うつそみの 人の道をも しらざりて つかひの夢を 見しうつけかな
*今、添島揺之がブログを再開していますので、これはその影響からできた歌です。
わたしたちは今馬鹿の妨害からスランプの真っ最中で、歌が詠みにくいのですが、添島のほうにはその影響が少なく、かなりすらすらと詠めている。もちろん本調子とはいいにくいのですがね。しかしかなりいい作品が詠めています。
わたしたちの領域で、彼が歌をひねっていると、わたしたちもやりたくなって、彼に呼び水をもらって出てきたものがこういうものでした。
「うつそみの」は「人」を呼ぶ枕詞ですね。「つかひ」や「みつかひ」はここでは天使を意味します。こういえばもうわかりますね
人間の道すらまだ知らないのに、天使の夢を見た、馬鹿者であることよ。
人が人の心を感じることができるようになるには、それなりの勉強をせねばなりません。実経験として、農耕などを通して共同作業の訓練をしていく中で、人は人の心を感じる感性を養うものなのですが、この世界にはそんな修業すらできていない馬鹿がいる。そんな人はいまだに、平気で人の心を無視して、低レベルな自分の欲求ばかりを押し通そうとする。そういう人がよく世間に害をふりまいたりするものなのですが。
そういう馬鹿者が、天使になりたくて、まるで身に刷り込むように必死で天使の真似をしている。それがあまりにもいやらしい。
こういうことを何度も何度も言っているのにかかわらず、馬鹿者は天使の真似をやめてくれません。大勢の人に嫌がられているのにも関わらず、天使まねの馬鹿の数が減る気配を見せない。それはなぜなのでしょう。
激しく自分がつらいからです。自分がつらくてつらくて、ほかのものになりたくてしょうがないからです。だから、その「ほかのもの」の中で最高にいいと思える天使になどなりたがるのです。
自分は何もしていない馬鹿だからです。農耕以前の昔から、ほとんど何も勉強していない馬鹿だからなのです。人の気持ちをわかる感性すら未発達なのに、高い感性と使命を有する天使の真似をしている。それを恥ずかしいと思うことすらできない。何もわかっていないからです。何も知らないからです。
馬鹿者とは絶望的だ。だが無視して放っておくこともできない。放っておけばよけいに害が広がる。
これからも何百回と言い続けていきましょう。天使の真似はやめてくれと。馬鹿がきつすぎるからやめてくれと。それはおそろしい大嘘なのだと。
嘘はどんなにがんばって塗り重ねても、本当にはなりません。天使になりたいなら、本当の自分に戻って、本当の勉強をしていかねばならないのです。農耕以前の段階に戻り、そこからすべてをやり直していかねばならないのです。