ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

われと思へず

2022-11-30 09:46:18 | 短歌





いつはりを 捨ててまことの われをとり あとをかへれば われと思へず




*今週は一首しか詠めませんでした。不調ですね。毎日歌を詠もうと頭をしぼってみるのですが、感性がからからに乾いていて、何も浮かんできません。前は少し心をそこに向けるだけで、泉のように言葉がわいてきたものですが。このスランプはなかなかしつこい。ですが何とかやっていきましょう。にじるような速度でも前を向いて進んでいれば、何かが見えてくるでしょう。

偽りを捨てて本当の自分をとり、後ろを振り返ってみたら、過去の自分がもう自分とは思えない。

これはそういう意味の歌ですが、実際、解脱をして本当の自分に目覚めてみれば、だれしもそういう感慨を持つのです。今までやっていたことが、馬鹿みたいなことに思える。なんであんなことをやっていたのか。過去の自分は、自分が苦しくて、少しでも自分をいいものにしようと、焦って馬鹿なことばかりしていた。そんな自分がもう、今は自分とは思えない。まるで脱ぎ捨てた蛹の皮のように、あれはもう自分ではないのだと思える。

解脱して、新しく生まれ変わった自分は、愛のためになんでもやってゆく、それは美しい自分なのだ。この自分が本当なのだ。過去の自分は、何も知らなかった。何もわかっていなかった。無明にしびれておかしなことばかりやっていた。だがもう二度とそんなことはするまい。美しい本当の自分の心が命ずるまま、すべての幸福のために、あらゆることをやってゆく。なんとすばらしい自分だろう。

このように、解脱をすれば、まるで蛹から蝶が生まれるように、自分がすっかり変わってしまうのです。神がみんなの心の奥にしかけてくださっていた、愛の仕掛けがはじけて、自分が本当に美しい自分に変わってしまう。頭のてっぺんから足の先まで、全部が愛になってしまう。

人間の本当の自分とは、すばらしいものなのですよ。自分が変わっていくことを恐れて、解脱を渋るのは愚か者のすることです。新たな自分に生まれ変わるべく、人は解脱に飛び込んでいくべきだ。

みながそうすれば、この世は愛ばかりになって、すばらしい天国が成立するのです。そんな世界が来てほしい。いいえ、必ず来るでしょう。

古い自分を捨てて、本当の自分に目覚めなさい。そうすれば生まれ変われる。迷いの中にいた古い自分はもう自分ではない。新たな自分は、魂の自由の翼を得て、新たな空に飛んでゆくのです。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幻の山

2022-11-23 09:16:02 | 短歌





すみそめの ゆふべの月を とらむとて 千たびまよひし 幻の山




*「すみそめの」は「ゆふべ」にかかる枕詞ですね。「千たび」は「ちたび」と読みましょう。わかっていると思いますが、一応。

今週もいくつか詠めました。でもなかなかすっきりと言葉が決まらなくて、気に入らないのが多い。その中でこれはましなほうでしょうか。言いたいことが31文字になんとか収まっている。

夕べの空にかかる月をとろうとして、千度も幻の山を迷ったことですよ。

月は山のてっぺんに登ったとて、とれるものではありません。あれははるかな空を泳いでいる尊い光なのだ。そんなものをとろうとすること自体が愚かなことなのだが、馬鹿な人たちは、目に見えるものだからとれるものと思い込んで、幻の山を迷い続ける。

彼らは月になりたいのですよ。あんな美しくて高い存在になりたいのだ。だからその月を盗もうといろんなことをする。かたちを真似して、服装もそれらしくして、なんとも上手に化ける。そんなことをしているうちに、魔法が起こって、自分が月になれるのではないかと、そんな夢想を抱いている。

馬鹿な人たちは、自分は自分以外のものにはなれないのだということが、わかっていてもわかりたくないのです。自分は何もない馬鹿だと思い込んでいる。そんなものよりは、はるかに高くて美しい月の方がいい。あれを自分にしたい。だから目に見えてわかることは、全部盗んで、かたちだけはずいぶんと似ている、月に化ける。

そんなことをしても、月になれるわけがない。月は月、自分は自分で、全然違うものだからです。馬鹿をやっていないで、本当の自分を振り返り、じっくりと時間をかけて、自分を育てていく方が、ずっと美しいし、いいことなのだが。

馬鹿はいつまでも幻の山を歩いている。歩いているうちに、神が折れて、自分を月にしてくれるのではないかと、そんな愚かな夢の中を、さまよっている。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その道を

2022-11-16 08:26:08 | 短歌





その道を このままゆけば 地獄ゆき とく振り返れ まことのわれを




*これは昨日大火が詠んでくれたものです。わたしも今週はいくつか詠んだのですけれどね、大火のこのパンチ力にゆずって、今回はこれを採用しました。現代語も古語も自在に使って、おもしろく詠む彼のやり方は好きだ。

その道というのはどんな道でしょうね。地獄に通じる道とは、要するに嘘の道だ。自分にも他人にも嘘をついて、エゴを満足させるためだけに生きる道だ。仮性の自己が夢見ている、刹那的な快楽を追い求める、幻想の道だ。

