面白く、そして下らない

私は批判をして何かを為した気になっている大衆の一人に過ぎないが、何か少しでも波紋を起こす小石になれればと書いている。

PTAに日本組織の典型的な問題点を見る

2022-04-01 19:15:49 | 日本人への呼びかけ
組織の誰もがこの集まり何の意味があるのかわからないのに、それを誰も言い出せない。伝統や慣習という美名で前例踏襲を繰り返し時間だけを浪費していく。現代人は忙しいというのに。その日本的組織の問題点を3年間公立小学校のPTA会長を務めた岡田憲治専修大学教授の経験からそれをPTAに見つけることができた。

~~引用ここから~~
「回収できる古紙が減ったためにわざわざ新聞を購読」PTAが古紙回収をやめられない本当の理由 6年間の

「回収できる古紙が減ったためにわざわざ新聞を購読」PTAが古紙回収をやめられない本当の理由 6年間の"ポイント獲得プラン"が出来上っているから今更やめられない

ノルマや会合の多い旧態依然としたPTA活動をスリム化することは可能なのか。2児の父である専修大学法学部教授の岡田憲治さんが東京都内の公立小学校でPTA会長を務めた3年間...

PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 


ノルマや会合の多い旧態依然としたPTA活動をスリム化することは可能なのか。2児の父である専修大学法学部教授の岡田憲治さんが東京都内の公立小学校でPTA会長を務めた3年間の苦闘の日々をお届けしよう――(1回目/全3回)。

問題意識はあるのに変えられない

最初に誤解がないように言っておくと、スリム化はまったく新しい話ではない。僕が関わり始めたPTAの前年度の活動目標は、「進めよう! スリム化!」だったのだ。つまり、今を生きる人たちは、「PTAのやり方はズレてきている」という問題意識は確実にもう持っていたのだ。ここはけっこう大事だ。持っているのにどうしてこうなるのかを考えるきっかけになるからだ。

僕に対して疑心暗鬼になりながらも、一緒に役員になったママたちは口では「会長の言うように、無駄が多いですよね。スリム化もっと必要ですよねぇ?」と賛同するのだ。いくら専業主婦モデルで活動していた人たちでも、さすがにこの時代にPTAをやるのに、20年前を想起させるような古い活動に「ありえないよね?」と思っている部分がある。だから、きっと一緒にスリム化ができるだろうと、それを聞いた時には淡い期待を持ってしまうのだ。

しかし個別の案件の検討となると、明らかにそこでの意見、議論、方向性に、抵抗し難い「うねり」みたいなものが頭をもたげてくるのだ。それは要するに、ほとんどの案件に結局「これまでやってきたことをなるべくいじらないという縛り」がかかるということだ。スリム化というアクセルを踏んでいるのに、同時にブレーキも踏んで、そこに摩擦を起こし、それが生む焦げ臭い匂いを作り出している典型的なシステムが「ポイント制」だった。

どうやって効率的にポイントをそろえるか

PTA活動への貢献度の「見える化」のためのやり方として、ポイント制は、全国の各学校単位のPTA(単位PTA)で採用されている。それは、多種多様な活動の大変さや重要度に応じてポイントを割り振り、6年間の活動の評価の標準として一定ポイントを目安にして、保護者たちの参加のインセンティブにするというものだ。うちのPTAでは、「12ポイント」が目安だ。保護者の多くは、このポイントをどうやって効率的にそろえるかで知恵を絞り、生活設計をする。

なぜ……?

「ママたちの中には、月一、ステーションに新聞置くだけで負担少ないから、それを毎月やって、毎年やって6年生まで続ければ、それだけで6ポイントだからって、計算して、もう組み込んで、決めちゃってる人がけっこういるんですよ。だから、今更、“古紙回収のポイント無くなりました”なんて言えないですよ。ポイントついてるんですから」

ポイントがある以上、止められない……?

なんだそりゃ?

それを言葉の真の意味における本末転倒って言うんじゃないのか?

