ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

つばさ

2019-12-29 05:17:22 | 短歌





高き夢 のびゆく空に 神はゐて 人につばさの ありかををしふ





*本当の自分自身とはすばらしいものです。

考えてもごらんなさい。それはいろいろなことができる機能体です。思うことができる、考えることができる、ものを言うことができる、何かをすることができる。感じることもできれば、愛することもできる。

神はすばらしいものに、わたしたちをつくってくださっているのです。

この世のすべての苦しみは、この自分自身を、馬鹿だと思い込むことから始まるのです。

きっかけはほんのささいなこと。他人が自分より先に勉強が進んでしまい、自分より美しくなってしまった。それに自分は嫉妬して馬鹿にしてしまった。

そんなことから、自分を人より馬鹿だと思い込んでしまい、嫉妬に翻弄され、あらゆる人を馬鹿にし始めて、人はこの世に苦しみを投げかけ続けてきたのです。

しかしその暗黒の時代ももうそろそろ終わる。人は苦悩の中にも、自分の霊魂が大きくなり、感性が成長し、自分というものの正しい姿を感知できるまでになったからです。

自分というものを創ってくださった、神の愛というものを知ることができるようになるまでに、人間は成長したのです。

人間の霊魂には翼のように飛翔する力がある。高い夢に向かって伸びていくことのできる跳躍力があるのです。神はそれを人間に教えようとなさっている。そして、はやく伸び上がって来いとおっしゃっている。

高い愛の空へ、飛びあがって来いと。まるでひな鳥の巣立ちを導く親鳥のように、神は人間に霊魂の飛び立ちを導こうとしているのです。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おなじ顔して

2019-12-05 05:03:23 | 短歌





有名な 美人はみんな 嘘ばかり おなじ顔して おなじこという





*先ごろ、どこかで映画祭がありました。そこに出てくる女優さんが、みなほとんど同じ顔をしていましたね。みながみな、天使的に整った顔をしている。

馬鹿がみんなで天使のまねをしているのです。芸能界にいる、有名な美人は今、ほとんどみなそういうのばかりです。

顔も同じなら、言うこともほぼ同じ。自分がいいとか、自分らしくとか、昨今の流行りに合わせて適当に言っていればいい。人まねばかりで偽物の自分を作っている馬鹿はみな、だれかのまねしかできませんから、結局同じような美人ばかりができあがる。天使顔に、流行りの細身のスタイル、そして流行りの文句。

今の時代、その人しかいないというような個性的美人はほとんどいませんね。

一昔前なら、偽物でも、その人しかいないというような個性が見えましたが、今はとにかく、馬鹿がみんな天使にしびれて、天使のまねをしているのです。天使があまりにも美しいからです。あんな美人になってみたくて、馬鹿が精出して真似をしている。

まるで人形の製造ラインのように、同じような天使的美女がたくさんできあがる。

けれど、本当の自分は全く違うものなのです。それを置き去りにして、偽物の自分を衒うことほど愚かなことはない。本当の自分がどんどんおかしなものになってゆく。

永遠に、偽物の自分を生きていくことなどできなしない。どこかで、真実はあふれてきます。どんなに嘘で隠しても、自分の奥で本当の自分がうずいている。ほんとうのわたしはこんなものではないのだと。

また、人間の見抜く目も進化している。

天使的偽物美女の奥にいる本当の姿を、だれもが見抜くことができる。

もう見栄えだけではだますことができない。

心まで、本物でなければ、もう美女にはなれないのです。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神様が言う

2019-12-04 05:01:33 | 短歌





永遠に 嘘で生きてく つもりなら もう出て行けと 神様が言う





*偽物の美人というものは、自分だけをいいものにするために、それは多くの人を犠牲にしています。

顔や徳分をたくさんの人から盗んでいるからです。

ひとりの美人をこしらえるために、そうですね、馬鹿は百人の人間から徳分を盗むと考えてください。本当はもっとひどい例がありますが、そう考えるだけでも、馬鹿がどんなにひどいことをしているかがわかる。

馬鹿がひとりいるだけで、百人の人間が苦しむのです。

そのような馬鹿がいれば、この世界に苦しみは絶えない。ですから神はもう、そういう馬鹿をこの世界から追い出すことにお決めなさったのです。

馬鹿のやっていることがあまりにひどいので、とうとう神も愛想がつきたのです。

永遠に嘘とずるとばかりで生きていくつもりなら、それで人を苦しめても平気だというのなら、もうおまえは出て行けと。

馬鹿者どもは人間を落ち、永遠の黎明の世界へと赴かねばならない。そこは神が何も創造を行わなかった世界。愛のない世界。

馬鹿者どもは、愛を馬鹿にしすぎたのです。愛をただの、自分のエゴのために利用できる肉にしようとしたのです。自分だけをいいものにするために、あらゆる人を犠牲にして、平気だったからです。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

