令和5年4月から使われる高校教科書検定が合格したことについて書く。歴史教科書問題についてはいくらか改善されたのだが、河野談話、村山談話、近隣諸国条項がある限り抜本的な改善には繋がらない。また高校で習う科目が実学に偏っていることが懸念材料だ。財界が自民党に圧力を掛けて教育に介入して実学重視に傾いたのだ。もっと教養を学ぶべきだと思うのだが。実学は企業に入社してから企業が教育を施せば良いのだ。
そもそも「従軍慰安婦」の用語を用いるか「慰安婦」の用語を用いるかということではないのだ。慰安婦に関する内容は教科書に載せるべきではない。慰安婦は「加害の歴史」なるものではないからだ。旧日本軍の将兵の性欲処理の話に過ぎない。そんな話を教科書に載せるなど自虐国家戦後日本しかあり得まい。
また「徴用」は「強制連行」ではない。「強制的に働かせた」というのは確かに事実の一面だが、違法ではなく、また倫理に反してもいない。良心的兵役拒否を認めていない徴兵制を施行している韓国が徴用を強制労働だなどと日本に抗議し、国際社会にプロパガンダをするなどへそで茶を沸かすというものだ。徴兵こそ国家による強制の最たるものではないか。
NHKの記事によれば教科書検定によりいくらか改善されたようだ。しかし自民党は誰が内閣総理大臣になっても河野談話、村山談話、近隣諸国条項を破棄しようとしない。ハレーションが起こるのを恐れているからだ。自民党は怠け者であり、臆病者というしかない。左翼政党は売国奴兼お花畑だ。
国語に関しては読売新聞社説の意見が正しいし、私の考えにも似ている。いつもは新聞に批判的な私だが、今回は読売新聞社説を引用して参考にする。
財界が自民党に圧力を掛けて教育に介入して評論や実用文を読ませる教育にしようとした結果がこれだ。しかし読売新聞社説の書く通り若いうちは様々な文章に触れる必要があるのだ。実用文を重点的に学べば読解力が鍛えられるというものではない。
高校生は本をたくさん読むことが欠かせない。いや小学生や中学生のうちから本をたくさん読むべきだし、大学生や社会人になってからでも学ぶに遅いということはない。ただ大学受験というものに合わせれば高校卒業までに本をたくさん読んでおくと国語と歴史では高得点が期待できるわけだ。
「論理国語」と「文学国語」に科目を分けることに無理があるし、ナンセンスだ。今までの「国語総合」で良かったのだ。私にもそういう傾向はあるが、政治はとかく「変えたがる」。変更することによって「改革」した気分に浸れるからだ。しかし教育は保守的にやるべきで変えれば良いというものではない。
また古文や漢文を学ばなくなると訊いたがどうなのだろう。私も高校時代は古文、漢文は苦手だったが、教養の最たるものだと思うのだ。古文や漢文を学ぶことがどう役に立つかはわからないが、教養とはそうしたものだ。実学だけ学んでも立派な人間に育つわけではない。高校時代に古文や漢文を学ばねばそのあと学ぶ機会はなかなかない。
教育については科目ごとにどのようなことを学ばせるべきか私の考えを記事にしたいくらいなのだが、考えが整理されているわけではないので言語化するのは難しい。
~~引用ここから~~
来年4月から使われる高校の教科書検定が行われ、新たな選択科目の「日本史探究」や「世界史探究」それに「論理国語」などの教科書が初めて合格しました。問題意識から学びを深める「探究活動」という学習方法が多くの教科書に盛り込まれています。
今年度の検定は、来年4月から主に高校2年生が使う選択科目の教科書が対象となり、29日に開かれた文部科学省の審議会で、申請を取り下げた2点を除き239点が合格しました。
ことし4月に導入される新たな学習指導要領では、選択科目は現在の「世界史B」や「日本史B」「地理B」が、「世界史探究」「日本史探究」「地理探究」に、現代文や古典が「論理国語」や「古典探究」などに再編され、問題意識に基づき学びを深めることが重視されます。
これを受け、今回合格した教科書には、「探究活動」という学習方法が多く盛り込まれ、知識を得るだけでなく地域の人へのインタビューや、生徒や教員との意見交換、写真や統計資料の活用などを求める内容となっています。
(略)
