ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

盗人の

2017-04-08 04:42:49 | 






盗人の 蔵は異形の 蛹かな     澄






*これもわたしの句ではありません。獅子の作品です。また違う人です。

少しはやさしいものを選びたいとは思うのだが、どうしてもこういうのに目が行ってしまう。今はやさしい気分になれないということでしょう。

おもしろいつかみ方だ。蛹というのは、芋虫と蝶の中間にある姿です。中からいずれ蝶々が出てきて飛んで行ってしまう。では異形の蛹とはどういう意味でしょう。

盗人というものはみな、結構金持ちです。いろいろなところからいろいろなものを盗んできている。それだから、彼らの蔵にはそれはたくさんのものがあるのですよ。

この世界では、馬鹿が盗もうと思えば盗めないものは、あまりありません。他人から美しい顔を盗むこともできるし、かっこいいたくましい体や、人の業績も盗むことができます。現実世界の裏にある霊的世界から操作すれば、色んな技術を用いて、本来他人が生きるはずの人生さえ、盗むことができるのです。

馬鹿な人間は、自分では何もせずに、盗みだけにいそしんでいる。それで何でも持っているのです。人が苦労して稼いでやっと建てた家を、平気で軽い気持ちで盗んでいきます。人が刻苦勉励してやっと出せた疑問の答えを、平気で盗んできて、ちゃっかり自分の業績にしてしまいます。

そうやって馬鹿は、自分だけをうまくいいものにしてきたのです。

なんでそんなことができるかというと、何もわかっていないからです。人の苦労がわかるほどにまで、苦労などしたことがない。獣が野にあるキノコを何気なく食べるような気持ちで、他人の家にいいものを見つければ、何も考えずに持っていくのです。

長いことそんなことばかりしてきましたから、盗人の蔵というものは、ものすごく膨らんでいる。いろいろなものがたくさん詰まっている。だが、それがそろそろ、痛いことになってきている。

あまりに盗み方がひどいので、とうとうみんなが怒って、盗んだものを返せと言って盗人のところに押しかけてきているのですよ。それで、蔵の中から、まるで蝶々が飛んでいくように、ものがなくなりはじめているのです。

盗んだものが、飛ぶように、元の持ち主の元へ帰って行き始めているのです。

異形の蛹とはそういう様子を、彼なりのとらえ方で表現したのでしょう。まるで、妙な蛹の中から、一斉に万匹の蝶が羽化し始めているようだと。

蝶々は時期が満ちれば羽化して飛んで行くものですから、時期が満ちれば、盗人の蔵も開かれていくという意味にもなりますね。実際そのとおり。いつまでも盗人の理屈が通用するわけがない。みながこらえてくれていた何かが切れれば、一斉にたまっていたものが噴き出てくる。

今、盗人の財産はどんどん減っています。それでもう、まやかしの技がだんだん通用しなくなってくるのです。正体を見破られれば、馬鹿はもう終わりだ。

異形の蛹から飛んでいく蝶の群れを眺めながら、馬鹿どもの終末を観察していくとしますか。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほたる

2017-01-13 04:20:48 | 






草の陰 死にしほたるの 孤独かな     夢詩香






*虫の死骸というものは、まるで砂粒かほこりのようなものだ。いつの間にか世界に溶けている。むごたらしい死に方をしても、それほど悲惨ではない。なぜならすべては神がやってくださっているからです。

相変わらず季節を無視しています。蛍はたぶん夏の季語でしょうね。調べていませんが。

孤独と言いますが、ほたるは孤独など感じません。まだ意識が発達していないからです。だから草の陰でたった一匹で死んでいても、それほど苦しくはない。いつでも神の中にいるようなものだからです。

だが人間のように魂が大きくなると、いつまでも神の中にいることはできない。神を愛しつつも、自分が神とは全く違うものであることがわかっている。たくさんのことを、自分でやらなければならない。

神のそばにいて、神の愛の陰にいれば、あまり孤独など感じないが、あまりにも神と離れすぎてしまうと、人間はとてつもない寂しさを感じ始める。その寂しさがつらくて、他の人間をだまして無理矢理自分のところにつれてきたりすることもある。

