アモールの 弓はプシュケを 侮りて 影と思ひて 野に見失ふ
*これはアモールとプシュケの神話を題材にした歌です。昨日、蝶を魂の隠喩だと言いましたが、その発想の元は、プシュケという言葉が古代ギリシャ語で、魂を意味すると同時に蝶をも意味することから来ています。西洋絵画では、プシュケは蝶の翅をもった美しい少女の姿で描かれることも多い。
アモールはエロース、クピドとも言いますね。愛の神だ。背中に翼をもち、小さな弓矢を持った男性の姿で描かれます。その矢に刺されたものはたちまち恋に落ちてしまう。ラテン語で愛はamor。この言葉は、ローマromaを逆にしたものだという説もあるそうです。
アモールとプシュケの結婚は、愛と魂の結婚だという譬えになりますが、物語は結構複雑だ。
美しいプシュケの噂を聞いた美の女神ウェヌスが嫉妬にかられ、息子アモールを遣わして嫌な男に恋をさせようとする。だがアモールはプシュケの美しさに驚いて、愛の矢を自分に刺してしまい、プシュケに恋をしてしまう。二人は愛し合うが順調にいくはずもなく、姉たちの嫉妬を受けてプシュケはアモールの正体を見てしまい、アモールに捨てられてしまう。
後悔したプシュケはウェヌスの試練を受け、愚かな間違いをしながらも、いろいろなものに助けられて何とか乗り越えることができる。そしてアモールと再び結ばれる。アモール(愛)とプシュケ(魂)は結ばれ、歓喜という名の子供が生まれる。
まあこんなところです。かわいい話だが、わたしはこれに、男社会のエゴをも感じます。女の魂という蝶を、飼いならして自分の配下に置こうとする男のエゴが、痛いところに塗りこめられているような気もするのです。
物語の中のプシュケは、冥界の女神プロセルピナからもらった美の箱を開けて、すこし美を盗もうとしたりしている。賢い魂なら、そんなことはできません。美しさを盗んだりしようとはしない。たとえ自分が醜い姿になっても、夫のためになることをしたいと思うものだ。
物語の作者がプシュケにそんなことをさせるのには、女が持っている魂というものが、実は節操もなく馬鹿なことをする愚かなものなのだということにして、男の支配下におきたい、そういう男の意図を感じますね。
愛の神アモールなのだと名乗ってはいるが、実はアモールは愛ではない。ローマなのだ。男が打ち立てた、巨大な帝国の権力を表す。それすなわち、男のエゴです。
男が、男の力で、女の魂を支配したい。そういう意図が、この物語にはあるのです。
物語の作者はアプレイウスという帝政ローマ時代の作家だそうです。女性に対する考え方がいかにも単純だ。筋はおもしろいが、洗練されていない、粗野な男の馬鹿っぽさを感じます。