空蝉の いのちはちさき 玉なれど なぬかのせみの 世をしらすかな
*夏といえば蝉。今も外を蝉の声が今を盛りとばかりに鳴いています。たしかに、彼らはひと夏を支配しているかのようだ。蝉の喧騒のない夏など考えられない。いや、うるさすぎてかえって静寂ともとれる騒ぎです。
一匹の蝉は、手のひらに載るほど小さいのだが、それが木の梢のどこかにいて鳴いていると、木そのものが鳴いているようで、しばらく木を見上げて立ち尽くしてしまう。何を言いたいのだろう、と首をかしげてしまう。蝉の声は何かを言っているような気がする。羽化してから七日しかない命を、焦りに焦って生きている叫びのようにも聞こえるが、それは人間に、ぐうたらしていると何もせぬうちに死んでしまうよと、言っているのかもしれない。
今年の夏はことのほか暑いですね。地球温暖化の影響でしょう。地球環境は神がなんとかしてくださっているとはいえ、人間の影響は無視することはできない。焼き付くような暑さの中で、人間もそろそろ何かをせねばならぬと焦り始めるかもしれない。
冷房の効いた部屋でぼんやりしているだけではだめだ。時にしがみつくように、焦って何かをしなければ、何か大事なものを失ってしまう。そんな焦りを蝉の声は掻き立てます。しかし何をすればいいかというと、わからない。たいていの人は、焦りを感じつつも、凡庸の水に浸りこんで、これでいいんだと何かに言い訳をしながら、ひと夏をぼんやりと過ごしていくのです。
みんみんぜみを「見む見むせむ」と言ったのはたしかわたしが最初でしたね。いやすぴかだったかな。あまりに多産しているとわけがわからなくなる。最近は馬鹿の妨害で歌が不調ですが、それでもにじるような前進を続けています。今できることは、とにかく自分にできることをやることだ。これしかないということをやることだ。
人々のために最善のことができるようにと、神に祈りながら、わたしたちにできるすべてのことをやることだ。
そういう心でいると、蝉の声が優しく聞こえてきますよ。