人の世は、滞在期間の定め無き、今日一日の旅の宿

 時 人を待たず、光陰 惜しむべし
 古より有道の人、国城 男女 七宝 百物を 惜しまず
 唯 光陰のみ、之を惜しむ

備忘録5:脾臓と腎臓

2017-02-28 | 日記

http://xn--o9jl832xe5kw0mu55a3mao2b.net/kinouteika.html

 沢田健_bot‏

 『 脾臓と腎臓 』

脾臓は意と智をつかさどる処であり、これをなほせば従って胃もなほるとし、記憶力も従ってよくなるとし、
腎臓は精と志をつかさどるところであり、これをなほせば膀胱もよくなり、精力が増進する。

腎臓と脾臓をなほせば蓄膿症なども治って了います。
鼻は脾に属し、脾臓は鼻のもとです。
また肌肉も脾に属しているので、肥厚性鼻炎なども
脾の不調和から起こるのです。

脾臓は生気を養うところ、腎臓は老廃物をつかさどるところ。
脾臓と腎臓がなほれば肝臓もなほって了まいます。

気虚を改善する生薬: 白朮(びゃくじゅつ)・黄耆(おうぎ)
http://blog.goo.ne.jp/kaisei-nagasaki/e/5ede9a823c42fc1034cf99b227a1658e
白朮(びゃくじゅつ)・・補気健脾の主薬、燥湿利水もできる。
http://www.yakuzenjoho.net/chuyaku/byakujutu.html
黄耆(おうぎ)   ・・脾肺の気を補う、白朮と配合して、脾気虚弱に。
http://www.yakuzenjoho.net/chuyaku/ougi.html
山楂(さんざ)   ・・脾を助け、胃を健やかにし、消化を促進する。
http://www.yakuzenjoho.net/chuyaku/sanza.html
http://www.hyakka-saen.co.jp/sanzasi/sannzasi.htm

山茱萸(さんしゅゆ)・・補益肝腎の作用があり、精を補い、陽を助ける。
http://www.yakuzenjoho.net/chuyaku/sanshuyu.html

九竅を通利し血脈を流通させ正気を収斂し邪気とどめず、故に心衰で虚の中に瘀を挟むような現象に適応。[中医火神派]李可老中医
http://sinsendou.exblog.jp/13574168/
黄精(おうせい)  ・・腎精を補う効力、脾気を脾陰とともに補う。
http://www.yakuzenjoho.net/chuyaku/ousei.html
http://www.hyakka-saen.co.jp/narukoyuri/narukoyuri.htm


莵絲子(としし) ・・腎陽と腎陰を共に補う、補肝明目、補脾止瀉の作用。
http://www.yakuzenjoho.net/chuyaku/tosisi.html
『全生指迷方』:消渇(糖尿病)の治療に単味で粉末にし丸散剤にて服用 

備忘録3:瘀血と三焦

2017-02-22 | 日記
主治医は自分自身< 安保徹(医師) 

https://cbsi.co.jp/lecture/?page_id=219


https://twitter.com/Yoimajyo

「癌には通導散を使え、これが私の遺言だ。」中島髄象 

「漢方薬で癌は治るか?」
http://www.higasa.com/blog/note/n125.html
http://www.higasa.com/blog/note/n82.html< 通導散と瘀血


「通導散を使ってみたい、この領域」< 扶正祛邪の配合バランス(加減)
http://murata-kanpo.seesaa.net/article/422423078.html

http://kenseidou.net/chuuihouzai-kaisetu290

◎瘀血対策は便通事情を兼ねる
http://igs-kankan.com/article/2011/01/000207/



◎漢方治療はその時のその人に合った薬を微調整するオーダーメイド処方
http://www.hosonokanpo.com/treatment/respiratory_and_gastral/constipation/


 「火の入らない原末の大黄」
http://murata-kanpo.seesaa.net/article/385941297.html
    「甘草の入らない大黄の原末」
http://murata-kanpo.seesaa.net/article/103595710.html

《参照》備忘録30:尿閉・便秘 http://blog.goo.ne.jp/mumei_juku/e/d98013672489a86d99f2d7f5a181e350


https://li-hari.hatenablog.com/entry/DrNi-nyuugannbunnseki


乳癌 瘀血




「 三つの選択肢 」
http://blog.goo.ne.jp/mumei_juku/e/5eb94f01b6690493ae224e86d8d28536

 沢田健 https://twitter.com/sawadaken_bot
三焦というのは、乳糜管(にゅうびかん)と小腸と心臓の関係をいうので、
ここがとどこほると血の道などいう病気が起こるのです。
三焦のわるいのは、つまり小腸の乳糜管の吸収が悪くなっているので、
それがために栄養がとれなくなり、遂には心臓の弁膜に障って来ます。
つまり三焦から心包に影響するのです。三焦経と心包経は表裏の関係です。
血液の洗濯をする臓器は二つある。一つは肺、一つは腎臓。
三焦と腎臓とは表裏するものである。腎臓は老廃物を主る処であるから、
ここが悪くなれば諸蔵皆わるくなる。肺病などでも腎臓をなほせばなほり、
腎臓をなほせば咽の痛いのもなほる。
病気というものは特別にあるものではなくて、
血の循環が不平均になったということなんです。
人間の身体を栄養する血液の循環をよくするのが治療の目的です。





http://hemitotsy.blog.fc2.com/blog-entry-175.html?sp



根治療法・・因果の道理を知り根を治める。
根腐れの植物の枝葉を切っても無益な様に、
人の栄養吸収の場所が腐り血液を損なう時、
枝葉末節を切るだけの治療は役に立たない。

http://nutmed.exblog.jp/6180133/

http://jp.iherb.com/c/charcoal-activated
https://jp.iherb.com/c/Oregano-Oil-Herbs
https://jp.iherb.com/c/olive-leaf
※(参考資料ゆえ販促に非ず)

備忘録2:感染症と抵抗力

2017-02-20 | 日記
https://www.carenet.com/news/general/carenet/43305



今日のフォーカス1:『 放射能 感染症 』
https://twitter.com/search?q=%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E3%80%80%E6%84%9F%E6%9F%93%E7%97%87&src=typd



http://wpb.shueisha.co.jp/2017/01/21/78530/






http://blog.goo.ne.jp/kfukuda_ginzaclinic/e/1576cda80507dac60098ad664a37bb74



補気薬
http://sanadaclinic.com/%E8%A3%9C%E6%B0%97%E8%96%AC-334.html
補血薬・補陰薬・収斂薬
http://sanadaclinic.com/%E8%A3%9C%E8%A1%80%E8%96%AC%E3%83%BB%E8%A3%9C%E9%99%B0%E8%96%AC%E3%83%BB%E5%8F%8E%E6%96%82%E8%96%AC-339.html
駆瘀血薬・・証(しょう)を見る
http://www.mutsugoro.co.jp/research/%E6%BC%A2%E6%96%B9%E5%8B%89%E5%BC%B7%E4%BC%9A%E3%80%80%E7%84%A1%E9%96%80%E5%A1%BE%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%81%AE%E5%86%85%E5%AE%B9/
温裏薬
http://sanadaclinic.com/%E6%B8%A9%E8%A3%8F%E8%96%AC-456.html
補陽薬の違いまとめ
http://yoppippy.com/tag/%E8%A3%9C%E9%99%BD%E8%96%AC

もどり未知

2017-02-17 | 日記

https://www.youtube.com/watch?v=5daM9Y27SOI

我は、記憶の狭間の既知の心象・解釈に纏わる感情の反応である。

人は、現前の事実を既知の心象や概念で覆った処で終生を過ごす。

在りの儘、解脱、無常、仏性、何と呼ぼうと、既知の懐には無い。

認識できる処は、既知の過去と、修正された過去を投影する未来。

文字は認識に立つ処ゆえ法に非ず、言葉の道理も方便に過ぎない。

只今は認識以前ゆえ未だ我は不生、只今の未知の面目が仏の現成。

知ってると言う認識は我の念処、知らないと言う認識も我の念処。

過去である既知は我に等しく、知った事も知らぬ事も我の懐の内。

知らぬふりは己が認識上の作り事ゆえ、他を欺けても己は騙せず。

無事は我の懐の内には無く、己が念処に求める無事は砂上の楼閣。

未知は認識未だ到らぬ処の只今、羅籠未だ到らぬ処に真理は現成。

未知は知ったと言う認識のみならず、知らぬと言う認識も知らず。

達磨の不識は未だ認識以前の処ゆえ、過去の知識の有無とは無縁。

自我の棚にある心象・概念・見解の残滓は死物ゆえ、仏性に非ず。

認識以前の只今が仏の現成、仏在る処に我なく我立つ処に仏なし。

事実は前後際断した法の実相、二見の立たぬ一得一失の処は無相。

事実と不二の処は実体を認めぬゆえ対象が立たず、未だ我も不生。

一切の主客の狭間の、眼耳鼻舌身の働きと直に触れてる処が仏性。

認識以前の未知の風景が事実、仏性は只今の事実に”触れる”処。

臨済が黄檗に法を三度尋ね、黄檗が臨済を三度打って直示した処。

眼耳鼻舌身に触れてる処は、未だ認識以前の無理会ゆえ不立文字。

事実に”触れぬ”処は過去の念、我は見解に住し既知の念に座す。

対象を認める処には、意味・解釈・心象が立ち、彼と此を隔てる。

彼と此を隔てる以前の、事実に"触れる処"は、無為・無心・無我。

事実の縁に従う処に彼此なく、随所を主と為す無心の行為が在る。

茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す、と瑩山が示す処。

臨済の喝は、相対の影を宿さぬ一期一会の法の声、故に念に非ず。

臨済は一喝し、大空に釘や楔を打つ如き無駄をするなと説示する。

臨済の喝は念処の狭間に打ち込まれ、思考者もろとも無字に帰す。


            喝!
     
無常即ち「仏性」也、 有常即ち善悪一切諸法「分別心」也。 慧能
                           

奚仲造車

2017-02-14 | 日記


念を掴めば我となり、忽ち六道輪廻を彷徨う。

念を離れて我は無く、掴んだ念処が我となる。

念を放てば忽ち仏となり、浄土回帰の脱落底。

無念の念を念とし、今日只今に在るは解脱也。

念は相対、善悪、優劣、美醜、の対を離れず。

表裏一体ゆえ、一方に座すは他方に相克する。

裏を見せ、表を見せ、回る念処は輪廻の歯車。

独善を掲げる処は、己が不善の影に相克する。

真善に相克なく、魔処を離る如く善処を去る。

親孝行と想わずにする親孝行、親も子も無し。



  「無門関」・第八則・奚仲造車
http://www003.upp.so-net.ne.jp/anmindo/mumonkan008.htm