時 人を待たず、光陰 惜しむべし
古より有道の人、国城 男女 七宝 百物を 惜しまず
唯 光陰のみ、之を惜しむ
禅師は両手をポンと打ち
いつ音に気づくかと問う
気づきと気づく我は一如
気づく処は常に事実の後
気づく処に音は過ぎたり
事実が在る処に我は不生
事実は羅籠未だ到らぬ処
法は我の認識以前に現成
知るも知らぬも我の懐の内
分かる分からぬも己が尺度
云うも云わぬも己が分別心
法は自己と事実の同時成道
彼を認めぬ処は此も知らず
道は歩む前にも後にも無い
釈迦に会ったら釈迦を殺し
祖師にあったら祖師を殺す
彼を認める処は此を忘じず
彼を滅す処は即ち此を滅す
一つの処は彼も此も知らず
一つは、一つである事を知らず。
未だ彼を認めぬ処、此も知らず。
彼を認めるを縁に、此を分かつ。
分かれる処に、分かったを生ず。
分かるも分からぬも、己が尺度。
納得は常に事後の、我の懐の内。
知らぬは只今、知るに過ぎたり。
法は、我の知る知らぬに属さず。
今日の縁: 眼は眼を知らず
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答えの蓄積は、自己修養の道。
対象を認める処は、二見相対。
選り好みの答えが、我を養う。
標準は、我が立てる過去の楔。
理想と現実の狭間を、彷徨う。
不二の処は、事実と同時成道。
事実は一得一失の、応無処住。
縁に生死の処に、残り物なし。
法は、井戸に投ずる雪の如し。