修証一等
アルコール中毒のどん底から出て18年になる。
損得勘定は埒が明かず、頭で酒は止められない。
酒がもたらす快楽と苦痛の間に駆け引きがある。
依存してるのは快楽、捨てようとするのは苦痛。
苦痛が遠ざかれば快楽が手招きし、誘いに来る。
快楽の方は捨ててないので、己が心に騙される。
畢竟、善悪是非の背景は快苦の駆け引きである。
是非の分別が損得勘定なら、快楽は苦痛に勝る。
依存症は、分別心と自己支配では離脱できない。
分別と自己支配を手放す処が、第一関門となる。
分別支配は、我の善悪是非の揀択に他ならない。
修正した過去を未来へ映し、我を運ぶ事である。
もとより実体の無い我を捨てる事はできないが、
分別心と自己支配を放下する事は、可能である。
分別心とコントロールが無い処は、対象も無い。
支配を手放す処は、支配する対象も手放される。
支配を手放す処は、支配する主体も手放される。
支配を放棄する処は、自己を滅し全体性へ導く。
全体性とは、只今に移りゆく因縁に他ならない。
行為は時処に委ねられ、因縁に応じ刷新される。
行為が未来の対価の為なら、己の脚元を見失う。
目的のための踏台に過ぎぬ行為は、砂上の楼閣。
我が虚構する幻想の時間から、一歩も離れない。
事実と理想の狭間が、我が迷う闇に他ならない。
求める他の無い処は、投影する明日も我も無い。
標準を据える処は、想念と事実の間に差を生ず。
事実に座す処は応無処住、比較すべき他がない。
事実が事実として終る処は、矛盾と葛藤が無い。
成功失敗も無く、その時々の在り様だけである。
行為は常に今を離れず、行為自体が果報である。
”既に修の証なれば、証に極なく修に始めなし”
道元
今日の縁: 求め心を求め心で磨り潰す
①https://www.youtube.com/watch?v=ojDkgh92zQw
②http://matsu880.blog93.fc2.com/blog-entry-191.html
※自らの発心が無ければ解脱も離脱も縁なき衆生