今月初め、タイの日系会社からの依頼で「タイ、アユタヤにある会社を訪問した」
日曜に移動し、月火と仕事、水曜日には帰国した。
日曜日移動の際には「バンコクにゴルフに来ていた周知の仲であるこの会社の日本人社長」が
スアンナプームまで迎えに来ていただいた。帰国時も「社長が直々に空港まで送って頂いた」
日本の親会社は東証の上場企業である。そんな会社のタイ工場への「サポート業務が今回の業務」だった。
自動車関連企業は「技術者の高齢化、少子化の波をもろに受け」日本での人材不足はもちろん
関連会社の「タイでの技術系人材も枯渇している」それを何とか「作業をデジタル化」してしのごうと
こんなベトナムの会社にまで触手を伸ばしているのだ。すでに弊社ではこの日本本社用に5名が「確保」され
業務しているが「今回はこの人員をタイの関連会社でも活用しよう」という主旨でその打ち合わせに行ってきた次第である。
滞在中「この社長の住居でもある日本人向けホテルに滞在」し、日本食の朝食とバスタブ付きの生活を堪能した。
そして連日「社長をはじめ6名いる日本人社員の皆様と全て日本食の夕食をごちそうになった」
ありがたい話である。感謝します。
1つだけ難儀したことは「この6名の日本人のうち5名が喫煙者である」ということだ。仕方がないが
飲食の時は喫煙席であった。ここだけが「困った」
最終日、仕事も終わり、5歳母上から「あったら買ってきてほしいと言われたド派手なTシャツ購入もこの社長の350人社員への
情報提供依頼」によって実現したことはミラクルであった。
又、何度もこの地を訪れているにも関わらず、見ていなかった「アユタヤ遺跡」(ビルマからの侵入で、それまであった
アユタヤ王国が滅ぼされ廃墟になった世界遺産の遺跡である)も駐車場から見ることもできた。
出張とはいえ「この社長の心遣いに感謝である」
帰国便は行きと異なり「大型機のボーイング787であった」この航空路普段はそんなに混んでいない。
しかし当日は「ベトナム人団体旅行様ご一行数組が大挙して登場し、大変な騒ぎであった。
帰国時の「ノイバイ空港でのボーディングブリッジの不具合で1時間も待たされた挙句、沖止め状態での
降機になった。帰りのタクシー内で「体調不良を感じた」喫煙者との4日間にわたる交流が原因かは不明だが
確かに「体調不良(気管支炎っぽい)」だった。帰宅後熱を測ると微熱、早々とシャワーを浴びてベッドにもぐりこんだ。
起きると夜の9時。4時間ほど寝たようだ。しかし症状は改善せず、この語「熱は上がり、週末に予定されている
新規会社立ち上げのハノイミーティング」にむけ養生が始まった。まず疑ったのは「コロナ」である。
このころは熱が38度代後半になっていた。在庫の「簡易キットで調べたが幸いにも陰性」であった。
肺の大病をしてから「どうも呼吸器系が弱い」 とにかく3日間おとなしくしていることにした。
ベトナムに11年住んでいるが、やはり体調の悪い時が一番つらい。
このアパートに移ってからは「体調不良時」は5歳友人宅があれこれ援助して頂いているので「ずいぶん改善された」
ありがたいことである。(特に物質的な面はもちろん、「食べなさい、医者に行きなさい」と言うような気づかいに関しては
自分を気にしている人が近くにいるということは最近つとに「ありがたい」事であることを感じている。)
タイ、アユタヤ遺跡、かなり広い地域が遺跡として保存されている。そのレプリカ
予想以上に「大型の遺跡だった」ベトナム中南部にもミーソン遺跡など「クメール民族関連遺跡」があるが
色や形は「よく似ていると感じた」(素人の感覚だが)
アユタヤ町全体が遺跡化している状態だった。止まっているホテルから車で5分ほどでここに来られる。
洪水時はこの遺跡も4m近く水没したそうである。(想像に難いが?)
なんとこのバンコクハノイ路線では珍しい「大型機 ボーイング787である」
多くのベトナム人団体客のおかげであった。
帰国後「発熱」のため「自宅に合った簡易キットでコロナ感染確認」幸い陰性
しかし回復しないまま「日本からの来客者との仕事に突入した」大変だった。
健康第一である。