徳山托鉢
2012-01-30 | 日記
食事の合図をしてないのに、徳山が托鉢に来た。
雪峰が徳山をたしなめると、徳山は無言で帰る。
徳山を見抜けない雪峰を、巖頭はたしなめない。
巖頭が徳山を得心させた言葉の禅機は、何か?
もとより、無心を演じる事などできる筈もない。
幼心は無心に通じてるが異なる、と無門は云う。
自我未明と自我回帰が、同じ心で無いのは道理。
事実と一如の処は随処に応じ、自他を忘じてる。
認識が未明の処は不生ゆえ、始り終りを知らず。
徳山が従ったのは縁であり、雪峰の文句に非ず。
徳山の無言が末期の一句なら、生死に差別なし。
「形見とて 何か残さん 春は花
夏ほととぎす 秋はもみぢ葉」良寛
今日の縁: 第13則 「徳山托鉢」