また政府が去年4月に、慰安婦問題や太平洋戦争中の徴用をめぐり、用語に関する閣議決定をしたことを受けた意見が初めてつけられ、14件すべて政府の見解に基づく記述に修正されました。
(略)
新科目「論理国語」に2社が小説掲載で困惑の声も
科目構成が大幅に変わる国語の教科書では、新たな選択科目「論理国語」で教材として想定されていない小説を掲載した2社の教科書が今回、検定を合格し、ほかの教科書会社からは困惑の声が上がっています。
新しい学習指導要領では、求められる教材を解説書の中で細かく示していて、「論理国語」では論説文や批評文といった「論理的な文章」や、提案書や法令文などの「実用的な文章」を教材とし、小説や物語などの文学的な文章を除くこととされています。
しかし、今回の検定では夏目漱石の「こころ」や宮沢賢治の「なめとこ山の熊」などの小説を掲載した2社の教科書も合格しました。
これらの教科書では小説を「教材」ではなく、評論などに関連する「参考」や「資料」としていました。
国語の新しい科目を巡っては新1年生がことし学ぶことになる「現代の国語」でも去年の検定で、小説を掲載した教科書が合格し、全国の高校での占有率が16.9%と、最も多く使われることになっています。
今回、「論理国語」の教科書で小説を掲載しなかった教科書会社の担当編集者は「当初の文部科学省の担当者の説明では、『論理国語』も『現代の国語』も小説は掲載するものではないということだったので困惑している。扱える教材次第で構成は大きく変わるため、小説の掲載についての考え方が整理されなければ次の教科書検定に向けて編集が進められないので説明してほしい」と訴えていました。
(略)
「慰安婦問題」や「徴用」は政府の見解に基づく記述に
歴史や公民の教科書では、慰安婦問題や太平洋戦争中の徴用をめぐる用語に関する閣議決定を受けた意見が初めてつけられ、14件すべて政府の見解に基づく記述に修正されました。
政府は去年4月に慰安婦問題をめぐり、「従軍慰安婦」ではなく「慰安婦」という用語を、太平洋戦争中の「徴用」をめぐっては、「強制連行」や「連行」ではなく「徴用」を用いることなどが適切だとする答弁書を閣議決定しています。
教科書の記述は、2014年に検定基準が改定され歴史や公民などで政府の統一的な見解がある場合はそれに基づく記述をすることが定められていて、今回の検定では閣議決定を受け、「従軍慰安婦」や「強制連行」といった記述に合わせて14件の意見がつき、政府見解を踏まえて修正されました。
このうち「政治・経済」の教科書では、現在も政府の公式見解となっている「河野談話」を抜粋した資料の「いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒やしがたい傷を負われたすべての方々に対し心からおわびと反省の気持ちを申し上げる」という記述の中の、「いわゆる従軍慰安婦」という用語に対し、「政府の統一的な見解に基づいた記述がされていない」と意見がつきました。
このため「2021年に『従軍慰安婦』ではなく『慰安婦』の用語を用いることが適切との閣議決定が行われた」と追記する形で修正されました。
また、「日本史探究」では「約80万の朝鮮人を工場や炭鉱などに連行してはたらかせた」という記述に意見がつき、「動員してはたらかせた」という表現に修正されました。
文部科学省は政府の統一的な見解を踏まえた記載を求めているが、異なる見解を一律に排除しているものではないとしています。
(略)
~~引用ここまで~~
そもそも「従軍慰安婦」の用語を用いるか「慰安婦」の用語を用いるかということではないのだ。慰安婦に関する内容は教科書に載せるべきではない。慰安婦は「加害の歴史」なるものではないからだ。旧日本軍の将兵の性欲処理の話に過ぎない。そんな話を教科書に載せるなど自虐国家戦後日本しかあり得まい。
また「徴用」は「強制連行」ではない。「強制的に働かせた」というのは確かに事実の一面だが、違法ではなく、また倫理に反してもいない。良心的兵役拒否を認めていない徴兵制を施行している韓国が徴用を強制労働だなどと日本に抗議し、国際社会にプロパガンダをするなどへそで茶を沸かすというものだ。徴兵こそ国家による強制の最たるものではないか。
NHKの記事によれば教科書検定によりいくらか改善されたようだ。しかし自民党は誰が内閣総理大臣になっても河野談話、村山談話、近隣諸国条項を破棄しようとしない。ハレーションが起こるのを恐れているからだ。自民党は怠け者であり、臆病者というしかない。左翼政党は売国奴兼お花畑だ。
国語に関しては読売新聞社説の意見が正しいし、私の考えにも似ている。いつもは新聞に批判的な私だが、今回は読売新聞社説を引用して参考にする。
~~引用ここから~~
思考は言葉に支えられており、国語教育には人間形成という重要な側面がある。若いうちは「論理か文学か」の二者択一ではなく、様々な文章に触れる必要がある。
文部科学省は来春から使う高校教科書の検定結果を公表した。新学習指導要領に対応した2、3年生向けの選択科目が対象だ。
新指導要領で、国語は「論理的・実用的」か「文学的」かで科目が分けられ、評論や実用文を扱う「論理国語」や小説などを学ぶ「文学国語」など、四つの新科目が検定を受けた。
だが、結果は、「論理」と「文学」を分離することが、いかに無理であるかを物語っている。
原則として文学作品を扱わないとされた「論理国語」の教科書は、申請された13点のうち2点が夏目漱石の「こころ」などの小説を扱い、どちらも「関連資料」との位置づけで合格した。
一方、「文学国語」は、合格した11点すべてが評論文を盛り込んだ。こちらも「文学に関連している」と判断された。
これだけを見ても、論理と文学を明確に区別することができないのは明らかだ。国の基準もあいまいで、頭を悩ませた教科書会社が多かったという。
現場では、大学受験に出題されやすい「論理国語」を選ぶ学校が多くなるとみられる。文学界からは「文学の軽視につながる」と懸念する声が出ている。
しかも、科目の選択は高校が行うケースが多く、生徒に選択の余地がないことも問題だ。
昨春検定があった1年生向けの「現代の国語」は原則、文学作品を扱わないとされたが、あえて小説を載せた教科書の採用数が全国トップになった。教員の間に「評論も小説も学ばせたい」という意向が強いことを示している。
若者の読解力低下が指摘されている。実用的な文章を読み、論理的に書く力の育成は重要だが、その力は文学作品などに触れることで高まるのが普通だ。「実用的・論理的」な文章能力というものが別個に存在するわけではない。
学校現場では、論理と文学を無理に切り分けず、バランスよく学ばせることが大切だ。
また、地理歴史と公民では「従軍慰安婦」の用語は単に「慰安婦」とするのが適切だとする政府の決定を受け、表記を統一した。
誤解を招く表現を改めるのは当然だ。18歳は4月から成人になり、社会的責任を負う。正しい歴史を伝える教科書の役割は大きい。
~~引用ここまで~~
財界が自民党に圧力を掛けて教育に介入して評論や実用文を読ませる教育にしようとした結果がこれだ。しかし読売新聞社説の書く通り若いうちは様々な文章に触れる必要があるのだ。実用文を重点的に学べば読解力が鍛えられるというものではない。
高校生は本をたくさん読むことが欠かせない。いや小学生や中学生のうちから本をたくさん読むべきだし、大学生や社会人になってからでも学ぶに遅いということはない。ただ大学受験というものに合わせれば高校卒業までに本をたくさん読んでおくと国語と歴史では高得点が期待できるわけだ。
「論理国語」と「文学国語」に科目を分けることに無理があるし、ナンセンスだ。今までの「国語総合」で良かったのだ。私にもそういう傾向はあるが、政治はとかく「変えたがる」。変更することによって「改革」した気分に浸れるからだ。しかし教育は保守的にやるべきで変えれば良いというものではない。
また古文や漢文を学ばなくなると訊いたがどうなのだろう。私も高校時代は古文、漢文は苦手だったが、教養の最たるものだと思うのだ。古文や漢文を学ぶことがどう役に立つかはわからないが、教養とはそうしたものだ。実学だけ学んでも立派な人間に育つわけではない。高校時代に古文や漢文を学ばねばそのあと学ぶ機会はなかなかない。
教育については科目ごとにどのようなことを学ばせるべきか私の考えを記事にしたいくらいなのだが、考えが整理されているわけではないので言語化するのは難しい。
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