人の世は、滞在期間の定め無き、今日一日の旅の宿

 時 人を待たず、光陰 惜しむべし
 古より有道の人、国城 男女 七宝 百物を 惜しまず
 唯 光陰のみ、之を惜しむ

平常心是道

2012-05-23 | 日記


平常心と言う概念と心象は、平常心ではない。

平常心と呼ぶラベルで、特定される心はない。

それ故、平常心と言う心構えなどはないのだ。

心に実体なく、只今の様子を映すに過ぎない。

心は内外一如の時処に応じ変遷し、起滅する。

眼前を、木の葉が風に運ばれ過ぎ去るが如く、

平常心は、普段と変わらない今の様子である。

自らを立てる以前から、心と法は一体である。

心を離れて法はなく、法から離れる心はない。
 
自己を忘じてる処に、認識される対象は無い。

見る主体と見られる客体に隔ては無く、一如。

心は、縁に依り起滅する今の様子に過ぎない。

その場その時の、縁生である故に中心がない。

己を立てる依処など、もとより何処にも無い。

向かわんと擬すれば即ち背く、と趙州は示す。

今の様子に他を求めれば、我(過去)が起る。

標準を据え、改めて己を立てる処は本末転倒。

自己を習うは自己を忘じる也、と道元は示す。

自己を忘じる処は、即、認識の対象も滅する。

自己を忘じるがゆえに、対象の苦楽も滅する。

我を立てる以前の、今日只今に在る他は無い。