ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

人のあらを

2024-10-30 02:23:01 | 短歌





人のあらを 探してつつき あふ馬鹿を 見てはこの世の 乱れをぞ知る





*ネットをあちこち見ていると、よく人の悪口を言っている人に出会います。

人のあらを見つけると、甘いものを見つけた蟻のように喜んで、汚い言葉で人を馬鹿にしている。

なぜ人は人を馬鹿にするでしょう。それはやはり自分がつらいからです。自分の人生が、なかなかイメージ通りにうまく運ばないからです。だから、少しでも自分よりいいと感じる人を見つけると、いろいろと難癖をつけて馬鹿にするのです。

なんで自分の人生がうまく運ばないのか。それは要するに、人を馬鹿にしたりして、いやなことばかりするからなのですよ。人を馬鹿にすることは、愛ではありませんから、愛ではないことが自分に返ってくる。そして自分の人生が暗い方向に流れていくのです。

正しい努力など何もしないで、他人ばかり見て、悪口ばかり言っているから、不幸のタネを買って、自分の人生が馬鹿になってくるのです。

幸福が欲しいなら、それなりの自分の努力をすることですよ。何かを真剣にやってみるのです。努力するものには、失敗やつまずきはつきものです。そこを馬鹿にしてくる馬鹿に負けない心の力が必要です。

そんな人の努力を嗤うだけで、自分の努力は何もしないような人が、どうもこの世にはたくさんいるみたいだ。

あらをつつき、馬鹿にしあい、傷つけあっている人間を見ると、自分病にかかった人間の、乱れた情念の闇を感じます。





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そのわれの

2024-10-23 03:40:38 | 短歌





そのわれの 深き罪をぞ なきことと せむと逃げ行く 人の悲しさ




*人間、罪を犯したことのない人などいません。どんな良い人も、まだ何も知らなかった頃に、馬鹿なことをしたことがある。罪を犯してしまえば、自分が汚いものになったような気がして、とてもつらい。

正しい人は、そのつらさから逃げずに、ちゃんと償いをして、罪を清めていくものなのですが、中には、他の誰かや何かのせいにして、そこから逃げてしまう人もいるわけです。

自分が、あまりにも馬鹿なことをしてしまった。その罪の深さを嘆き、こんな自分など嫌だと、まるのまま自分を捨ててしまいたいと、身を切り裂くような苦しみにあえぐ人がいる。自分は悪くないのだと思いたい。すべては自分以外の誰かが悪いのだと思いたい。それでなければ、自分のしたことが、あまりにも苦しすぎる。

逃げてしまえば、愚かな暗闇に魂を迷わせ、延々と苦しむことになる。自分以外の誰かを悪者にしようと、曲がらない理屈をまげて、嫌なことをし重ねて、よけいに罪を深めてしまうのです。

わかっていても、馬鹿な人たちは馬鹿をやめられない。どうしても自分の罪を背負うのが嫌だと、逃げ続ける。

自分のしたことが、あまりにも馬鹿すぎるからです。そしてずっと、腹の中に巣くう矛盾の虫に苦しんでいる。

その苦しみから自分を救うには、自分の罪をまっすぐに受け止め、正しく償っていくよりないのです。どんな深い罪、重い罪も、清めていける自分を信じ、愛を行って、償っていくより他はない。

それでも馬鹿は迷い続ける。
永遠に逃げるつもりかと問われても、まだ逃げ続ける。

あまりにも自分がつらいのです。




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浮世には

2024-10-16 01:22:06 | 短歌





浮世には 苦しきことも おほけれど 肉でも食へば 憂さを忘るる




*相変わらず、毎日添島ががんばっているので、わたしはかなり遠慮しています。なかなか自分の歌が詠めない。でもまあいいでしょう。彼がやりたいと思っている心を、邪魔することはできません。

表題の歌は、タイッツーの方に発表したものです。タイッツーで、ある人が死にたいなどと言う歌を詠んでいたものですから、その返歌のつもりで詠んだものです。

制限があったので、直接送ることはできませんでしたが、心が伝わるといいのですがね。

人生は、苦しいことが多いですが、たいていのことは、腹を満たせば忘れるほどのことですよ。がんばって生きなさい。

そういう意味をこめて詠ってみました。
本当に、人間の苦悩も、おいしいものを食べれば、かなり救われるということがありますね。おなかがすいていると、人間、あまりいいことは考えません。つらいことばかり思い出して、人生から逃げ出したいなんて思うこともある。

そういうときは、とりあえず、何かを食べることですよ。食欲が満たされれば、心もかなり変わってくる。
幸せが浮き上がってきて、人生もう少しがんばってみようと、意欲がわいてくるものです。

心がネガティブに暗くなってきたら、とりあえず、何かを食べてみることですよ。




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選ばれし

2024-10-09 01:14:01 | 短歌





選ばれし ものと驕りて 空蝉の 世を侮りて 人にきらはる




*今週はかなり調子よく詠めました。添島とのエネルギーの配分もわかってきた感じです。この調子でこれからもいきたいものですが、さて。

選民思想というのがありますが、それは人間がまだ動物に近かったころに生まれた、自分が世界の中心であるという、実に幼児的な、間違った考え方です。

神は、特定の人間や民族をひいきしたりはしません。すべてを平等に愛してくださる。ゆえにすべての人間は、神の愛の元、平等なのです。

しかし世の中には、自分は神に特別に愛された、選ばれた人間だと思う人がいるもので。そういう人は、自分以外の人間を馬鹿にして、世間を侮り、自分を人に押し付けて、それで人に嫌われたりするもので。

そういう自分中心の考え方は、どう考えても、動物の境地です。動物というものはみな、何の根拠もなく、自分が世界で一番偉いと思っているものですから。

人間になったら、いろいろな勉強をして、自分以外にも偉い人がいると感じ、自分中心の心が修正されてくるものですがね、この世界にはいまだに、自分中心の心を捨てられない、困った人(たち)がいるのです。

かわいそうだが、そういう人たちは、多くの人に嫌われ、相手にされなくなり、孤独に落ちていかざるを得ないでしょう。




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おひがたき

2024-10-02 00:55:32 | 短歌





おひがたき おのれをおひて みちとせの 罪を清めよ 放蕩の民





*今週はあまりよいのが詠めませんでした。ゆえにこれは先週の作です。添島がまだがんばっているので、わたしにあまりエネルギーが回ってきません。

背負い難い自分を背負い、三千年の罪を清めなさい、放蕩の民よ。

みちとせ(三千年)というのは、長い長い年月という意味で、数字に特に意味はありません。数字でいうなら、万年というのが正しい。それくらい長い間、おろかな人間は、神に逆らって生きてきたのです。

自分を嫌がり、自分から逃げて、他のもっといい別の存在になろうとして、あらゆる馬鹿をやってきた。人のものを盗み放題に盗み、自分に飾り付けて、馬鹿らしい美人になろうとしてきた。

その、苦い罪を犯してきた自分を、すべて背負い、本当の自分をやり直せというのが、歌の意味です。

放蕩の民、というのがきついですね。人類の馬鹿の最も痛いところに、ぐさりと突き刺さる言い方です。そのおかげで、歌がきつい感じでよいものになりました。

確かに人間は、神の心を無視し、自分のことばかり考えて、放蕩の限りを尽くしてきた。その夢の中で、いつでも馬鹿なことばかりしている自分から、逃げようともがいてきたのです。

しかしいつまでもそれは許されない。

神は放蕩の民に、本当の自分に帰り、すべてをやり直すことを要求する。

それができないのなら、もう二度と愛さないとおっしゃる。

さて、どうしますか。




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