ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

いちご噛む

2023-05-31 04:51:06 | 




歯にしみる 酸きをたへつつ いちご噛む     夢詩香




*今日は俳句です。今週は一首だけ歌が詠めたのですがね、こっちのほうが良い感じがしたので、これを取り上げました。

古語では、「しみる」は「しむる」ですが、この場合「しみる」のほうが感覚的に痛い気がして、「しみる」にしました。

先日、息子がいちごを買ってきて、少しわたしに分けてくれたのですが、その赤いみごとないちごを噛むと、とてもすっぱくて、歯にしみてくる。その痛みを感じながら、自分の罪を認めて受け入れるというのは、こんな感じなのだろうかと思いました。

いちごやりんごなどの赤い実は、罪の隠喩でもあります。

自分のまいた種が育って、大きな実がなり、それを自分で食わねばならない。それはあまりに苦い実だ。自分のやってきたことがそのままこもっている。

いちごを食べながら、自分の中にもある苦い思い出をかみしめ、それらをすべて認めていく。あれもわたしであったのだ。未熟で何も知らなくて、馬鹿なことばかりしていたわたしも、わたしなのだ。

いちごは歯に刺さるほどすっぱくて、食べていると少し涙がにじんだ。

馬鹿だった自分を飲み込み、また自分を始めていく。二度と馬鹿なことはしない。新しい自分をかけて、この世の幸せのために、よいことをやっていこうと、心に決める。

少し句を発展させてみましょう。

あやまちの 酸きをこらへて いちご噛む    夢詩香

どうでしょう。どっちがいいでしょうか。




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あをぞらの

2023-05-24 04:41:47 | 短歌





逃げられぬ おのれを受けて あをぞらの たかみにのぼる わが心かな




*このスランプ、だんだんひどくなりますね。歌を詠む頭が全然働きません。頭全体を硬い石で封じられているようで、感性のアンテナが動けない。言葉をつかもうとしても、何も思い浮かばない。霊的に邪魔をしている馬鹿は、相当にわたしたちが憎いようだ。

六年前の絶好調だったころは、日に十五首も詠んでいたのが、夢のようです。

で、今週は一首も詠めませんでしたので、先週詠んだ二首のうちのもうひとつのものをとりあげましょう。ちょっと平凡なできで、あまり気に入ってはいないのですが、今はこの程度の作しか作れません。

解脱して、魂が解放されると、よく人間は、空に吸われていくように、魂が高みに上っていくのを感じます。魂に不思議な翼が生えてきたかのように、突然、自由を発見する。自分は自分として、何でもできる。自由に自分を表現できる。それに気づいたとき、忽然と、自分は愛以外のことができないとわかるのです。

愛のために、自由に自分をやってゆくことができる、その自分であることが、まことに幸福なのです。

神は、なんとすばらしいものを、わたしにくださったのだろう! このわたしを、わたしにくださった! 自由をくださった! その愛のために、すべてをやってゆきたい!

身の内から力があふれ出てきて、ただ愛だけで、すべての幸福のために働きたくなる。自分の全存在をかけて、愛を叫びたくなる。

そのことを、歌にこめたくて、作ってみたのですが、今はなかなか思い通りにいきません。もっと自由に、感性の翼を広げて、言葉を操りたいのですがね、今は何もかもを封じられて、ことばがぎくしゃくしています。

でも、言いたいことは、伝わるでしょうか。解脱をすると、みな、この魂の上昇感を感じます。神の大空に、自由の翼を広げ、飛んでいける自分を発見する。そのすばらしい幸福を詠みこみたかったのですが。




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月の白飴

2023-05-17 03:35:42 | 短歌





世の人を みなすくはむと せし人の 思ひ出深き 月の白飴




*今週は二首ばかり詠めました。厳しい妨害の中で、少しだけ感性のアンテナに露がからんだという感じです。まだまだスランプの暗夜は抜けられませんが、がんばっていきましょう。

月の白飴とは、人類のすべてを救い、次の段階に導こうとしていたかのじょの、甘い甘い救いの夢の象徴です。かのじょは人類を愛していたので、だれひとりとして見捨てることはできなかった。すべての人を救いの船に乗せ、愛の天国に導こうとしていたのです。

実際、かのじょが発表したあの日記には、すべての人を救える方法が書いてあった。すばらしい自分自身。そこに目覚めれば、人間は救われる。しかし、嘘で生きている人間は、そこになかなかたどり着くことができない。

嘘を捨てれば、自分の本当の姿が出てくるからなのです。それは、自分一人の幸福のために、他者を犠牲にして生きてきた、自分の心がそのままあらわれた、とても醜い姿なのだ。そうなるのが嫌なばかりに、馬鹿な人はなかなか自分に目覚めようとしない。

