子がひとり ふたりさんにん そばにいて ぴいちくさわぐ 親の幸せ
*ある日インスタグラムで、雷鳥の親子の動画を見ました。親鳥の周りに小さなひながちょろちょろ動き回っていて、なんだか親が実に幸せそうにしているように見えたので、こんなのを詠んでみました。
かのじょには、4人の子供がいましたが、子育ては大変だったものの、幸せそうにしていましたね。かわいい子供がたくさんいる。子供のためなら、どんなことでもしてやりたい。そんな愛に濡れている自分の心を感じることが、実に幸せだった。
愛ほど、人を幸せにするものはありません。
鳥というものは、その愛をどんな風に感じているものでしょうね。まだ小さな魂には、愛というものは不思議なものでしょう。本当は、鳥の魂は、自分で子育てをやっているわけではありません。神のような美しい愛の存在に、自分を生きてもらっているのです。子供のために、一生懸命に働いて尽くすのも、その愛の存在がやってくれていることなのだ。鳥の魂はまだ幼くて、十分に自分を生きることはできないからです。その生き方は、だいぶ、美しい愛の存在が代わりに生きてくれているのです。
愛するということは、こうするのだぞ。子供というものは、こんなにもいいものなのだぞ。鳥の魂に寄り添っている愛の存在は、それを教えるために、ずっと鳥とともに生きてくれる。まるで親のように。
この地球には、そのような見えない愛の存在が、すべてをなんとかしてくれているのです。
人間も、最初から愛がわかっていたわけではない。そのように、陰から教え導いてくれた存在が必ずいたのです。
愛するということは、こうするのだぞ。愛し合えば、こんな暖かい幸せがあるのだぞ。
子を持つ親の幸せを、雷鳥の魂は不思議な感覚で味わっている。それはいつか、美しい愛になって、深い魂の喜びになる。
その鳥の魂を、ずっと見守り、育てている、不思議な愛の存在がいるのです。