ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

滅亡の門

2019-10-31 04:51:32 | 短歌





偽物の 自分を選び 本当の 自分を捨てる 滅亡の門





*今の世界は、全部が全部と言っていいほど、人間は偽物になっています。

本当の自分を生きるのがいやで、人のものを盗んで偽物の自分を作り、それを生きている。

本当の自分の人生が来れば、厳しい難がやってくるからです。傷つきたくない、嫌な思いなどしたくはない、そんな人間の甘えが、人間による人生の改造をひきおこすのです。

本来の自分の人生では、もっと貧しい家に生まれて、苦労を味わわねばならないはずの人間が、裏から操作をし、親を人から盗んで、豊かな家に生まれたりなどすることがよくあります。そういう人は、なぜか人生がうまくいく。ほとんど苦労らしい苦労などない。

馬鹿な人は、人から盗んだもので、裏から操作して、自分の人生を良い方向に操作していくのです。名声も、友情も、美貌も、霊的技術をもってすれば、簡単に人から盗むことができるのです。

しかし馬鹿な人たちは、そういうずるい盗みばかりやりすぎて、とうとう人間の限界を超えてしまいました。ずるで人生を操作していい思いばかりしてきて、愛の勉強を何もしてこなかったツケがとうとう回ってきたのです。

彼らは人間ではないものになってしまったのです。あさはかな盗みで自分ばかりをいいものにしてきた結果、人類を落ちてしまったのです。

彼らはもうこの世界に生きることはできません。この美しい世界とは別のところに赴き、そこで勉強をやり直し、自分を立て直さねばならないのです。

それがいやなら、いつまでもこの世界にいたいなら、もう偽物の自分を捨て、本当の自分に戻らねばなりません。嘘と盗みで得ていたものをすべて返し、本当の自分に戻り、それをまっとうに生きていかねばなりません。

痛難が起きるでしょう。プライドを叩き落される経験をするでしょう。しかしそれができなければ、馬鹿な人は人間としての永遠の未来を失うのです。





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曙の空

2019-10-30 04:47:31 | 短歌





いやらしい ことするやつは 落ちるぞと 神の声聞く 曙の空





*わたしたちはときどき、瑠璃の籠で、神のことばを書きます。

神のことばは単純明快で重い。そこから発展させて詩を作るのは、とても苦しい作業です。

その神がある日おっしゃった。いやらしいことをする人間はこの世界を追い出すと。

それでこの世界を助けると。

あまりにも明るいお言葉です。何も返しようがない。なにもくっつける言葉を思い浮かばない。

それでほとんどそのままの形で書いたのですが。馬鹿な人間はそれを盗んで、わたしたちが発表する前に別のところで発表したようだ。

それを泥棒というのですよ。そんないやらしいことばかりしているから、人間を落ちるのです。

人間を落ちた者は、永遠にこの、神が創られた愛の世界を追い出されるのです。

ほんとうに、事実があまりにも厳しすぎて、あっけらかんと明るすぎて、そこから何を言っていいのかがわかりません。

ただ言えるのは、もう絶対に、いやらしいことをしてはならないということです。自分だけを得させるために、人を馬鹿にしたり、ひとのものを盗んだりしてはならない。

人間を落ちたくなかったら、盗んでいたものを全部返し、本当の自分に戻り、本当の自分の人生を生きていくのです。それがどんなにつらい人生でも、まじめにまっとうに生きていくのです。

自分が助かる可能性のある道は、それ以外にないのです。





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まよひの谷

2019-10-28 04:43:12 | 短歌





とこしへの まよひの谷に こもりゐて うそをまことに するすべをこふ





*人間は今、嘘と本当の間で迷いに迷っています。

自分の生きている世界が、嘘ばかりの世界であることはわかってきた。だがその嘘をまったく嘘にしてしまえば、いろいろなことが崩れてきて大変なことになる。しかし嘘はまことに苦しい。自分が嘘でかためた偽物の存在であることは苦しい。なぜ苦しいのか。

本当の愛の姿を見たからです。本当の愛の世界が、どのようにすばらしいかを知ったからです。神の実在を、知ったからです。

その圧倒的な真実の前には、人間のついた嘘の小汚さがあまりにも苦しい。

しかしその嘘を全くの嘘にしてしまえば、世界が崩壊する。人間は嘘でいろいろなものを作りすぎているからです。

たったひとつの真実が、この世にあるだけで、嘘を元にしてなしたあらゆる人間の努力が、どぶに捨てられるごみになる。そんなことになれば、あらゆるものが倒れてしまう。ゆえに、簡単に嘘をやめるわけにはいかない。だが、嘘をついている自分が苦しくてならない。

永遠に続くかに見える迷いの中で、人間は、どうにかして嘘を本当にできないかと、そんな方法はないかとさえ、探し迷うのです。

だがそんな方法はありはしない。嘘は嘘。本当は本当。両者はまじりあうことのない光と闇です。

人間は、嘘をなんとかしながら、ゆっくりと本当の世界に戻っていくよりない。それには何世代かかかるでしょうね。今は本当に苦しい時代だ。

嘘と本当にねじられる自分の苦悩を耐えながら、少しでも本当の世界をこの世界に呼ぶべく、努力していかねばならない。





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凡庸の闇

2019-10-27 04:50:03 | 短歌





月影を きぬとよそひて わがたまの まことをかくす 凡庸の闇





*あの月の光を、きぬのようによそおって、自分の魂の、まことのすがたをかくす、凡庸な人々の闇であることよ。

とまあこんな感じでしょうか。毎日4首を詠むことを日課としていますが、これはちょっと苦しかったですね。馬鹿の邪魔もあって、なかなかすっきりと詠むことができません。

月影をきぬとよそふ、とは、当然、月にたとえられるあの人の、表面的な真似をするという意味にしてみたかったのですが、ちょっと推敲したくなってきましたね。こういう風によみかえてみたらどうでしょう。


白きぬを 月とよそひて わがたまの まことをかくす 凡庸の闇


白いころもを、月のように装って、自分の魂の本当の姿を隠す、凡庸の闇であることよ。

この方がいいような気がしますね。月を装うために、技術を弄するという感じが出る。実際馬鹿な人たちは、かのじょの真似をするために、いろいろな技術を弄しています。髪型をださ目にして、服装も地味目にしつつ、どこかに高級感を出して、自分を天使のように装う。

馬鹿な人たちは、人まねだけは本当に上手ですから、それはきれいに真似をするのです。しかし、心を真似することはできません。純真な神への愛から、人類を救おうとして、あらゆる努力をしていたかのじょの本当の魂の姿まで、盗むことはできないのです。表面だけきれいに真似しても、それは小汚い嘘にしかなりません。

いいことをほとんど何も勉強していない凡庸の魂は、高いことなどできないのに、高いものになりたがる。それで天使の見栄えを盗んで自分を高くしたがる。そうすればするほど、本当の自分が苦いものになる。嘘で人をだまそうとしている、嫌なものに、自分がなる。

やればやるほど馬鹿になるというのに、やめられない。それを凡庸の闇というのです。





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もうだませない

2019-10-26 04:39:53 | 短歌





目を見れば うそかどうかは まるわかり もうだませない ほんとの自分





*毎朝即興で四首を詠むことにしていますが、ここのところ調子が悪いですね。馬鹿に活動を妨害されているからです。これなども、大火にしてはいまいち歯切れが悪い。彼も少々疲れているのです。何度同じことを言っても、馬鹿が自分を改めないからです。

馬鹿というのは自分がつらいのだ。自分を馬鹿と思いすぎているからです。馬鹿な自分から逃げたくて、ほかのまったくちがう自分になろうとして、馬鹿なことばかりしている。その自分がまた痛くて、いやになる。

どんなに苦労をしても、自分は自分以外のものになどなれはしない。理屈ではわかっているのだが、嫌なのでしょう。どうしても自分以外のもっといいものになりたくて、いやなことばかりする。

それでずいぶんと立派なものになっている。見栄えをこれでもかと磨いて、実にいいものになれたつもりでいる。だけど目を見れば、それが嘘だとわかる。馬鹿者は目が寒い。表面上はたっぷりと豊かに何かがあるように見せかけているが、本当は何もないのです。

テレビに出ている芸能人など、目を見ればおもしろいことがわかりますよ。口ではきれいなことを言っているが、目を見れば全く違うことを言っている。芸能界がどういう世界かということを、如実に語っている。

嘘ばかりの世界。こんなこともうばれているんだ、なんてことを考えているのがまるわかり。人間の感性が開き、嘘が簡単に見破られるようになってから、芸能人たちの表情も凍り付いています。