そんな道をずっと歩いていけば、地獄に行き当たるのは当然のことなのです。

嘘は、どんなに本当らしく装っても、軸がぶれてすぐに馬脚が現れる。真実の姿がばれれば、嘘の上に築いた牙城がすべて崩れてくる。馬鹿者はすべてを失うのが怖くて、嘘を本当にするために一層あがく。それでまた嘘を重ねて、落ちる地獄の底を深くする。

なんのために嘘をつくのか。愛のふりをして世間をだまそうとするのか。馬鹿者が欲しいのは、エゴが求める快楽を永遠に保証する、ゆるぎない権力なのです。簡単に言えば、金とか名声とか地位とかいうものだ。そんなものを得るために、馬鹿者は愚かな嘘をつき続ける。

そして地獄への道をまっしぐらに走っていくのです。

噓つきが落ちる地獄に落ちたくないのなら、嘘を捨て、本当の自分に戻らねばなりません。嘘で得た幻の財産をすべて捨てて、まことのわれを振り返り、そこから真正直な自分を生きていかねばなりません。

この世に永遠の幸福を構築したいのなら、愚かな嘘をつくのではなく、本当の自分をまっすぐに真面目に生きることです。その道に目覚めれば、人は地獄への道を回避し、天国の門に触れることができる。

大切な人生が終わらないうちに、できるだけ早いうちに、自分に目覚め、本当の自分を生き始めることです。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霧に浮く

2022-11-09 09:28:58 | 短歌





霧に浮く にしきの影を おひつづけ いつはりの世を まよひゆく人




*今週は何首か詠めました。少し調子が戻ってきたような気がします。封じ込められた感性の、隙間から、少し水が漏れてきたような感じです。そういいものではありませんが、なかなかに痛い。このままだんだんと元の調子に戻ってくれればいいのですが。さて。

霧に浮くにしきの影とは何でしょうね。それは霧のような幻の壁に映る、きらびやかな幻です。動物的で、刹那的な快楽を追いかけるものが見る、すばらしく豪華な夢です。

動物というものは、いつでも肉体的な快楽を追いかけるものだ。うまいものを食いたい、セックスをしたい、そういう欲望を満足させるために生きているものだ。しかし人間ともなると、それだけでは許されない。もっと高いことを神に要求される。愛について勉強せよと、大きな課題が降りかかる。

そういう人間となっても、まだ動物的な欲望のみに生きようとするとき、人は霧に浮くにしきの影のような、まがまがしい幻の幸福を夢見るのです。

例えばテレビでヴァラエティ・ショーなどを見てみると、美しい衣装を着てまぶしい光を浴びながら若い男女が踊っているのをよく見ますね。彼らは一体何を追いかけているのだろうと考えます。顔も肉体も、嘘で作り上げ、偽物の美貌をかぶって、色を振りまいて、何を求めているのだろう。

彼らは快楽が欲しいのです。嘘で作り上げた偽物の自分の奥には、猿のように何もない寂しい自分がうずいている。その自分の中の動物が、しびれる快楽を欲しがるのです。そしてそのためなら、どんな馬鹿なこともする。

人の美貌を盗み、人の宝を盗み、自分にくっつけ、自分だけの幸福を作り上げようとする。そして嘘で作った幻の世界に、深く迷い込んでいく。

本当の幸せは、そこにはありません。本当の幸せは、肉体の快楽の中ではなく、魂の中にあるのです。

どんなに丈夫そうに見えても、霧に描かれた幻は、はかない。真実の風に洗われて、いつか消えてゆく。

嘘で作った幸せは、魂の喜びを呼ぶこともなく、ただ矛盾にねじれた苦しみで、人間を縛ってゆくばかりなのです。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れても

2022-11-02 07:47:58 | 短歌





忘れても 忘れてもまた かへりくる 昔のわれの 罪の思ひ出




*今週も一首だけ詠めました。あまりよいできではありませんが、それでも何とか詠めたことがうれしい。今のわたしたちは、感性の中枢に蓋をされていて、歌を詠もうにも何も言葉がうかばないのです。こういう状態のときに詠む歌は、やはり低調ですね。さて。

人間、まちがったことをしたことのない人はいません。かのじょ自身も、まだ何も知らなかった子供のころに、人に迷惑をかけたことや、人を傷つけてしまったことなど、たくさんの間違いをしたことがあります。

記憶を共有しているわたしにも、時折かのじょの過去の記憶がよみがえってきて、苦しむことがあります。

あんなことなどしなければよかったと。小さな子供のころのことなのに、いまだに後悔の念にさいなまれる。

忘れたいと思っても、そういう思い出は、ことあるごとによみがえってくる。そのたびに苦しむ。そういう思いを、どうすればよい方向に向けられるかと考えます。

もう二度とすまいと心に誓い、美しく自分を律して生きていく。また、自分のおごりを戒める材料にもできる。

人の失敗を見ても、大上段に立って責め立てることはできない。自分だって失敗したことがあるじゃないかと思う。そうすれば、失敗した人に愛を向けられる。心を共にし、がんばってやり直していこうと、声をかけることもできる。

人間は失敗する生き物ですから、それにつまずいて前に進めなくなるのはつらい。そこから学び、自分を立て直し、やり直し、美しい自分を育てていく。

そうすれば、過去の苦い経験も、生かしていけると思うのです。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする