親に似ぬ 子のかはゆさや 燕飛ぶ 夢詩香
*最近全然歌が詠めないのです。少し前は下手でも何とか詠めてたのですがね、今はまるで詠めません。感性も何も全部封鎖されている感じです。頭の中で歌をひねろうとしても、言葉が何も出てこない。馬鹿は徹底的にわたしたちの邪魔をしているようだ。
つらいですね。だが仕方ない。こんな状況でも、できる表現を探っていくしかないようです。
で、久しぶりに俳句を詠んでみました。これは、眠っている間に、半分夢の中で詠んだものです。詩にしろ句にしろ、夢の中で作ったものにはあまりよいものがないものですが、これはなんとかなると思い、あげてみました。
親に似ない子の可愛さというものは、ありますね。親子なのに、全然自分とは違う個性を持っている子に驚いたりすることがあります。たとえばかのじょの四男など、全然かのじょと似てない。かのじょは格好には構わないずぼらな性格でしたが、四男坊の方は、ファッションにこだわり、格好をとても大事にする細やかな性格です。親子なのに全然違うのが面白い。
親の方は、全然自分とは似ていないというところに、興味を惹かれるものだ。自分から生まれたものが、自分とは全然違う可能性を持っているということに感慨を覚えるものです。それが愛につながってゆく。
かのじょがいろいろ悩みながら苦しみながら、何とか育ててきた子は、思いもしない個性を立ち上げて、今世間に向かおうとしている。新たな時代をつくるものとして、立ち上がりつつある。
自分から生まれた全く違うもの。素晴らしい未来。巣立った燕のように、自分のそばから飛んで行った子。その未来が、美しく幸せなものであることを、親はいつも祈っている。