/ 禅の本
あるがままのものの観察
―あるがままのものの観察、あるがままのものになること― 理想(比較)なき観察―あるがままと、あるべき姿(こうありたいもの・こうであって欲しいもの) あるがままのもの=現にあるもの、今、現に、このように存在する私の知覚的・ … 続きを読む あるがままのものの観察
分離なき観察
見るものと見られるもの、観察者と観察対象、思考者とその思考とのあいだ …… 主体と客体とのはざまに、人類の悲惨のすべてが横たわっている。 …… 私は、あるがままのものを変えたがるのです。 自分の外界のあるがままを変えるこ … 続きを読む 分離なき観察
絶え間なき観察
あたりまえな日常生活の最中で、関係の最中で、不断の自己(=反応の)観察 …… 日中を通して、心は鋭く、素早さをもって、注視し、傾聴し、挑戦に応じてゆく。 自分の思考や感情の動きに注意し、心の奥底のどんな動機にも、どんな些 … 続きを読む 絶え間なき観察
余すところなき観察
対象選別・選択なき、領域限界・限定なき、除外なき観察 …… 気づきを通して、葛藤の原因の終焉があり得ます。 思考や行為の、どんな習慣にも気づいていることです。 そのとき、理解を妨げている、現実・事実を正当化したり非難した … 続きを読む 余すところなき観察
非難なき観察
心が問題に全的に気づいているなら、そのとき問題からの自由があります。 しかし、問題を非難するなら、存在の全体でそれに気づいていることはできません。 心が非難しないでいることは非常に難しい。 しかし、問題を理解するためには … 続きを読む 非難なき観察
分析なき観察
…… 質問者:精神分析家は、その問題が何であるかを知ることによってのみ人は癒されると主張しています。 しかし、これは常に真実ではありません。 悩みの原因を知るにも関わらず、なおそれを免れることができないとき、どうしたらい … 続きを読む 分析なき観察
命名なき観察
言葉によって(外的・知覚的/内的・心理的)対象を名づけることなき、言語(内語)による認識なき観察 …… さて、嫉妬に気づいたとき、何が起こりますか。 私たちは、まずそれを非難するか正当化(合理化)しようとします。 たいて … 続きを読む 命名なき観察
イメージなき観察
イメージを持たない生 …… 私たちは常に数知れないほどの経験をしています―意識している、していないに関わらず。 各々の経験が心に痕を残し、それは来る日も来る日も積み重なって、イメージを形成します。 誰かがあなたを侮辱しま … 続きを読む イメージなき観察
最初で最後の公案
唯一のなすべき行為― 絶対的無行為― 受動的観察 …… 苦しみから逃れようとすることなく、全面的に、完全に、そこに留まり、そこから離れよう、苦しみを和らげようとする如何なる思考の運動もなしに、みずからのなかの苦しみをある … 続きを読む 最初で最後の公案
問題と解答
…… 我々は決して問題そのものを理解せずに常に答えを探し求める。 問題は自己創出されたというのに、それを離れて答えを見出そうとするのだ。 答えを求めることは問題から逃避する仕方の一つである。 問題、すなわち自己の理解がな … 続きを読む 問題と解答
知らないであること
不確かさ(uncertainly)の状態、「知らない」という状態に留まること …… 明らかに教師も生徒も不安でなければならない。 教師もまた調べ、探求しなければならない。 決して一定の場所に留まって、「私は知っている」と … 続きを読む 知らないであること
全的な気づきと排除的集中
…… 瞑想を理解していくなかで、思考の制御という問題が浮かび上がってきます。 それは、あらゆる他の思考に対する抵抗を意味します。 私は、ある一つの対象に集中したいのですが、思考はあてどもなくさまよい、常にそれていきます。 … 続きを読む 全的な気づきと排除的集中
関係の鏡
あたりまえな日常の関係のなかでの、絶え間なき観察・自己への気づき …… あらゆる関係が自己露呈、自己開示の機会なのです。 この自己暴露は、思考と感情の絶えざる調整、柔軟性を必要とするので苦痛なことです。 それは開けた平和 … 続きを読む 関係の鏡
危機・挑戦・全的行為
全体作用、観念なき、過去なき行為 …… 私は思うのですが、観察、見ることの性質と美を理解することが重要です。 心が何かで― 神経症的な刺激と感情によって、恐怖、悲嘆によって、健康状態によって、野心、気取り、権力の追求によ … 続きを読む 危機・挑戦・全的行為
