甦る日、昭和二十年の終戦となった。八木原教授は京大拍手のうちに、再び自由の学園に復帰した。この喜びに京都へ帰って来た幸枝は、父に、母に理解を求め地に足のついた野毛の農村へ未来を求めて再び去って行く。思い出の吉田山を通り過ぎた。野毛の真価も一般に認められて来た。現在、幸枝は数々の思い出を顧みつ我が青春に悔いなしと叫びたい気持ちでいつまでも思い出の吉田山に佇んでいた。」

  皆さんはご覧になったことありますか?黒澤明監督、原節子主演の昔の映画です。私はこの原節子さんに魅了されました。すごい女優さんだと思いました。額に汗して鍬を振る。その汗を泥だらけの手でぬぐうシーンがアップされます。圧巻です。とても美しいのです。今年もまたレンタルしてきました。



2012年の始まりです。

2012年01月01日 | 日記・エッセイ・コラム

 皆さん今年もよろしくお願いいたします。

 仕事があったので紅白も半分しか見られませんでしたが、見ながら考えました。震災のときの日本人の行動、態度が世界の注目を集めました。なぜ日本人はこのようなことができるのだろうか?それは「演歌」の世界にあったのではないだろうかと。日本人は歌が好きですよね。うたごえ運動もあります。カラオケも世界語になっています。「うたの力」があったのです。私の珍説でした。

 皆さんの今年の希望・夢をコメントしてください。