夏草の 深きまよひの 道に落ち いつはりの世を うたふ馬鹿かな
*今週もいくつか詠めました。あまり気に入ったものはできませんが、それでもだんだんとスランプの壁が薄くなってきているような気がします。邪魔をしている馬鹿の霊たちも、だんだんと変わってきているのでしょうか。
「夏草の」 は「深き」を呼ぶ枕詞ですから、特に訳しません。「うたふ」は「謳ふ」ですね。辞書をみると、「主張する」とか「言い立てる」とかの意味が書かれていますが、ここでは「謳歌する」というくらいの意味で使っています。
深い迷いの道に落ち、嘘ばかりの人生を、謳歌している馬鹿であることよ。
嘘と盗みで作り上げた人生を生きている人は、一見とても幸せそうに見えます。美しい顔姿を得、名声や財産にも恵まれ、明るい日の下を歩いているように見える。でもその心は深い迷いの中にある。何も良いことは勉強していないのに、ずるで自分の人生をよくしていることが、そんなことを自分がしているということが、苦しいのです。
しかし嘘で得た幸せを捨てることもできない。そんなことをすれば、陰で嫌なことばかりしてきた自分の、醜い本当の姿が出てくるからです。せっかく作った名声も財産も、すべてが消えてしまうからです。
嘘と盗みで、見栄えばかりよくした幸せの中に、本当の愛はありません。なぜならみな、嘘で作った偽物の自分を見てはくれても、その奥にある本当の自分を愛してはくれないからです。ずるで作った偽物の自分の奥で、本当の自分は愛に飢えて苦しんでいる。それでも、嘘の幸せを捨てることができない。迷いの中にいる魂には、それが黄金のように大事なものに思えるからです。
見栄えのいい黄金の幸せを謳歌しているように見えるその人の陰で、本当の自分がうじうじと孤独に悩んでいる。嘘の自分と本当の自分の間を、くるくると迷っている魂の苦しみがある。それが本当に幸せなのか。
本当に幸せになりたいなら、嘘はすべて捨てるべきです。本当の自分の姿に戻り、すべてをやり直していくべきなのです。そうすれば、愛が見つかる。自分の中に、すべてを愛していこうとする、すばらしく美しい心が見つかるのです。
ですが馬鹿者は、いつまでたっても嘘の人生から出てきません。どうしても見栄えのいい嘘の幸福が惜しいのです。その人生を最後まで生きてしまえば、最もつらい不幸が待っているというのに。
馬鹿者は、深い迷いの闇の苦しみの中に、いつまでも浸っているかのようです。