いろんな不運が重なり「日本に金策に出かけた」ついでに「旧友や母、そして兄に会ってきた」
まずは「97歳になった母、何度か会いに行ったがコロナで海外からの帰国者にはすこぶる厳しく」
今回になってしまった。つい最近まで「心臓が弱り」入院をしていたが、ちょうどタイミングよく会えた。
はたして自分を分かっていたのか? ただ「帰りたい」とだけ繰り返していた。母に会う時にはいつも
「これが最後かもしれない」と思って会っている。今回も同様だった。長生きするのはいいが、
「いろんな意味で、人間らしく、生きていられるなら?」と考える。
そして「5年ぶりくらいに兄とも会った」相変わらず「兄らしかった」、そつなく、堅実に、失敗なく「たくましく生きていた」
兄弟で、高校まで同じ学校に通ったが、「勉強では全くかなわなかった」今でも同じ感覚である。いつまでも「兄らしく生きてほしいと思った」
そして「30年以上ぶりに高校大学と親友だったT朗。変わっていなかったが、お互い「環境は変わり」
「大柄で明るかった弟さん」を亡くしていた。お互いに「大病」を患っていた。まさしく「これが最後かな?」
と思って「分かれた」 今回の日本出張は「いわば終活の一旦だったような気がする」
しかしベトナムに帰れば、「現実が待ち受けている」・・・・・「おそらく最後の力を振り絞って」
会社の再生に着手する。ベトナムで10年以上。一番大変な状況だ。