いつはりの われをさなぎと 脱ぎ捨てて まことのわれの 高みをぞ知る
*今週は二首しか詠めませんでした。これも平凡な作ですが、これがましなのであげましょう。最近なかなか良いのが詠めません。馬鹿の妨害で感性の中枢にふたをされているからです。霊魂には感性の中枢という部分があって、そこを抑えられると、インスピレーションがわかなくなるのです。苦しいですが、これでやってゆくより仕方がありません。
嘘で作った自分を、さなぎのように脱ぎ捨てて、本当の自分の高みというものを知ることですよ。
事実をそのまま平板に語っているだけですね。感動というものがこもっていません。確かに、嘘の自分を脱ぎ捨てて本当の自分に目覚めれば、魂は高みに上り、そこで深い真実を知るものなのだが。
迷いの闇の中でだらけていた魂も、解脱を経験し、本当の自分の真価を知れば、すばらしい人になる。愛に目覚め、愛ですばらしいことをやってゆく、すごい人間になる。そのときのその人が味わう、魂の感動というものがあるのですが、残念ながらそれがあまりうまく表現されていません。
まるで魂に翼が生えて、いっぺんに空に昇ってしまったかのような、あるいは自分の中から輝く太陽が打ちあがったかのような、すばらしい感動を味わうのだが。
そんな魂の感動を、「高みをぞ知る」で言い表そうとしているのだが、弱いですね。もっといい言い回しはないものか。だが、頭の中をこねくり回しても、なかなかいい言葉が浮かんでこない。このスランプ、だいぶひどくなってきているようです。
馬鹿はこの妨害を一生続けていくつもりらしいです。困りましたね。だが、なんとかしていくより仕方がありません。弱いながらも、下手ながらも、あきらめずに詠んでいきましょう。