ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

馬鹿者は

2022-08-31 07:52:09 | 短歌





馬鹿者は ひとさまの邪魔 ばかりして 自分の自分を まったくやらぬ





*大火節です。相変わらずきついですね。

これ、「自分の自分を」のところが8文字になるので、少しわたしがこう推敲してみたのですが。


馬鹿者は ひとさまの邪魔 ばかりして 自分のことを なんにもやらぬ


さてどっちがいいでしょう。大火本人は元の作のほうがいいというのですが。確かに「自分の自分」と言ったほうが、明確に言いぬいていていいかもしれませんね。わたしが推敲した方では、まとまりはよくても少し意味が弱くなります。

さてそれで、解説するまでもありませんが、まさに馬鹿な人たちはこういうことばかりしています。他人に嫉妬ばかりしていて、他人の邪魔ばかりしていて、自分の自分をまったくやらない。勉強をしない、修業をしない、そういうつらいことはさぼってばかりいて、いつも他人ばかり見ていて、他人様のきつい批評や悪口ばかり言っている。

こんな調子では、全然自分が育ちません。先に勉強して賢くなった人の邪魔ばかりして、自分のことは何にもやらないからです。自分は焦って自分をやらなければ、全然成長しないのです。そういう未熟な人たちがいつも、勉強の進んだ人の行動を妨害して、世の中に難を振りまくのです。

人の邪魔ばかりしている人は、原始の時代から、ほとんど何も勉強していません。だから今も愛がはっきりわからない。なぜ人が、時に高い目的のために自分をかけて行動するかがわからない。馬鹿者は原始的エゴのまま今も生きていて、ほとんど自分のことしか考えられないのです。

そういう魂の勉強を怠ってきた人は、もうそろそろ大きな壁にぶつかります。神の壁です。

神が、愛がわかる人間でなければ、もうこの世に生まれてくることを許さないとおっしゃるからです。

他人様の邪魔ばかりして、自分の勉強を何もやってこなかった魂は、みんな、この世界を追い出されることになったのです。




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わがなしし

2022-08-24 07:45:41 | 短歌





わがなしし 罪の山をぞ 清めむと ひたと働く まことなる人




*相変わらず不調ですが、週に一つくらいは詠めるようです。これもひねりがなく、棒のようにまっすぐな一筋ですが、内容からすれば、これでいいのかもしれません。

「ひたと」は「ひたすら」とか「いちずに」とかいう意味の古語です。

人間は、自分がつらかった迷いの時代に、あらゆる苦い罪を犯してきました。人を盗み神を盗み、自分だけの幸福の牙城を永遠に築くために、あらゆる馬鹿なことをしてきた。その罪の山はあまりに高く、人を恐れ惑わせるものです。こんな大きな罪の山を支払えるはずがないと、逃げる人も多いのです。

ですが、本当の自分に目覚めた人は、正直にまっすぐに、それを償ってゆくのです。それが自分にできることだと、わかるからです。自分は何もできない馬鹿なものではない、あらゆることができるすばらしいものだと、わかっているからです。

美しい自分自身の真心で、すべてを愛のためにやってゆくとき、大きな罪の山も、恐れるものではない。愛である自分自身さえあれば、やっていくことのできる課題なのです。そしてそのやっていくことそのものが、すばらしい幸福になる。

自分自身が、すばらしいものだからです。明るい心で、まっすぐに償ってゆく自分が、まことに美しいからです。

そのすばらしい自分自身さえあれば、どんなこともやっていける。迷いの時代には暗くふさがっていた未来が、美しく開けてくる。

本当の自分は、まことにすばらしいものなのです。




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目覚むれば

2022-08-17 07:30:04 | 短歌





目覚むれば ゆめまぼろしは 消えゆきて まことのわれの 光をぞ見る





*相変わらずうまく詠めません。ツイッターの方では、何日かおきに一筋くらいは詠んでいるのですがね、感性を封鎖されているため、高く想像力が飛ばないのです。これなども、言いたいことはわかるのだが、語り口が平凡で、気に入らない。

人間は、解脱して本当の自分に目覚めれば、それまで黄金のように大事だとこだわっていたものは、ガラクタのように意味の薄いものに落ちていき、代わりに本当の自分の美しい真実が見えてくる。それこそが黄金の幸福だと、そういうことを詠みたかったのだが、なんだか全体的に説明に堕してしまい、あまりおもしろくありません。

