四国お遍路の旅、阿波決め打ち脚ならし篇:その7:12番焼山寺は、タクシー活用:
11番藤井寺の近くの旅館、吉野で一緒になった歩き遍路の人達は、「遍路転がし」を越えて、12番焼山寺に、雨の中を向かったが、朝6時半頃に出発して、お昼過ぎには、踏破する予定であったと云っていたが、、、、、、。どうしたであろうか?無事、問題なく、登り切れたであろうか?藤井寺の奥まった山の脇に、焼山寺へと登ってゆく狭くて、険しい登山道が、山肌に沿って、並んでいる苔むした旧い地蔵群の中に、見受けられる。少々、そこを金剛杖をつきながら、登ってみたが、なかなか、風情のある急峻な山道である。もっとも、こちらは、足許不如意だから、そもそも、そんな急峻な山道を登って行けるはずもない。やはり、その遍路を志す一人一人の特性に合った打ち方があっても宜しいとは、歩き遍路の人達は、云っていたが、、、、、、その体力に応じて、時に、バスを利用したり、鉄道を利用したり、タクシーをある区間だけ、活用したりと、臨機応変に、対応することが望まれるそうである。成る程、まずは、怪我をせずに、無理することなく、疲れたら休み、休みで、熊本からやってきた同宿になった歩き遍路の人の話では、去年は、この場所で、脚を痛めてしまい、途中断念したそうである。今回は、再度、挑戦で、ゆっくりと、全部を廻る予定だそうで、出来れば、高野山までも一挙に、打ちたいと云っていたが、、、、、どうしたであろうか?後30日ほどで、うまく、結願に至るであろうか?こちらは、そんな風にはゆかないので、まずは、神山温泉、四季の里で、旅館のスタッフに、焼山寺への道のりを尋ねたところ、事前に、調査していた徳島バスでの輪行袋による自転車登坂を、途中の杉杖庵の先から、歩き遍路で、打ってゆこうと考えたが、何でも、バスの停留所が、寺のずっと手前で、その停留所から歩いても、年寄りの脚では、2時間以上は掛かりそうであるとの説明であった。地図に記載されている小さな数字の標高は、わずか、450m程度で、たいしたことなさそうであるが、実際には、高度差、300mでも、随分と急峻である。後で、タクシーの運転手に聞いた話であるが、山、又、山、谷に辿り着いくと再び、又急峻な山が、待ち構えていて、これでもか、これでもかと、身体もさることながら、精神的に、ガックリ落ち込んでしまうそうである。成る程、そういうことなのであるのか?!途中には、2足歩行ではなくて、重い荷物を背負ったまま、四つん這いで登らなければならない場所もあるそうである。確かに、前日一寸覗いた藤井寺からの急峻な山道も、なかなか、地図だけでは分からないものである。神山温泉からのタクシーの道は、それでも、下りてくる道を逆に車で登ってゆく道であるから、まだ、楽であるが、それでも、道幅が狭くて、くねくねと曲がりくねっている。伝説の蛇が山を焼き払ったという話もまんざら、伝説だけではなさそう(?)である。インターネットで、事前に調べておいた旅行記では、杉杖庵(せんじょうあん)から、大きな杉の木のある車道と歩き遍路道の分かれ道が、確かに判別・了解されたが、そこからでも、まだまだ、急峻な山道が続いていた。これでは、確かに、自転車を杉杖庵に置いて、歩いて行っても相当なもので、やはり、私の場合には、タクシーで打つ選択が、正しかったようである。そう納得せざるを得ない有様であった。実に、急峻な石階段の先に、大きな杉の木に蔽われた山寺が、現れる。いやはや、凄まじい山の中であるが、年寄りに便利なように、大きな駐車場が、備え付けられてある。(300円の特別駐車料金を戴くのも納得である。)帰りには、You tubeのビデオで見たとおり、駐車場から、山門へ至る境内の舗道に、石像を見ながらきたが、これが、苔むした旧いモノではなくて、4-5年前に完成した石像群であるとは、若干、興ざめであった。これは、おおいに、残念なことである。境内では、ゆっくりと、作法に則り、鐘も、しっかりと、撞いたり、読経もゆったりと、行なうことが出来た。こちらは、大した願い事もあるわけではないが、一緒になった男性のお年寄りは、昨今の自分の有様を細かく報告し、お願いしていた。成る程、こういうことも、やるのであると、、、、、、。様々な一人一人に応じた参拝の仕方があるものであると、改めて、了解される。単に、読経するだけではないようなのである。これは、もはや、一人の遍路による空海との精神的なコミュニケーション、心的交流なのであろうか?きっと、毎年、一年の報告とお礼と新しいお願いと、又、再び、お礼という未来永劫続きそうな繰り返しの作法なのであろうか?中年の四人組のオバサン達は、一緒に、せいので、揃って般若心経を読経していた。帰る下り坂の道では、黙々と、自転車を重い荷物を積んで、喘ぎ乍ら漕いでくる若者に遭遇した。本当にご苦労さまです!。何のお手伝いも出来ないのが、残念ですと心の中で、健闘を祈りながら、杉杖庵(遍路の原型を作った場所)で、一時停止してから、再び、長い坂道を、クーラーの効いた車で、下っていった。それにしても、外は、一寸出ただけでも汗びっしょりになるほど蒸し暑い!成る程、人間とは、一寸、文明の利器に慣れてしまうと、便利に慣れてしまうものなのだろうか?
