人の世は、滞在期間の定め無き、今日一日の旅の宿

 時 人を待たず、光陰 惜しむべし
 古より有道の人、国城 男女 七宝 百物を 惜しまず
 唯 光陰のみ、之を惜しむ

備忘録17:片頭痛

2017-04-29 | 日記

https://twitter.com/search?q=%E7%89%87%E9%A0%AD%E7%97%9B%E3%80%80%E6%B0%B4%E6%AF%92&src=typd
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http://vitaminj.tokyo/?p=2306
低気圧による頭痛に「五苓散」・・9割が改善の理由


http://www.kouwakai-nakamura.jp/kannpo/%E6%B0%B4%E6%AF%92%E3%81%A8%E7%89%87%E9%A0%AD%E7%97%9B/
『水毒と片頭痛』
本人が水分を取りすぎると吐き気がひどく、頭痛発作が起こりやすいし、
元々汗が出にくいと言うので、
水毒に注目して「五苓散」を飲んでもらうことにしました。
これが一番効いたようで、片頭痛の発作までもおさまり、
吐き気も出なくなりました。




茯苓(利水滲湿薬)http://www.yakuzenjoho.net/chuyaku/bukuryo.html
脾虚の身では、利水できて精神も安定させてくれるありがたい中薬です。
黄耆と一緒に煎じた液を瓶に入れて冷蔵庫で保存し、1週間ぐらいを目安に汁物や煮物に少しずつ入れています。
利水の効果が高まるかと考えたのですが、先生には補気の効果が上がるのだといわれました。
煎液はまずくなく色もつかず、料理そのものの味も損なわないので、気軽にとりいれることができます。
父母にも取り入れるよう薦めたところ、まずくないとからと、母は父といっしょにそのままお茶代わりに飲んでいるようです。

第四の無門関

2017-04-26 | 日記


或庵和尚が問う。
西から来た胡人はなぜ鬚が無いのか?

一つの処には、何故一つが無いのか。

一つと言う時、我は何処にいるのか。

一つを認める処は、認める我が在る。

一つも無い処は、認識する我も無い。

彼がある処は此もあり、不二に非ず。

彼を忘る処は此も忘じ、一つも無い。

一切は、彼此の縁に生じ滅す縁起生。

認識の生滅は、彼此の生死に等しい。

右を得るに左を失い、法は一得一失。

右の始まりと左の終わりを、知らず。

生死の始めと終りを、認める者なし。

彼此は因果一如、生死の間に我なし。

我は、森羅万象と同時成道している。

無門関 第4則 「胡子無鬚」
http://www003.upp.so-net.ne.jp/anmindo/mumonkan004.htm

第三の関門

2017-04-25 | 日記


好きで飲む酒でも、好きで病になる者は無い。

一人の体験なら、何百回の失敗も一人分の事。

同じ病の経験を共有する処では、多くを知る。

経験を共有して五年も経ると、耳年増になる。

知に頼り「知ってる」と言う意識が我を養う。

我を養う処に陥穽があり、第三の関門となる。

五年過ぎの再飲酒は、立ち直りが厄介である。

この時期、再飲酒して帰らぬ人は少なくない。

「今更知る事など無い」の意識が邪魔をする。

知性への自惚れは、自我の病と言うべきもの。

霊性は、知らぬ処の初心に始まり初心に帰る。

初心に帰らぬ内は知らぬ故、知る者は知らず。



今日の縁:  「 鑑覚の病 」
https://ameblo.jp/hosshinzendo/entry-12476266578.html

不二の門

2017-04-22 | 日記

 「見るものは見られるもの」.. J.Krishnamurti



  「 一言を発すれば自他を分かち、天と地の如く隔たる。」

     香厳上樹


因果一如の門

2017-04-20 | 日記


      『生死』道元 
「生死の中に佛あれば生死なし、また曰く、
 生死の中に佛なければ、生死に惑わず。」

生死と一つの処は、生死を認める者が無い。

生死を認める者が無い処は、生死に惑わず。

見る主体と客体が一つの処は、認識到らず。

未だ対象を認めぬ処は、認識する我もない。

仏性は認識以前の処ゆえ、主体客体が未分。

感覚には感覚者が無く、一切は不二である。

認識には認識者が在り、彼と此を分別する。

法は未だ認識到らぬ、我と事実の同時成道。

右が滅して左を生じ、左が滅して右を生ず。

「い」が滅し「ま」を生ず、今は一時の位。

一切の生じ滅す処に二元なく、生滅は一如。

生滅の始めを知らず、生滅の終りを知らず。

生滅と一つの処に生滅は無く、不生、不滅。

生に在り生を認めず、滅に在り滅を認めず。

認識未だ到らぬ処ゆえ、生死を知る者なし。

法は因果一如の、未だ認識到らぬ本来面目。

一得一失の対を絶す処ゆえ、二見が立たず。

対象を認める時を同じく、認める我を生ず。

彼と此の狭間に、時間と空間の幻想が宿る。

分別が二つを隔て、比較が時空を虚構する。

二見は、記憶に住する我の念処にのみ立つ。

事実は常に一時の位に在り、我は未だ不生。

神羅万象と不二ゆえ、因果一如の同時成道。

因果一如に、只今、本日、一生の別は無い。

今日の縁: 「 日面仏、月面仏 」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~zuiun/133shouji.html