絶好調の頃なら、もっとおもしろい比喩を駆使して、気の利いた言い方ができていたものですが。しかしこれも今の状態を語るものとして、それなりにいいかもしれません。

スランプの時期には、その時にできることを、這いながらでもやるしかない。苦しいですが、すべてをあきらめてしまうよりはましでしょう。これからも詠んでいきたい。

すさまじき 馬鹿の嵐を 耐へゆきて おのれの道を ひとすぢにゆく

今また詠んでみましたが、やっぱり下手ですね。今は思い通りにならない自分の表現力に耐えていくしかなさそうです。





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馬鹿者の罪

2022-08-10 08:15:09 | 短歌





うつそみの 人を盗みて おのが世の さいはひを食ふ 馬鹿者の罪





*相変わらずしゃきしゃきと詠めませんが、何とかこれは詠めました。苦しいスランプの中で、にじるようにしか進めなくても、やれることはやるべきですね。

ツイッターの方で、大火が繰り返し言っていることですが、世の中には他人からいいものを盗んで、自分の人生を勝手に作り変える輩がいます。本来の自分の人生では、いろいろな罪の反動が帰ってきて、つらいことになるので、つらい思いをするのが嫌なばかりに、他人の徳分や幸福を盗んで自分にくっつけ、自分の人生が良い方向に向くように操作するのです。

これを霊的ずるというのですが、残念ながらこれをやっているものは相当にたくさんいます。実に多くの人間が、自分の人生を好きなように勝手に書き換えているのです。

たいして努力もしないのに、運が開けてきたり、未熟な人格で修業もできていなさそうなのに、標準以上の暮らしができていたりするのは、たいていそれです。

本来なら、自分の努力に励み、世のために人のために尽くしている人ほど、良い暮らしができるはずなのです。馬鹿者はそれをゆがめて、好き放題に盗みをやり、何も努力しない馬鹿ほどえらくいいものになれるのだと、そういうことにしてきたのです。

世間の理不尽や矛盾は、たいてい馬鹿が裏でやっていることの現れなのですよ。

しかしそういう馬鹿者も、この時代で行き詰まることになったのです。馬鹿があまりにひどいことをやりすぎたので、神が本気で怒っていらっしゃるからです。

馬鹿が自分だけの幸福をつくるために、どれだけの人間を不幸にしているか、神はご存じなのです。その他人の不幸の上に自分の幸福な人生をつくっている馬鹿者は、もうこの時代ですべて人間を落ち、人間の世界を追い出されることになったのです。

自分の努力は何もせず、嘘と盗みばかりで生きてきたことのツケが回ってきたのです。ずるいことばかりして、人間を馬鹿にしてきた罪の反動が、とうとうやってきたのです。




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鳴き終へて

2022-08-03 07:48:56 | 





鳴き終へて 道にころがる 死せる蝉     夢詩香





*俳句が続きます。これはほんのさっき詠んだものです。朝の散歩をしていると、道の隅に蝉の亡骸が転がっていたので、何かの気持ちに導かれて、詠んでみました。

まだ夏は盛りですが、早いものはもうひと夏の自分の使命を終えている。そんなことにもかすかな季節の移り変わりを感じますね。時は進んでゆく。焦るように鳴き騒いでいる蝉の声が愛おしい。

彼らは神が定めてくださった生き方をまじめになぞっているのです。毎年の約束のように蝉が夏を盛り上げてくれる。人間もまた、その声に導かれるように、自分の生き方を考え始める。

掌に乗るほどの小さな命。七日しか生きられないという命を、この蝉はどう生きたろう。鳴いて鳴いて、呼び合って睦みあい、命を次についで使命を終える。その中に蝉の魂は何を感じていたのだろうか。

神はすべての命に、美しい生き方を教えて下さる。その中に、喜びがあり、悲しみがあり、すばらしい愛がある。生きとし生けるものは命の中で自分を感じ、少しずつ情感を肥やしていく。

小さな蝉も、生きることで何かを感じていたはずなのです。その魂の小さな感性を思うとき、命に対する限りない情愛がわいてきます。

人間もまた命の中で、すばらしい生き方をしていかねばならないと思うのです。




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