表面上は何も変わらないように見えて、世界は激変している。

もうそろそろ、本当の自分をごまかせなくなる。

いつまでも嘘にこだわって、何も自分を変えないでいると、いずれ馬鹿が崩壊しますよ。





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うそをまことと

2019-10-24 04:42:47 | 短歌





たまちはふ 神のまことを 知りつれば うそをまことと いふすべはなく





*人間は今、ほとんどの人が嘘をかぶって生きています。他人の顔をかぶり、他人から盗んだもので操作した自分の人生を生きているのです。

本当の自分の顔や人生で生きれば、高い試練が待っているからです。それがいやなばかりに、馬鹿な人間は霊的技術で操作して、自分に都合のいい自分や人生をつくるのです。

しかしそんな嘘の時代に、神の真実が降ってくる。人間の感性が進化し、真実を見抜く力が発生すると、この世界の痛い嘘の実相が誰にでも明らかにわかるようになる。

また、解脱者も増えてくる。真実に生きることのまことの幸福を知った人間が増えてくる。

そんな時代の趨勢の中では、もう嘘を真実と言いくるめられる理屈などありはしない。嘘で生きている人は、何もかもを失うのが嫌なばかりに、嘘をなんとかいいことにできないかと迷うものですが、そんな方法はありはしない。

嘘は嘘、真実は真実なのです。

嘘にまみれた人間は今、自分が人類を落ち、愛の世界から離れていくのを、恐怖の面持ちで見ている。このままではすべての愛に去って行かれるという、寒さの中であえいでいる。

その寒さから解放されるためには、もう嘘を捨てるしかないのです。嘘を脱ぎ捨て、本当の自分に戻り、その本当の自分の本当の人生を生きていくしかないのです。

それができない限り、人は愛の世界から永遠に遠ざかっていかねばならないのです。





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われのわれ

2019-10-23 04:54:27 | 短歌





やそ神の なししおのれの きよければ われのわれとぞ おらびたりける





*わたしたちは、毎日のように解脱の指導をしていますが、その時のキーワードに、「自分の自分」というものがあります。

本当の自分というものは、誰のものでもなく、自分のものだという意味です。

人間は解脱すると、この事実に一番感動するのです。

自分は自分では創れません。自分を創ったのは神です。神がいなければこの存在もない。だが神は、その自分を、自分が創ったからといって自分のものにはしないのです。

すべての存在に、自由を与えてくださる。その自分はおまえのものなのだと、言ってくださる。

それがあまりにも大きな、まぶしい愛だということに、人間は解脱して初めて気づくのです。

愛は愛ゆえに、すべての存在に自由を与え、その真実の幸福を保証してくださるのです。

ゆえに自己存在は愛にかきたてられ、すべてを愛でやってゆきます。あまりにもこの自分がうれしいのです。すばらしいのです。自分が自分をやっていくこの幸福が、たまらないのです。

神は、すばらしいことを、わたしたちのために、してくださったのです。





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凡庸の夢

2019-10-22 04:52:01 | 短歌





天くらき まよひの日々を かへりみて けふ振り捨てし 凡庸の夢





*「凡庸の夢」とは何でしょうね。それは自分だけ幸福であればいいという、下衆の願いです。美貌に恵まれて、人より羽振りのいい、何もいやなことのない人生を生きたい。馬鹿な人はそういうことを一度は願ったことがあるはずだ。

そしてそのために、裏からいろいろと努力している。人から美貌を盗んで自分にくっつけ、人から徳分を盗んで羽振りのいい人生を演出し、嫌なことから逃げるために裏からいろいろと操作する。

全部、思い通りの人生が欲しい。そのためには、人のことなどかまいはしない。

こういう人は、自分の幸福を作るために、それは多くの人を犠牲にしているのです。美貌やそのほかのいいものを盗まれた人は、みなそれは苦労している。

しかしそういった偽物の人生を生きている人も、幸福かと言えばそうではない。自分の嘘が常に自分を苦しめている。見栄えは幸せそうな自分の暮らしを人に見せつけながら、目が虚無感にしびれている。

