見る主体を離れた処に、見られる対象は無い。
問題が起る処は、見る主体の視座の上に在る。
問題を見ている主は、問題と別の処には無い。
問題の一切は、常に自らの認識上に縁起する。
問題を問題と見ている主体が、問題に等しい。
問題から離れた処に、答えは見つけられない。
自己を棚上げした別の処に、解決の術は無い。
問題と見なす自己に参じねば、埒は明かない。
問題の答えは、問題が消える処に他ならない。
問題の消滅は、問題と見る我の消滅に等しい。
問題と見なす我が消える時、問題も無に帰る。
問題が問題で無くなれば、答えは不要である。
答えを得る処は、必ずしも問題を消滅しない。
説明や解釈が、却って自我を養うからである。
全ての問題の作り主こそ、自我に他ならない。
自我を強化する如き答えは、本末転倒となる。
法は足跡を残さず、思考の残り滓とならない。