回収できる古紙が減ったためにわざわざ新聞を購読

「あのぉ、会長、ちょっといいですか?」

呆然とする僕の姿に戸惑ったのか、目をパチクリしている僕に「ここは何が何でも説得しないと古紙回収が廃止になっちゃう」という焦りを感じたのか、別の役員さんが尋ねてきた。

「会長の言うように、古紙がもう減っちゃってステーションが寂しいっていうのは、ほんとそうなんですよ。だから、ママたちの間では、あんまり新聞が少しで申し訳ないのに、主人が会社に日経新聞持って行っちゃうから、あたしが朝日新聞とろうかって、思い詰めちゃってる人もいるみたいなんです……」

虚構新聞ではない。見出しをつけるなら、こうだ。

「古紙回収廃止の危機に“朝日を購読!”の真摯な提案上がる」

スリム化ですよと言いながら、あなた方はいったい何をカットし、何を守ろうとしているのか? ポイントがあるから、それあてにしている人たちもいるから無理です? 何? その人たちの「ポイントゲットの効率性」を守るの? それとも、何を守るの? 朝日新聞を守るの?

だめだ。諸悪の根源だ。

澱んだ無駄の溜池だ。

間違いのルーツだ。

ポイント制度!

この時の驚きと「何か人々が一番大事な筋を外していること」に対する不信は非常に強かった。福澤諭吉じゃないが、「ポイント制度は親の仇でござる」だったのだ。

(略)

忙しい保護者を悩ませるPTAの「ポイント制」を廃止することはできないのか。政治学者の岡田憲治さんは「PTA会長任期中にある程度のスリム化を進めましたが、ポイント制度は残りました。なぜ廃止できないのかと改めて考えてみると、ポイント制がふだん家庭でシャドウ・ワーク(無賃金労働)をしている女性にとって拠り所となっているのではという性別役割分業の問題に行き着きます」という――(2回目/全3回)。

(略)

PTA活動に生きがいを見いだす専業主婦のママたち

そして、今言えることは、「あたし、ポイント制がなかったらオカケンさんと知り合ってもいないし、絶対PTAなんてやってないし、学校のことももっと全然知らなくて、自分がやったことで人が喜んでくれるなんて、そういうこと毎日の暮らしではとくにないし、だから、あたしが2年も続けて役員を自分からやろうなんて気持ちになったのも、ポイント制のおかげですよぉ」という、副会長の森さんの涙が出るような言葉を抱きしめたくなる。

(略)

政治学者の岡田憲治さんは、東京都内の公立小学校で3年間PTA会長を務めた。任期の最後にはパンデミックが起こり、遅々として進められなかった活動のスリム化が一気に進んだ。PTAについて政治学者が出した結論とは――(3回目/全3回)。

コロナがあぶり出した不要不急のあれこれ

一斉休校から3カ月ぐらいは、僕たちは「どうしたものか? 何をすればいいのか? このままどうなってしまうのか?」とひたすら「?」の日々を送っていたが、役員さんたちからのLINEに「○○とか○○も、やっぱり中止だし、ナシってことですよね?」という相談が増えてくる度に、当たり前のことに気がついたのだった。これは、PTAに限らず、日本中、世界中で起こった「○○って、つまりは必要なかったってことじゃん」というたくさんの「不要不急なものたちの発見」である。

「会えない時間が愛育てるのさ」と歌ったのは郷ひろみだが、「会えない」という事実と条件が、「会えなくても伝え合うやり方」を工夫させ、それは今までの非効率的な、みんなが気づいているのに誰一人として面倒臭がって「それ止めません?」と言えなかった改革に多くの人たちを導いたのだった。

PTAのアナログさにイライラ

PTA会長になった当初から、もう本当に僕をイライラさせてきたことの筆頭が、いわゆる「学校便」というシステムだった。教員室の前の廊下にあるPTAの棚やボックスに、ありとあらゆる種類の「学校便」と名付けられたチャック付きだったり、封筒だったりする書類入れがあり、そこに「○○小学校PTA会長↑↓△△小学校PTA会長」とか、「○○区PTA連合協議会宛」などと紙が貼ってあり、その中に各種会合のお知らせと、「出欠確認書」というものが入っている。このファイル便を事務所にある黒いバッグに入れておくと、宛先の学校や事務所に届けてくれるという仕組みだ。もちろん届けてくれた人には感謝する。でも、この作業は、メールとファイル添付とグーグル・フォームを使って、パソコンの前で全部終わるものだ。

どうして出欠確認をしなければならないのか

とりわけ僕のストレスをマックスにさせたのは、どんな些細な会合においても必ず尋ねられる「出欠確認」だ。ひどいものになると、「出席なさる役員さんのお名前とメールアドレスをお書きください」なんて書いてある。じゃあ、最初からその会合に出席する立場と思われる人のメーリングリストを作っておいて、一斉に流して個別に返事をメールでもらう、あるいは、グーグル・フォームでザーッと流して、1分で返事をリターンしてもらえば、それで終わりじゃないか?

メールもSNSも一般化していない二十世紀のやり方を一ミリも変えないで放置してきたから、「学校便のファイルを確認して書き込みをして、送り返す」というコミュニケーションを取るために、わざわざ学校まで「物理的に移動」しなければならないのだ。

そもそもどうしてそんなに出欠確認が必要なのかが僕にはさっぱりわからない。本業を別に持っているボランティア活動なんだから、行ける人は来る、行けない人は来ない、それだけであって、あの執拗しつようなまでに出欠を知りたがる慣習は何なのか? 聞いてみると、「出席者の数がわからないとお茶の用意とか、書類のコピー数とかがわからなくて困るし、ネームプレートの用意もありますし」とのことだ。要らないよ。そんなもん。お茶なんて自分で持ってくるし、コピーなんてメールに添付すれば不要だ。ネームプレート? 首から各人がカードぶら下げればいいじゃん。

合理的なやり方に変えたくても、誰も言い出さない

そして、そういうトホホなもの「そのもの」よりも、僕がイライラしたのは、いつも通り「そういうことはもう止めて、合理的なやり方に変えたい」と、ほとんどの人たちが思っているのに、誰もそれを言い出さないことだった。

こらえ性のない僕が結局口を開く。区の連合体の役員さんなど、そういうこれまでのやり方を、僕の要求通りに勝手に変えたら、まわりから何言われるかわからないと忖度して、もう判断不能となって、それも面倒臭いから、「なんで文句つけるんですか?」と関係は険悪になる。どちらも「もう本当にアホくさい」と思っているのに!

だから学校便は、2年目の任期中に、わざとほとんど無視した。無視することで意志を示すということだ。

前会長が出席していた会合一覧表のほとんどすべてが、「別に行かなくてもとくに何の問題も生じなかった」ことが明らかになったのも、コロナ下の状況だった。3年も会長をやって、結局、いまだにどこが主催している、何のための、何を決めるための会合なのかもわからない、覚えていない会合が本当にたくさんあった。

そもそも、コミュニティ・スクールなどという看板を掲げているものだから、小学校のPTA会長の僕が、同じエリアにある「中学校」の学校運営委員会に出席することが設定されているのだ。もちろん地域にある中学校だから無関係ではない。しかし、うちの学校の6年生のうち男子は半分近く、女子は8割が中学受験で他の私立中学校に行ってしまうから、私学進学者がクラスに3人くらいだった僕たちの子供時代とは公立学校のつながりの事情が異なっている。

実は不要不急なものばかりだったPTA会長のルーティンワーク

そしてまたこの中学校運営委員会が、常に金曜日の早めの夕方に招集されるのだ。理由は、その中学校の副校長の手隙の時間をそこに充てがうからだ。そこ以外だと、中学の副校長の日常が回らない。

でも、どうして同じくフルタイム・ワーカーの僕が、自分の子供が通っていない隣の中学校の学校運営委員会に出席して、「今度の体育祭について」とか「健康診断の日程の変更について」なんていう話を聞いてメモを取らねばならないのか? その時間、こっちも仕事で授業中だよ。結局、隣接中学の学校運営委員会には3年間、ただの一度も出席しなかった。次期会長にも「仕事とかぶったら一切行かなくても何の問題もないよ」と引き継いだ。いや、引き継がなかった。

ここに書き切れないほどの「いったいこれまで何のためにあったのかもまったく検証されずに惰性でルーティーン化されていた会合」が、「ほとんど必要ないと言ってもいいぐらいのものだった」ことを教えてくれたのが、新型ウイルス感染症パンデミックだったのだ。

「何のためにこんなことやっているんですか?」と尋ねてもまったく埒らちが明かなかったいろいろなものが、「コロナですから」の七文字で、スーッと、全部、簡単に、あっけなく、「やらなくてもどうってことないのね」となった。拍子抜けとはこういうことを指すのだ。

