海外を旅すると、自ずと、その国の「食事をするときの空間」に対する考え方が、随分と違うものであると、再認識させられてしまうものである。東南アジアの屋台では、何で、こんな暗いところで、しかも、埃だらけのところで、しかも、粗末なプラスチック製の風呂椅子のようなものに、座りながら、長々と、おしゃべりしつつ、飲み食い出来るものだと、、、、。或いは、フランスでは、2時間も掛けて、ゆっくりと、これでもか、これでもかと、そして、最後には、デザートの前に、チーズが、出てきたり、固いフランスパンを、バターたっぷりのソースにつけたり、、、、、と、又、オランダでは、コロッケを、わざわざ、真ん中から、割って、パンの上に、ヘラで引き延ばして、食したり、、、、とか、韓国に、初めて行ったときには、焼き肉の骨付きカルビを、大きなハサミで、食べやすいように、ジョキジョキ切ってくれたのには、正直、面食らったものである。食べ方のみならず、その食事をするときの空間が、千差万別で、実に、面白い。そこには、多分、食文化やら、食に対する歴史的な経緯が、あるのかも知れない。T.P.Oではないが、(時間)・(場所)・(機会)に応じて、食事をするときの「空間」は、大切である。場所だけではない。いつのことだったか、忘れたが、小さな食べ物屋で、食事をしていたときに、仲居さんが、慇懃無礼に、2回も、席を移動して、相席を頼まれたが、さすがに、2度目は、断ったが、それから、再び、その店には、行かなくなった。カスタマー・サティスファクションどころか、食事をする時の客の大切な相手との共有「空間」を、平気に、ハンマーで、ぶち壊すような振る舞いには、耐えかねたのであった。そうは言いつつも、「郷に入ったら、郷に従え」とばかりに、東南アジアでは、平気で、屋台で、食べてはいるが、、、、、、これも、「異空間」の体験で、新鮮ではあるが、、、、、、ただ、これが、毎日では、果たして、どうだろうか?
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