すくはれぬ 阿呆の闇を なげきつつ けふも諫めを くりかへす人
*今週は一首だけ詠めました。これは大火の作ですが、なんだか少し投げやりですね。苦しさがにじみ出ている。
ツイッターの方では、毎日大火が天使のまねをする馬鹿な人たちを諫めています。それをすると人類を落ちるんだぞ、大変なことになるんだぞと、それはもう口が酸っぱいをとおりこして、辛くなって火を吹くほどに言っている。それなのに馬鹿は、天使のまねをどうしてもやめない。
天使のまねをすれば、自分がきれいになれて、何でも思い通りになるように思うからです。そういうエゴに巻き付かれた欲望は、実に手ごわい。正しいことを何千度と言い聞かせても、馬鹿の心はどうしてもエゴに傾くのです。
きれいになって、いい思いをしたい。幸せになりたい。
馬鹿は本当の幸せというものがまるでわかっていない。きれいになればなるほど、神の心を背負い、みなの幸福のために働かなくてはならない。その美しさが本当の幸福を運んでくるものなのだと、教えても教えても、心に染み込まない。
ただ、きれいになれば、男が言うことを聞いて、何でも自分のためにしてくれるんだと。豊かな暮らしができて、好きなものを買ってもらえて、自分は何もつらいことをしなくていいんだと、そんなことばかり考えている。
それが馬鹿の心の闇というものだ。
それを嘆きつつも、彼は馬鹿を諫め続ける。繰り返し繰り返し、言い聞かせる。同じことを何度も何度も、そして何年も積み重ねていく。
徒労に等しいことかもしれない。だが、かけらでも可能性があると思えば、あきらめることはできない。
教育というものは、せつない苦行だ。人の心を良い方に変えていくということは、時に絶望的なほど難しい仕事だ。
それでもやるのが、天使というものです。