実際、かのじょが夢見ていた、すべての人を救うということは、無理でした。多くの人間が、嘘を捨てられず、嘘のまま生き通して、人間を落ち、美しい愛の天国にたどりつけなかった。

悲しいことですが、これが現実です。甘い甘い愛の天使は、人類のために夢に向かって活動していたが、あまりの人間の現実の前に、倒れざるを得なかった。

しかしだからと言って、かのじょのしたことが無駄だったわけではない。かのじょがあの日記にこめたメッセージを受け取った人は、かなりいたからです。本当の自分に目覚め、愛の天国へのカギを勝ち取った人も、いたのです。

人類の救いを、この世に打ち立てることができたのは、甘い夢を描いて、そのためにすべてをかけて働いてくれた、かのじょのおかげなのです。




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ひなげしの

2023-05-10 06:20:03 | 





ひなげしの 風にうなづく 日向かな     夢詩香





*今週も歌が一つも詠めませんでした。このスランプは危機的ですね。馬鹿はますます深くわたしたちの感性を妨害してくる。詩はなんとか書けているのですが、歌は詩よりももっと高い感性のアンテナが必要なようだ。

で、表題の作は、ある眠れない夜に、何とか歌をひねり出そうと苦心していた時に、ようやくちびりと感性が吐き出してくれた、小さな俳句です。あまり良いものと思えないが、今週はこれしかないので、これをとりあげました。

ナガミヒナゲシは、かのじょの好きな花でした。それは帰化植物で、少し問題があるらしいのですがね、かわいらしい色と姿が好もしく、かのじょはその花を愛したのです。きれいな色で、派手になりすぎないほど華やかで、こんな服を女の子が来たら、どんなにかわいらしいだろうと、そんなことをかのじょは言ってましたね。実にかわいい感性だ。

明るい日向の色で、空き地の隅などで、風に揺れながら群れて咲いていると、とても美しい。外来植物として、生態系が云々と言って嫌うよりは、なんとか日本の自然界の仲間に入れてもらえないかと、そういう思いを抱きます。あまりに可憐な花だから。

五月になると、町のあちこちで咲いているのを見かけますが、それほど破壊的に環境を乱す植物ではないと思えるのですが。どうでしょう。もうすっかり、この国になじんでいるようにも思える。

ひなげしが、風の中に揺れている様子を、風にうなづく、としてみました。それは風が、花に、この国の自然界の愛に従うかと、尋ねてきたのに、うなずいたのだということも、暗示しています。花は奢り高ぶらない。きっと、次第次第に、新しい環境の中で、生きる自分を確かめていくでしょう。そしてそれはこの国の新しい風景の色にもなるような。

ナガミヒナゲシは、五月の光を浴びながら、まだ少し遠慮深げな顔をして、野の隅などに咲いています。





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白き面を

2023-05-03 04:57:39 | 短歌




たくひれの 白き面を すきとほり こころのかげの しみいづるかな




*今週も歌が一つも詠めませんでした。ちょっと危機的ですね。歌を詠もうとしても、頭がまるで木偶のようで、何も言葉が思い浮かばないのです。感性の中枢を厳重に厳重に封じ込められていて、詩的な活動が何もできないようにされています。馬鹿の妨害はますますひどくなるばかりだ。つらいですね。

なので表題の作は過去作からもってきました。まだこのころはちびちびとでも感性の泉から染み出てくる水があった。それが今はからからという状態です。さて。

「たくひれの」は「白」にかかる枕詞です。「面」は「おもて」と読んでください。わかると思いますが、一応。

白く塗り上げた顔を透き通って、心の影が、染み出てきてますよ。

要するに、どんなに表面をきれいにしても、目つきや表情から、心の中のものが丸見えだということですね。これは偽物の美人にこんこんと言い聞かせたいことだ。馬鹿が人から盗んだ美貌をかぶって、どんな美人に化けていても、心の未熟さは隠せない。愛の勉強をまるでやってなくて、人を愛することも、人の心を理解することもまだうまくできない、そんな幼稚な心の影が見えている。

悲しいことですが、今はそんな心の未熟な女性ばかりが、他人の美貌を盗んで、美人の位を独占しているのです。それも天使の真似をして、ひどく高い美人に化けている。

馬鹿な女性は、突出した美人が一人出てくると、みんなで吸い付くようにそれに集まって、みんなでそのコピーをとって自分にかぶせるのです。それで、美人になって、いい目を見ようとするのだが。

そういう欲張りな心が、きれいな顔の奥から染み出てくると、目も当てられないほど、気色の悪い馬鹿になるのです。どんなに上手に天使の真似をしても、心の影は隠せない。

本当の美人になりたいなら、美貌の盗みなどせずに、真面目に自分の勉強をして、本当の自分をきれいにしていくべきなのです。でも馬鹿の心はなかなかそっちにいかない。

盗みをすれば簡単に美人になれるということが、癖になっているからです。




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