われに驕りて

2019-12-03 04:56:55 | 短歌





偽りの われに驕りて 空蝉の 世を食ふものの 追放の門





*偽物の自分をかぶって生きているものは、自分をえらくいいものだと思い込んでいます。人から盗んだもので作った自分が、いかにもそれらしくいいものに見えるからです。

しかし本当の自分はそういうものではない。どんな美人に化けようと、すばらしいアスリートに化けようと、しょせん偽物は偽物。自分のことしか考えてはいない。

そういう段階で勉強をやめているからです。まるで動物のように、自分のことだけしか考えていない馬鹿が、それは高い勉強をした人からいいものを盗んで、自分をいいものにしている。そういうものが、自分をいいものだと奢っている姿はとても醜い。

彼らがいいものになるためには、それはたくさんの人を犠牲にしなければなりません。多くの人から徳分や美しいものを盗み、自分にくっつけ、自分を徳分のある美しい人間に見せる。馬鹿者はそういうことばかりして、この世界に苦しみをふりまき続けてきたのです。

そのようにして、この世を苦しみの世界にしてきたものは、もうここで神に絶縁状をたたきつけられ、追放の門を見るのです。

自分では何も努力せずに、うそとぬすみでいいものになってきた馬鹿は、この時代ですべて人類を落ち、この世界を追い出されるのです。

この世界は神の愛の世界。あらゆる美しいものがある。すばらしいものがある。神の美しい努力のたまものです。それを馬鹿どもは、醜い我欲で乱し続けてきたのです。

馬鹿者は馬鹿でこの世に君臨し、この世界を永遠支配しようとしたのです。それは自分以外の人間をすべて自分のために利用できる資源にしようとしたということです。

神になりかわり、すべてを自分のものにしようとしたということなのです。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高空に

2019-12-02 04:57:29 | 短歌





高空に 焦がれる人の 夢欠けて 低きに落ちる うつけのこころ





*この時代は、人間が人間であれるかどうかの、限界を見た時代です。

本当の自分を嫌がり、人から盗んだ自分を生きてばかり来た人が、とうとう自分の限界を超え、自分を壊してしまい、人間ではなくなってしまった。そういう現象を人間は見たのです。

その自分を壊してしまったということが、どういうことなのかを、考察してみたのが、表題の作です。

彼らは、夢を見ることが億劫になるのです。本当の人間は、高い夢を見て、それに焦がれて自分の未来を志向し、自分をやっていくことができる。ですが人間を落ちた者は、その高い夢を見るという心が伸びない。抽象的なことを考えるのが苦手になり、現実的でレベルの低い価値観や情感を重視するようになる。

ゆえにそういう人たちは、人間として進化していくことができなくなり、人間以外のものとならざるを得ないのです。

永遠を失うというのはこういうことなのだ。馬鹿どもは本当の自分を馬鹿にし、ほかのものになろうとしてばかり来た結果、本当の自分を壊してしまい、人間として伸びていく力を失ったのです。

人間として進化していく力を、大いに傷つけてしまったのです。

ですから彼らは、自分が一体何になるのかを、自分で創造していかなくてはなりません。それはあまりに苦しい道です。自分が、自分を馬鹿にして人間を失ってしまった馬鹿になってしまった。それをなんとかしてよきことにしていくためには、あまりにも大きな努力を、永遠に近い年月、重ねていかねばならない。

運命を呪っても仕方がない。それは自分で選んだ道なのですから。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

てっていてきに

2019-12-01 04:58:06 | 短歌





にせものを てっていてきに みがきこみ ほんものよりも ほんものにする





*これは、ある女優さんの顔を思い浮かべながら詠んだものです。顔を見れば、かのじょの顔を盗んだというのがありありとわかるような例でしてね、顔のつくりなどはそっくりなのだが、表情がまずくて全然きれいに見えないという人なのです。

しかし芸能界というのはそういう人を徹底的に磨きこむのだ。きれいな服を着せ、おもしろいように宣伝文句をつけて、美人で売り出そうとしている。

偽物も磨きに磨けば、本物になるとでもいうように。だがしょせん偽物は偽物。どうしても臭い正体が漏れ見える。

天使の顔というのは罠なのです。人間としては整いすぎている。それゆえに中身のゆがみがそのまま表に出る。その女優さんは、かたちだけは完璧なのですがね、心の薄さというか、未熟さがそのまま表情に出ている。ゆえに全然きれいに見えないのです。

かのじょが美しく見えていたのは、中身が大きすぎ、美しすぎたからです。人類のために偉大なことをして、それをなんでもないかのようにして通り過ぎていく。その心がみごとだったのです。かたちだけではない。かたちも重要な要素だが、それだけでは美しくはなれない。

その形だけはそっくりな女優さんを見ればそれがわかる。心が、霊魂が美しく整っていなければ、本当の美人にはなれないのです。

その女優さんはおそらく、これから老いてゆけばゆくほど、心が表面にあらわれてくるでしょう。形だけは整っているのに、心がまずければ、どういうことになるかという実例を、人々に見せてくれるでしょう。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする