ちよろづの 数をたのみて くはしめの 不幸をねがふ そのあさはかさ
*この時代に起こった美女いじめの事件で特徴的なのは、実に多くの人間が夢中になったということでした。
まるでゲーム感覚でしたね。おそろしく愚かな人たちが、たったひとりの美女を影からいじめて不幸に突き落とすゲームに熱中した。なぜそれほど夢中になったのか。実にかのじょが彼らにとっては理想的な美女だったからです。それだけでなく、何をやっても通用せず、平気でのほほんと長生きしているからです。
ほかの美女はすぐに死んだからよかった。あんなのは馬鹿だったのだと勝手に言えばいい。だけどあれは許せない。きれいなのにいやなことにもならず、まだ生きている。
凡庸の民の憎悪というのは激しく深いのです。勉強をして高くなった人がうらやましくてならない。盗みでも何でもして無理にでも自分がそっちに行きたいなどと思い、本当にそういうことをしているのだが。
実際、かのじょをいじめていた人は、ほとんどみなかのじょよりは豊かな暮らしをしていました。お金と暇があったからあんなことをしたのだが、じつはそのお金も人から盗んだものなのです。人間というのは、勉強をしていいことを積み重ねなければ、本当は豊かな暮らしなどできないのだが、彼らはなぜかいいことは何もしないのに豊かな暮らしをしている。
それは本当は、かのじょのようにこつこつといいことをしている人から、徳分やいろいろなものを盗んでいるからなのです。
そういう凡庸の民がこの時代たくさんいて、やったことは、みんなで結託して、たったひとりの美女をいじめるということでした。
あさはかというほかはない。高いことなど何もできぬ馬鹿がやれることといったら、陰からいやなことをするということだけだった。そのいじめの対象が、目を見張る美女だったということがまた低級だ。
うらやましくてならなかった。自分はあんなにきれいになりたくてもなれないからです。まだ何もやっていないからです。
法則というものを何も知らなかった馬鹿は、ひどい陰口を万言も積み重ねたが、それはかのじょの耳には一言も届かなかった。月は救いの夢ばかり見て、すぐに通り過ぎて行く。そしてかのじょが死んだあと、馬鹿どもは自分のなした万言の嘘が自分にふりかかってくる運命にやっと気づく。
おそろしいことになるのです。