
弟子が尋ねる度に、"ほっとけ"と禅師は応える。
何を問うも一つ文句の、"ほっとけ"が木霊する。
無いものに囚われる処に、更に加えるのは余分。
過ぎ去ったものを、掴んで離さないだけなのだ。
心は無常ゆえ、想いが二つ同時に在る事は無い。
想いが一つ起こる処に、従前の想いは既に無い。
問いに対し得た答えを、自ら標準に立てる処は、
標準と只今を比較し、新たな矛盾と相克を招く。
只今の事実と在るべき理想の間の、葛藤を導く。
事実に二見はなく、現物を得る処は過去を失う。
一得一失の処に比較は立たず、二見相対と無縁。
記憶に依存する我の懐にのみ、分別比較がある。
過去の想念も、未来の想念も、只今に生じ滅す。
掴まえている想いと、掴んでいる主体は等しい。
自らの想いに手を加える処が、矛盾相克となる。
理屈の足枷が無い処は、心と事実が一つに在る。
ほっとけ心は留まらず、もとより心は仏の働き。
我と事実の同時成道の処は、一片の道理も無い。
"ただわが身をも心をも、放ち忘れて仏の家に投げ入れて、
仏の方より行われて、これに随いもてゆく時、
力をもいれず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる。
自己をはこびて万法を修証するを迷とす、
万法すすみて自己を修証するは悟りなり" 道元
今日の縁: 比較の立たぬ処は模倣と無縁
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