いつはりの かほをわが身に とどめ置き うそをまことと なすすべをこふ
*馬鹿の妨害はおさまるどころか、ますますひどくなってきています。歌を詠もうにも、アタマの大事なところを厳重にふさがれていて、言葉の感性が開きません。全然歌が詠めない。苦しいですね。
その中で表題の作は、久しぶりに詠めたものです。前に似たようなのを作った覚えがありますから、本調子とはいかないまでも、なんとかなったという感じです。
偽物の顔を、自分にとどめ置いて、その嘘を本当にするすべを請う。要するに、嘘で作った美人の顔が惜しくてたまらず、それを捨てることができなくて、その自分を保ったまま、嘘を本当にできないものかと、虫のいいことを考えている。そういう馬鹿な人たちがいるという歌です。
人間、霊的側からずるをして操作すれば、自分を美人にすることなど簡単にできるのです。他人からきれいな顔を盗んで自分に張り付ければいい。そうすれば難しい勉強などせずとも、すぐに美人になることができる。美人になればいい男が引っかかって、人生楽をすることができるんだと、馬鹿な人たちはそんなことばかり考えて、他人の美人を盗み続けてきたのです。
でもそればかりやってきて、とうとう崩壊を迎えたのがこの時代です。偽物の美人というものがいるのだと、こちら側の人間にばれてしまった。こころとかたちが違う、詐欺みたいな人間がたくさんいることに、人間が気づいた。
本来かたちというものは、こころをそのまま表すものですから、かたちのきれいな人はこころもきれいなはずなのですが、偽物はそうではない。かたちはきれいなのに、こころはそれで人をだまして自分だけ得しようなんて、汚いことを考えている。それは愛ではない。愛ではないものが愛のふりをして実にきれいに自分を装っているのが、あまりに汚らしい。
馬鹿な人たちは、自分がそういう偽物であるということに気づいて、自分がつらいのだ。本当の自分に戻ろうとすれば、いやらしいこころそのままのかたちになって、自分の本性がばれてしまう。それがつらくて、偽物の美人顔をとどめ置き、それを本当にできないかと迷う。
でも嘘は嘘です。どんなにあがいても本当にはならない。
馬鹿な人たちは、偽物の美人顔に溺れこみ、本当の自分から逃げ続け、とうとう自分自身を失い、人間を落ちるしかないのです。