任意団体であるPTAなんて止めてしまってもいいけれど……

日本中の街で、PTAは「うまくいかない」と嘆かれ、怨嗟の的となって、忌避されて、それでいて、今もなおものすごい数の人々の生活を巻き込んでいる。

これをどうしても何とかしたいと思うなら、単純だが、王道の解決法がある。それは、PTAなんて「止めてしまう」ことだ。嫌なら止めればいい。誰にも頼まれていないのだから。任意団体だからだ。でも、みんな止めない。いや、止めないのではない。「止められない」、もっと正確には「止めたいと言い出せない」のだ。

僕がPTA会長の3年間で、毎日友人たちを見ながら心に用意していた言葉はこのことだ。

「そんなに不幸な気持ちになるなら、やらなくていいんだよ」

そして、それは同時に「幸せな気持ちになるならやろうよ」という意味だった。自分の損得を超えて「やってあげたい」という気持ちは、思いがけずも多くの人たちが持っているものだからだ。
~~引用ここまで~~


(引用した記事の第2回も毎日家事に追われている専業主婦が「感謝される」話だからそれなりに面白いのだが、今回の要点は「日本的組織の典型的な問題点」なのでがっつり省略した。)

日本的組織の典型的な問題点として誰もが不要だと考えている「無駄」な前例をなくすことを誰もが必要だと考えている。それでも個別案件になるととたんに弄らない方が良いのではないかとなってしまうのだ。

私はPTAそのものが不要だと考えている。所詮GHQが強制的に導入させた組織だ。日本には馴染まない。保護者の時間を奪うだけの不要な仕事を作り出すだけだ。

私の父が1、2年前入会地組合や自治会で役員、事務員を務めた際も横で少し手伝っただけだったが、それは不要なんじゃないかと思うことがちらほら見えた。しかし前例踏襲を変えられないのだ。

だが母から訊いたところ以前お金の問題でゴタゴタがあったらしいのだ。そのせいできっちりやるということになって仕事が増えたようだ。ため息が出るがそれでは不要と思うようなことをやるのも仕方ないことなのだろうか。

記事の話にするとポイント制度があるから、不要な仕事をやるという本末転倒なことになっている。新聞購読を止めろと毎日ツイートしている私からすればポイントを得るために読まない新聞をわざわざ買って古紙回収に出すなんて話を聞くと業腹である。

しかしがっつり省略した第2回の記事にあるのだが、ポイント制度があるから専業主婦がPTA活動をやろうなんて気持ちになるらしいのだ。なんということか。

本末転倒の不要な仕事を作り出すポイント制度がないとPTAの引き受けてがいないのだ。ため息しかない。それでは不要な仕事を減らすスリム化などできるわけがないではないか。

「存在するものはすべて合理的である」なんて箴言もあるのだ。現状維持肯定の箴言ではあるのだが。

その変わらなかった不要不急な会合が、組織が新型コロナウイルスで一変する。人が集まると新型コロナウイルスに感染する恐れが高まるから、なるべく集まらないようにする。そのことが賛同を得られるようになる。

皮肉だ。新型コロナウイルスという恐ろしい感染症が良い結果を生み出すとは。世の中は皮肉に満ちている。

組織のアナログさも確かに苛々させられるだろう。パソコンなりスマホなりを使えば1分で終わることをわざわざ出向かなくてはならないのだ。「時は金なり(タイムイズマネー)」。

日本人の悪癖に他人に無駄な時間を使わせても罪悪感を覚えないことがある。無駄なことをさせられる苛々や時間を捻出する難しさを考えない。「労働生産性」が圧倒的に低い理由はこういうところではないか?

>ここに書き切れないほどの「いったいこれまで何のためにあったのかもまったく検証されずに惰性でルーティーン化されていた会合」が、「ほとんど必要ないと言ってもいいぐらいのものだった」ことを教えてくれたのが、新型ウイルス感染症パンデミックだったのだ。

日本は無駄な会合、会議が多すぎたわけだ。とりあえず集まると仕事をした気になるし、無駄だと誰もがわかっていても言い出せない。摩擦を恐れて誰もが無駄だとわかっていても言い出せないのだ。

それがコロナで消えるのだから拍子抜けであり、皮肉だろう。

だがコロナが治まるとまた集まろうとする動きが出てくる。そのようなことは日本だけだ。集まる必要がないなら集合を掛けるべきではないし、在宅でできるなら在宅ですべきだ。もっと合理的にやろうではないか。そしてそのことを言い出そうではないか。

PTAに日本人の悪癖と日本的組織の問題点を見れた。新型コロナウイルスで変わるのは皮肉だが、利用できるものは何でも利用しないといけない。

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