なんでこんなに遠くに来てしまったのかと、考えたくないばかりに、ただ自分が正しいことにするために、あらゆる言い訳をし始めると、魔が生じる。

そこに苛立たしい馬鹿が生え群がる。

たくさんの馬鹿な人間が周りにいるが、孤独は癒えはしない。なぜならそのものは、みんなをだましているからです。だから絶対に心を開くことはできない。開けば嘘がみんなばれてしまう。

心の中に嘘を守っている者は、いつも孤独だ。王のような偉い存在になって、国民に税金を払わせて、豪勢な暮らしをしていても、誰もいない。愛が何もない。

そしてそういう者はいつも、流れ流され、不思議に草の陰のようなところに吸い込まれ、そこで孤独に死んでいくのです。

孤独という鉛を噛みながら、自分を虐待している自分の仕打ちを心のどこかでわかっていながら、自分のやったことをすべてなんでもないことにするために、死に溶けていく。死ねばいいのではない。責任は残っているのだから、死んでも逃げられはしない。だが馬鹿は逃げる。

皆に迷惑をかけていることを無視しているから、馬鹿は死んでも寂しい。

誰も愛してはくれない。

草の陰のようなところで、愛に見放された骸が横たわっているのを、あなたがたはこれからよく見つけることでしょう。それは、愛を妬み、愛を馬鹿にして、とうとう愛に見捨てられた人間の姿なのです。

孤独の極致なのです。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しろてふは

2016-11-29 04:22:23 | 






しろてふは しろきがよいと 花はいふ     夢詩香






*シロチョウの写真がなかったので、シジミチョウの写真で代用です。許してください。

なんのことはない句ですが。

昆虫という生命活動は、ほとんど神がおやりなさっている事業です。この地球世界にいるすべての昆虫の生命は、神のお印です。

彼らにも独自の霊魂はあるのですが、それはまだとても幼く、複雑な生命活動をやれるほどにはなっていません。ですから彼らの生は、ほとんど神がおやりなさっているのです。昆虫にも個体によっていろいろな運命はありますが、どれもほとんど画一的です。強い個性はまだ発生していない。みな、神がおやりなさっているからです。

だからと言ってそれが、痛いものだというわけではない。神がおやりなさっているがゆえに、その存在には大切な意味が灯る。

蝶々は神さまの手紙などということを、かのじょは言っていましたが、それは真実です。蝶々という生命活動を、あなたがたに見せることによって、神はあなたがたにずっと重要なことを教え続けているのです。

シロチョウは白い。その白さを認め、愛している。それが幸福なのだということを、神はシロチョウの生によってあなたがたに教えるのです。

自己存在の幸福は、自分が自分そのものであることを喜ぶ自由を獲得することから始まります。その自由は初めから与えられているのですが、存在の幼い頃はそれを知ることができない。ただ愚昧ゆえに自分というものの存在そのものにおびえ、それが怖くて苦しいことをしてしまい、その恐ろしさにまたおびえ、自分という存在から逃げようとする。

自分で自分という存在を侮辱することほど、苦しいことはありません。自分で自分を犯すことなど、できるはずもないのですが、人間はいつもそんなことを繰り返しているのです。愚昧の闇に自分を譲り、馬鹿なことをして、自分を馬鹿にしてしまう。辱める。

それが自己存在の罪であり、恐ろしい苦しみなのです。

自己存在はこの苦を味わわないで生きることはできない。だがそれは、いつか必ず乗り越えられる苦でもあります。
あなたがたはその過程において、自己存在が決してやってはならないことがなんであるのかを学ぶのです。

それは自己存在が自己存在を辱めることです。自分で自分を馬鹿にすることです。人間にはそれをすることができる自由もある。だがそれをすると、果てしない苦悩の堂々巡りが始まり、自己存在はとうとう消滅を願うようにまでなってしまう。

馬鹿とはこういうものです。愚昧の闇に浸りこんで、真実をわかろうとしないから、いつまでも苦しみ、その苦しみを世界にぶちまけて、あらゆることを駄目にしてしまうのです。

シロチョウのように、真っ白な心で、愛を受け入れなさい。自分を受け入れなさい。それだけですべてはうまくいく。

神は、すべての存在を、よきものとして作ってくださっているのです。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

べにしじみ

2016-11-02 04:25:47 | 







秋草は きぬのごときか べにしじみ     夢詩香






*11月に入って、また寒くなってきましたね。虫もこれから、だんだん少なくなってくるんだろうな。

昨日写真を撮りに、外に出かけましたが、まだヤマトシジミは飛んでいました。アゲハとかモンシロチョウはもう見なかった。

ユリオプスデージーの花を覗き込むと、コハナグモがハエを捕まえてたりしていました。虫も秋の中で静かに生きている。

もうすぐ冬が来る。草の中でふと安らいでいるベニシジミを見ると、もうそろそろ終わりだということを、ちょうちょも感じているような気がする。

フヨウもいつの間にか終わっている。フウセンカズラはまだ咲いているけど、少し寒そうです。ツワブキが咲きだした。ヒメツルソバが伸びてきている。セイタカアワダチソウが、陰り始めている。季節の変化は静かに、ゆっくりと確かにやってきますね。

そんな季節の変化の中で、きっと、少しでも安らげる草があるのは、ベニシジミにとってはいいだろう。いろんなことがあって疲れているときに、草があることはうれしいだろうな。寒い頃に、押し入れから出してくる冬布団みたいに、それは暖かいかもしれない。

夏の頃はかぶるのはタオルケット一枚で済んだけど、もう厚い冬布団がありがたい。年を取ってくると、そんな何気ないもののありがたさがわかって来る。

ちょうちょも、恋に夢中だったころは、草のありがたさなんてわからなかったかもしれない。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

負けたくは

2016-10-26 04:29:37 | 






負けたくは ない蟷螂の 言ひ訳は     夢詩香






*俳句は17文字の芸術ですから、こんな風に皆まで言わずに、途中でぶっちぎってしまうというのもありですね。
言わないことが、返って言いたいことを強調するなんてこともある。

蟷螂って言ったのは、つまりうちの夫が少しかまきりに似ているからなんですが。やせ形で、負けず嫌いですぐに突っかかって来るところなんかが。

男の人っていうのは要するに、隠し事がいっぱいあるんですよ。隠さなければもたないようなことがいっぱいあるんです。それって、けっこうみんなにばれてたりするんですけどね、ばれてることがわかったら、ちょっとつらいことになるから、みんな何も言わないだけで。

口が達者な人だから、それは巧みにぼやかすんだけど、言いたいことはわかってる。とにかく俺の言うことを聞けってこと。それでないと困るんだってこと。

けんかしたって、何にもならないから、いつもわたしのほうが折れてます。とにかく立ててあげないと、うちのかまきりは相当に困るんです。

でもね、長いこと夫婦をやってると、あの時立ててあげた男が、今結構だらしないことになってたりするんですよ。見えてないふりして、何も言わないけど、結構女房は気付いてたりするんです。

意地を張らずに、もっと柔らかくなった方がいいのにと思うことはある。だけどたぶん、あの人は一生変わらない。

まあそれでも何とかなるのが、愛ってことかな。我慢ができなきゃ、結婚はできません。

かまきりの写真はあるんですけど、あまり上手に撮れなかったので、緑色がいっぱいの写真にしてみました。

虫の写真も難しいですね。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

殺生は

2016-10-03 04:28:02 | 







殺生は これがきはみと 蚊をつぶす     夢詩香







*わたしの知っている人に、本当に、めったに虫も殺せないような人がいるんです。ゴキブリも殺せないそう。

ある日、その人のお父さんが、川でたくさん鮒を釣ってきて、煮つけを作ってくれと頼まれたそうなんです。で、その人は、生きてる鮒がどうしても殺せなくて、すごく困ったそう。

まな板の上の鮒を見て、包丁で刺そうとしたら、痛いだろうなって思うとどうしてもできなかったって。

それでどうしたのって尋ねたら、なんとそのまま冷蔵庫に入れちゃったそう。そしたら次の日も、鮒は冷蔵庫の中で生きてたそうです。それって、かえって鮒は苦しいんじゃないのっていったら、しゅんとしてました。

それから何かの事情で話が変わったから、彼女が鮒の煮つけを無事に作れたかどうかは知らないんだけど。

その人が、殺してもあまり気がとがめないのは、蚊くらいのものですって。蚊だったら、躊躇なくすぐにたたくことができるそうです。

確かに、蚊はいやですよね。かゆいし、ぶーんとうなって近寄ってくるときの不快なことといったらない。

そんなことで、こんな句ができました。









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちちろ虫

2016-09-21 04:29:26 | 






故なくも 踏みて悔いにし ちちろ虫     夢詩香








*ちちろ虫は、こおろぎのこと。
でも今年はまだ、こおろぎに会えていないので、セセリチョウの写真で代用です。でもこれ、トリミングしているんですよ。ごろうさんに言われた通り、写真を撮りながら近づいて行ったんですが、いざ間近に迫ってシャッターを押そうとすると、その寸前に逃げられてしまいました。

難しいですね。

句は、どんなにがんばっても、虫を一匹も踏まないで生きることなんてできないって意味です。
花もそう。一生懸命によけて歩いても、どうしても何かは踏んでしまう。

足を使って歩いている限りは、何かを踏んで歩かなきゃしょうがない。時には間違って、思いもしないものを踏んでしまうことがある。

何気なく道を歩いていて、何か足の下に嫌な感じがしたなと思って、靴をあげてみると、そこにつぶれたかまきりがいたなんてことを経験したことがある人、たくさんいると思う。

人間は、失敗もしないで、真っ白なままで生きることなんてできない。

だから、テレビなんかで、人が失敗したのを見つけると、大勢が寄ってたかって悪口を言うのを見るのが、いやなんです。

間違いをすることなんて、だれにだってあるだろうに。みんなそれほど変わらないんだから、そんなに目の色を変えていじめなくてもいいのに。

虫や花が好きな人でも、虫や花を踏まないで生きることなんて、できないのに。







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おとろへて

2016-09-16 04:26:30 | 






鳴きさわぐ 虫おとろへて 夏去りぬ     夢詩香







*今日は、わたしの句の作り方のコツを書いてみたいと思います。自己流ですけどね。

4文字以下の動詞や名詞を蓄えておくんです。

「蝉の声が聞こえなくなったな、夏も終わりか」なんてことを詠もうとしたら、蝉が聞こえなくなるってことに、なんかこうぴったりとくる言葉はないかと考えて、そうしたら、「おとろふ」という4文字の言葉が思い浮かんだんです。それでこう詠んでみたら、けっこうおもしろくなりました。

複雑な情景を、簡単な言葉で詠み下せたときの快感は、けっこういいです。

1文字とか2文字の言葉をためておくと、いいですよ。
「荷」とか「湯」とか、「積む」とか「矯む」とか「噛む」とか。感じた情感に一番近い言葉を選んで、それを使ってみると面白いです。

今日はもう一句。






過ちは 酸きと心の 蠅がいふ     夢詩香






*「失敗は苦いな」というのを俳句に詠もうと思って、「酸き」という2文字の言葉が近いと思って、それを使ってみたら、おもしろくなりました。

参考にしてみてください。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

てふの罪

2016-09-11 04:22:52 | 






明日来ると 我をたばかる てふの罪     夢詩香








*ごろうさんに言われたので、蝶の句を詠んでみました。

これは、わたしがかろうじて撮れた、蝶の写真です。
運動神経が鈍いので、虫や鳥の写真はめったに撮れないんです。カメラを構えているうちに、逃げられてしまう。

驚かさないように、そっと近づいて、カメラをかまえて、シャッターを押そうとすると、とたんに、「また明日ね」という感じで、逃げていっちゃう。
でも、あの蝶にはきっと二度と会えない。
ちょっとちょうちょが憎くなります。

そんな気分を詠んでみました。





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする