禅と道
2024-03-30 | 日記
https://zhuanlan.zhihu.com/p/39629869
※「応無所住而生其心を詠む」道元
水鳥の往くも帰るも跡絶えてされども道は忘れざりけり
※ 事実と認識, 龍潭が認識を吹き消すと 得山が頓悟した(悟りが第一, 解行は二の次)
《 禅は第一 悟りをさきにして 悟りにまかせて修行すれば 日々夜々 安楽なり 疑う事なかれ 》
悟りの境涯を表した書物は悟らないと読み解けない 言語は認識の領域を離れぬが法は認識未だ到らぬ処 道元の不思量底の思量は倶胝が一指で示す処に同じ 説明解釈や心象は反復模倣が可能だが法は一期一会
文字の上に立たない処は元より認識の領域には無い
指月の譬えの如く池の水面に映る月影は水を破らず 不二の処は未だ彼を知らず此を知らぬ処の眼横鼻直 禅は知るに及ばず憶える用事もない処の本来無一物