規律について
規律(discipline)とは、外から与えられるものではなく、自分自身を観察することから生じてくるものです。 抑圧や模倣や順応、あるいは調整ですらなく、実際に自分を観察するということから生じてきます。 その観察そのもの … 続きを読む 規律について
この「条件づけ」の問題
宗教を超えて 精神は徹底的に条件づけられており、条件づけられていない部分などない。 で、我々の問題はこうである― そのような精神が、みずからの手で、みずから自身を自由にすることができるだろうか。 …… 私はある種の人生を … 続きを読む この「条件づけ」の問題
内面的空虚
そこからの逃避、としての生 …… さびしさを見ないが為に結婚したり、退屈を見ないで過ごすために趣味や娯楽に没頭したりするなら、そのとき生の全体は、果てしのない気まぎらわせの連続に他ならないでしょう。 ほとんどの人は、虚し … 続きを読む 内面的空虚
死について
ひとは、実際に生きている間に、この死と呼ばれるものの意味を知る、あるいは経験するということができないでしょうか。 私の意識がはっきりしており、肉体的に元気がいい間に、私が死と呼ぶそのものを、直接に経験できないでしょうか。 … 続きを読む 死について
愛について
愛とは時間としての思考の過程の完全なる終焉です。 そこには真の革命があります。 なぜなら、愛は一瞬ごとの革命であるからです。 …… 愛は執着ではない。 愛は悲しみを生み出しはしない。 愛には絶望も希望もない。 愛は社会的 … 続きを読む 愛について
生・美・芸術・創造
快楽とは、記憶の保持存続、それの再現、それの反復への欲求です。 それらが快楽を育て維持します。 私たちが愛と呼ぶもの― それは嫉妬、不安、さびしさ、恐怖に囲まれています。 あるいは、美もまた、私たちにとっては快楽です。 … 続きを読む 生・美・芸術・創造
快楽と恐怖の構造
しかし、どうやって知覚、そして反応が起こり、しかも尚、それが精神の土壌に根づかないということが起こり得るのでしょうか。 私はこのことの手がかりを見つけなければなりません。 そうでなければ私は、絶え間ない経験の増加のなかを … 続きを読む 快楽と恐怖の構造
知識と学び
蓄積なき学び …… 観察と経験との間には大きな違いがあります。 観察には、観察者はまったく存在しません。 観察することだけがあり、観察されたものから分離したひとは存在しません。 観察は省察的な調査とはまったく異なったもの … 続きを読む 知識と学び
眠りと気づき
夢を分泌することのない生 …… 人はなぜ、一日を通して無意識からの暗示や告知に開かれているようできないのだろうか。 それができれば全く夢を見ることはなくなるだろうに。 睡眠中、この夢という絶えざる葛藤が続いているかぎり、 … 続きを読む 眠りと気づき
思考と時間
思考とは、現在を修正しながら今を生き延びている過去なのです。 そのような生には新しいものは何一つありません。 新しいものが現れるためには過去が終わらなくてはなりません。 心は、思考、恐怖、快楽、その他のもので占め塞がれて … 続きを読む 思考と時間
独り立つ心
伝統、権威、依存、恐怖。宗教的単独者としての個人 …… 私はあなたに保証しますが、だれも私に教えませんでした。 私の言っていることは本から学んだのではありません。 しかし私は注視してきました、苦闘してきました、 見出そう … 続きを読む 独り立つ心
食事・習癖・身体の感受性
身体はそれ自身の英知を持っていますが、思考がそれを破壊したのです。 思考は快楽を求め、無節制、食べ過ぎ、性的放縦に赴きます。 思考は身体に無理を強います。 そのようにして有機体の元々持っている英知は破壊され、それは鈍感に … 続きを読む 食事・習癖・身体の感受性
個人と社会
始まりは世界の側にではなく、あなたの側にあるのです。 あなたがあなた自身のなかの動揺と悲惨に、あなた自身のなかに― したがって世界のなかに― 存在する混乱に気づいているなら、世界の問題を解決することができるでしょう。 政 … 続きを読む 個人と社会
『生の全体性』 第二部より
実際に、あるがままの自分の姿を自分の力であばくことは、きわめて重要である。 心理学者や哲学者やグルの理論・主張・体験に従ってではなく、むしろ自分自身の本性と運動の全体を探求することによって、実際にあるがままの自分を見るこ … 続きを読む 『生の全体性』 第二部より