ほんとうの幸福とは、そんなものではないからです。

本当の幸福とは、嘘ではない真っ正直な自分を生きて、神の前に恥ずかしくない本当の自分を生きている、美しい自分であることなのです。

人間はもうそれがわかるようになった。そういう段階に来ているのに、いまだに馬鹿な凡庸の夢に浸っているのは、賢いことではありませんよ。

嘘で作った自分を捨て、本当の自分に戻り、本当の人生をまっとうに生きていきなさい。そうすれば、あれほど欲しかった本当の自分の美を、見つけることができるでしょう。





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身をつくし

2019-10-21 04:37:50 | 短歌





白飴の 月のねがひは みなひとの すくひなればと 身をつくしつつ





*この場合の「つつ」は、詠嘆をあらわす助詞ですね。「~していることよ」などと訳されます。

白飴のように甘い、月に例えられるあの人の願いは、すべての人の救いでしたから、わたしたちもこのように身を尽くしていることですよ。

すべての人の救いなど、事実上不可能なことですが、しかしそれに向けて何も努力しないのはよいことではない。わたしたちもそれなりの努力をしています。

ツイッターで大火が、かのじょの真似をしてはいけないと、何度もしつこくしつこく言うのも、それで人類を落ちる人間を少しでも少なくしたいからです。

しかし人類の現実というのは厳しい。ほかの美人を見ると、それが当然であるかのようにその髪型やほかのものを盗み、自分をきれいにするということを平気でする女、男もいますが、そういうのがそれはたくさんいる。

そういう人たちはもう、すべて人類を落ちてしまうのです。

彼らは自分がつらくてしょうがないのだ、自分を馬鹿なものだと思いすぎているのだ。だからほかのいい美人になりたいと、浅はかな真似ばかりしているのです。

本当の自分こそが、本当の救いなのだと、何度教えても改めない。嘘の自分をかぶって、それでなんとかうまくやって、自分のいいようにできないかと、甘いことを考えている。

うまい方法などありはしない。嘘の自分をかぶっている限り、それはいやらしいことをして人をだまそうとしていることになり、嫌な自分であり続ける。それがまたつらくて、自分ではないほかの自分になろうとして、人のものを盗む。そんないやなことをしている自分がまた苦しい。

そういう回転地獄から逃れるためには、本当の自分に戻るしかないのですよ。それがどんなにつらくとも、嘘の美人顔を脱ぎ捨てて、本当の自分の顔に戻るよりほかはないのです。

それができなければ、永遠に、自分の矛盾に苦しみ続けるのです。





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人はやうやう

2019-10-20 04:41:00 | 短歌





われならぬ ものとなりにし われを見て 人はやうやう 人を覚えぬ





*「覚ゆ」はこの場合、「わかる」という意味です。「やうやう」は「やうやく(漸く)」のウ音便。「かろうじて」とか「やっとのことで」という意味になります。

自分ではないものになってしまった自分を見て、人はようやく、人というものがわかった。

と、こうなりますかね。人間というものは、自分を嫌がり、自分以外のものになろうとして、いろんな馬鹿な努力を続けてきましたが、この時代、とうとうその願いが叶い、本当に自分以外のものになってしまったという人が出ました。

要するに、神が創ってくださった本当の自分を壊してしまい、全然違うものになってしまったのです。あまりにも馬鹿なことをやりすぎると、人間はそういうものになってしまうのです。

永遠を失う、とわたしたちは時々言いますが、それは馬鹿なことをしすぎて本当の自分を壊してしまえば、人類の進化の正当な道をすべて失うということなのです。人間は人間としてまっとうに生き、まじめに勉強していきさえすれば、やがて天使にもなり、神にもなれるという永遠の美しい霊魂の進化の道をもとから与えられていたが、それをすべて失うのです。

そうなってから初めて、人間は人間の麗しさを知る。人間として、自分として生きることがどんなに大事なことかということを知る。しかしそれではあまりに愚かだ。何もかもがおじゃんになってからものごとがわかったとて何もなりはしない。

そうなる前に、人間はわかるべきなのです。嘘ではない本当の自分としてまっとうに生きることが一番いい道なのだと、わかることが大事なのです。

本当の自分を失ってしまった人間には、別の道が用意されます。彼らは自分が一体何になるのかを、自分で創造しなくてはならない。そういうものになったのです。それは人間ではない。まったく人間とは違うものです。

彼らは自分を嫌がり続けることで、人間ではないものになりはてたのです。





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