「遍路転がし」という意味が実感される11番焼山寺打ちである。
11番藤井寺の近くの旅館、吉野で一緒になった歩き遍路の人達は、「遍路転がし」を越えて、12番焼山寺に、雨の中を向かったが、朝6時半頃に出発して、お昼過ぎには、踏破する予定であったと云っていたが、、、、、、。どうしたであろうか?無事、問題なく、登り切れたであろうか?藤井寺の奥まった山の脇に、焼山寺へと登ってゆく狭くて、険しい登山道が、山肌に沿って、並んでいる苔むした旧い地蔵群の中に、見受けられる。少々、そこを金剛杖をつきながら、登ってみたが、なかなか、風情のある急峻な山道である。もっとも、こちらは、足許不如意だから、そもそも、そんな急峻な山道を登って行けるはずもない。やはり、その遍路を志す一人一人の特性に合った打ち方があっても宜しいとは、歩き遍路の人達は、云っていたが、、、、、、その体力に応じて、時に、バスを利用したり、鉄道を利用したり、タクシーをある区間だけ、活用したりと、臨機応変に、対応することが望まれるそうである。成る程、まずは、怪我をせずに、無理することなく、疲れたら休み、休みで、熊本からやってきた同宿になった歩き遍路の人の話では、去年は、この場所で、脚を痛めてしまい、途中断念したそうである。今回は、再度、挑戦で、ゆっくりと、全部を廻る予定だそうで、出来れば、高野山までも一挙に、打ちたいと云っていたが、、、、、どうしたであろうか?後30日ほどで、うまく、結願に至るであろうか?こちらは、そんな風にはゆかないので、まずは、神山温泉、四季の里で、旅館のスタッフに、焼山寺への道のりを尋ねたところ、事前に、調査していた徳島バスでの輪行袋による自転車登坂を、途中の杉杖庵の先から、歩き遍路で、打ってゆこうと考えたが、何でも、バスの停留所が、寺のずっと手前で、その停留所から歩いても、年寄りの脚では、2時間以上は掛かりそうであるとの説明であった。地図に記載されている小さな数字の標高は、わずか、450m程度で、たいしたことなさそうであるが、実際には、高度差、300mでも、随分と急峻である。後で、タクシーの運転手に聞いた話であるが、山、又、山、谷に辿り着いくと再び、又急峻な山が、待ち構えていて、これでもか、これでもかと、身体もさることながら、精神的に、ガックリ落ち込んでしまうそうである。成る程、そういうことなのであるのか?!途中には、2足歩行ではなくて、重い荷物を背負ったまま、四つん這いで登らなければならない場所もあるそうである。確かに、前日一寸覗いた藤井寺からの急峻な山道も、なかなか、地図だけでは分からないものである。神山温泉からのタクシーの道は、それでも、下りてくる道を逆に車で登ってゆく道であるから、まだ、楽であるが、それでも、道幅が狭くて、くねくねと曲がりくねっている。伝説の蛇が山を焼き払ったという話もまんざら、伝説だけではなさそう(?)である。インターネットで、事前に調べておいた旅行記では、杉杖庵(せんじょうあん)から、大きな杉の木のある車道と歩き遍路道の分かれ道が、確かに判別・了解されたが、そこからでも、まだまだ、急峻な山道が続いていた。これでは、確かに、自転車を杉杖庵に置いて、歩いて行っても相当なもので、やはり、私の場合には、タクシーで打つ選択が、正しかったようである。そう納得せざるを得ない有様であった。実に、急峻な石階段の先に、大きな杉の木に蔽われた山寺が、現れる。いやはや、凄まじい山の中であるが、年寄りに便利なように、大きな駐車場が、備え付けられてある。(300円の特別駐車料金を戴くのも納得である。)帰りには、You tubeのビデオで見たとおり、駐車場から、山門へ至る境内の舗道に、石像を見ながらきたが、これが、苔むした旧いモノではなくて、4-5年前に完成した石像群であるとは、若干、興ざめであった。これは、おおいに、残念なことである。境内では、ゆっくりと、作法に則り、鐘も、しっかりと、撞いたり、読経もゆったりと、行なうことが出来た。こちらは、大した願い事もあるわけではないが、一緒になった男性のお年寄りは、昨今の自分の有様を細かく報告し、お願いしていた。成る程、こういうことも、やるのであると、、、、、、。様々な一人一人に応じた参拝の仕方があるものであると、改めて、了解される。単に、読経するだけではないようなのである。これは、もはや、一人の遍路による空海との精神的なコミュニケーション、心的交流なのであろうか?きっと、毎年、一年の報告とお礼と新しいお願いと、又、再び、お礼という未来永劫続きそうな繰り返しの作法なのであろうか?中年の四人組のオバサン達は、一緒に、せいので、揃って般若心経を読経していた。帰る下り坂の道では、黙々と、自転車を重い荷物を積んで、喘ぎ乍ら漕いでくる若者に遭遇した。本当にご苦労さまです!。何のお手伝いも出来ないのが、残念ですと心の中で、健闘を祈りながら、杉杖庵(遍路の原型を作った場所)で、一時停止してから、再び、長い坂道を、クーラーの効いた車で、下っていった。それにしても、外は、一寸出ただけでも汗びっしょりになるほど蒸し暑い!成る程、人間とは、一寸、文明の利器に慣れてしまうと、便利に慣れてしまうものなのだろうか?
「遍路転がし」という意味が実感される11番焼山寺打ちである。